白井黒也 / 第24話
第24話「もう喋らないでー!」
二月十四日――バレンタインデー。
朝から教室の中は、いつもよりどこか浮ついた空気に包まれていた。
女子同士で小さな包みを交換していたり、それを横目で気にしている男子がいたり。
普段と変わらない教室のはずなのに、今日が特別な日だということを嫌でも感じさせられる。
とはいえ、俺にはあまり関係のない話だ。
そう思いながら自分の席で頬杖をついていると、莉夢が俺のところへやってきた。
「結飛♪」
莉夢は手にしていた小さな箱を、俺の前へ差し出した。
「はい、これ。結飛にあげる!」
「……これ、チョコか?」
「今日が何の日だと思ってるのよ」
「いや、それは分かってるけど……」
まさか莉夢が俺に用意してくれているとは思わなかった。
綺麗にラッピングされた箱を見ていると、本当に莉夢からバレンタインチョコを貰ったんだという実感が湧いてきた。
「……お前が作ったのか?」
「もちろん。せっかくなんだから、結飛のために作ってあげたのよ」
「そ、そうか……」
そんなことをさらりと言われると、どう反応すればいいのか少し困る。
それでも、わざわざ手作りしてくれたと思えば、素直に嬉しかった。
「……ありがとな、莉夢」
「ふふっ。どういたしまして」
莉夢は満足そうに笑うと、俺の手元にある箱へ視線を落とした。
「ほら、早く食べてよ」
「もう食えってのか?」
「そりゃそうでしょ。早く感想聞かせてよ」
「仕方ないな……」
莉夢に急かされ、箱のラッピングに手をかける。
――ガタッ。
「……ん?」
箱が揺れたような気がした。
手を止め、箱を軽く振ってみる。
けれど、中からは何の反応もない。
「どうしたの?」
「いや……なんか今、箱が動いたような」
「箱が?」
「……まあ、気のせいか」
首を傾げながらも、再びラッピングに手をかける。
包みを解いて箱を開けた、その瞬間――。
「うおっ!?」
中に入っていたハート型のチョコから、突然小さな羽根が生えた。
そいつはぱたぱたと羽ばたくと、勢いよく箱から飛び出した。
「ちょ、なんだこれ!?」
「嘘!? チョコが飛んでる!?」
莉夢まで驚きの声を上げる中、チョコは俺の周りを楽しそうに飛び回る。
「ユイト♪」
「…………は?」
聞こえてきた声に、思考が止まった。
今、誰が喋った?
「ユイト、ユイト♪」
俺の目の前を飛び回るチョコから、もう一度はっきりと声が聞こえた。
「……莉夢。チョコが喋ってるんだけど」
「私だって知らないわよ!」
「嘘つけ! お前が作ったんだろ!」
「そんなこと言われても、こんなの私だって……」
莉夢は困惑した様子で宙を飛ぶチョコを見つめていたが、不意に目を見開いた。
「……もしかして」
「なんだよ?」
「材料に使った魔界のカカオが影響してるのかも!」
「なんだそれ! 魔界にカカオあんのか!」
「あるわよ! チョコ作るんだからカカオくらいあるに決まってるでしょ!」
「知らねえよ、魔界の食料事情なんて!」
その間も、ハート型のチョコは俺たちのやり取りなどお構いなしだ。
「ユイト♪」
「だからなんで俺の名前を知ってるんだよ!」
「ユイト♪ イッショ、イッショ♪」
「一緒って……なんなんだよ、こいつ!」
「ちょっと、止まりなさい!」
莉夢が手を伸ばすも、チョコはひらりと身を翻してその手をかわした。
「あっ! こら!」
再び莉夢が追いかけるが、チョコは逃げるように教室の中を飛び回る。
「なにあれ!?」
「鳥……?」
「いや、コウモリじゃない?」
ざわざわと教室が騒がしくなり、次々と視線がこちらへ集まってくる。
……まずい。
このままここにいたら、余計な騒ぎになる。
「莉夢、ここ出るぞ!」
「えっ?」
「いいから!」
席を立つと、逃げるように教室を飛び出した。
「ユイトー♪」
振り返ると、案の定チョコが俺を追いかけてきていた。
「やっぱりついてくるのかよ!」
「ちょっと待ちなさいよ!」
さらにその後ろから、莉夢まで追いかけてきた。
廊下を走りながら辺りを見回し、近くにあった空き教室へ飛び込む。
「莉夢、早く!」
「わ、分かってるわよ!」
莉夢が中へ入ったのを確認して、すぐに扉を閉めた。
これでひとまず、他の生徒に騒がれる心配はない。
……問題は。
「ユイト♪」
当然のようについてきたこいつだ。
ハート型のチョコは、相変わらず嬉しそうに俺の目の前を飛び回っている。
「ユイト♪ イッショ、イッショ♪」
「……なあ、莉夢」
「なによ?」
「こいつ、なんで俺にばっかり付きまとってくるんだ?」
「私に聞かれても分からないわよ。でも、さすがに変よね」
「お前が捕まえようとすると逃げるくせに、俺からは全然離れないからな」
「ユイト♪」
そう声を上げると、チョコが俺の肩へちょこんと乗った。
俺と莉夢の視線が、肩の上のチョコへ向かう。
「……もしかして、魔界のカカオが私の魔力に作用したのかもしれないわ」
「お前の魔力に?」
「ええ。作ってる間に私の魔力を取り込んで、それでこんな風になったとか」
「でも、それならなんで俺にばっかり付きまとうんだ?」
「それは……」
「ユイト♪ イッショ♪」
まるで答えるように、チョコが俺の頬へぴたりとくっついてきた。
「うわっ! だから近いって!」
「……まさか、私の感情まで取り込んだのかも」
「感情?」
俺は頬にくっついたチョコを引き剥がしながら、莉夢を見る。
手の中のチョコが、ぱたぱたと羽根を動かす。
「イッショ♪ モット、イッショ♪ ギューッ♪」
「…………」
思わず莉夢を見ると、何とも言えない顔をしていた。
「……莉夢」
「な、なによ」
「これ、お前の感情なんだよな?」
「まだそうだと決まったわけじゃないでしょ!」
莉夢が慌ててチョコへ手を伸ばす。
「と、とにかく! これ以上余計なこと言う前に捕まえるわよ!」
「いや、もう捕まえてるけど――」
「ユイト、ギューッ♪」
「もう喋らないでー!」
莉夢が俺の手からチョコを奪おうとした瞬間、そいつはするりと抜け出した。
「あっ! 待ちなさい!」
莉夢が追いかけるも、チョコは机と机の間を縫うように飛び回り、その手をことごとくかわしていく。
「ユイト♪ ギューッ♪」
「こっちに来るな!」
逃げても逃げても、俺の方へ飛んでくる。
「結飛! じっとしてなさいよ!」
「無茶言うな! こいつが俺を追いかけてくるんだよ!」
俺と莉夢が空き教室の中を走り回っていると――。
「あなた達、何をしているんですか!」
鋭い声が教室に響いた。
「「え?」」
揃って動きを止め、声のした方へ振り向く。
いつの間にか開いていた扉の前に、セシリア先生が立っていた。
「廊下まで声が響いていますよ。授業中ではないからといって、学校で騒いでいいわけでは――」
そこで、セシリア先生の言葉が止まった。
「ユイト♪」
俺の周りを飛び回るハート型のチョコへ、その視線が向けられる。
「…………」
やがて、セシリア先生の目がすっと細められた。
「今度は何をしたのですか、この駄悪魔」
「私だって、こんなことになるなんて知らなかったのよ!」
「ユイト♪ イッショ♪ ギューッ♪」
チョコは俺の周りを嬉しそうに飛び回っている。
セシリア先生はそんなチョコを見て、静かにうなずいた。
「……なるほど。だいたい分かりました」
「絶対分かってないでしょ!」
チョコがまた俺へ向かって飛んでくる。
「ユイトー♪」
「うわっ!」
「結飛さん、伏せてください」
「え?」
振り向くと、セシリア先生の手には光り輝く槍が握られていた。
「そこです!」
「ちょ――!」
咄嗟に頭を下げた直後――。
――ドスッ!
顔を上げると、チョコが机の上で槍に貫かれていた。
「……私のチョコぉぉぉ!」
莉夢の悲痛な叫びが、誰もいない教室に虚しく響き渡る。
その声が消えると、辺りは嘘のように静かになった。
セシリア先生は何事もなかったかのように槍を消す。
「これでもう大丈夫でしょう」
「……助かった」
ようやく肩の力を抜いた。
そんな中、莉夢だけが何も言わなかった。
机の上には、槍に貫かれて砕けたチョコの欠片が散らばっている。
「……せっかく、結飛のために作ったのに」
莉夢は涙目になりながら、その残骸を見つめていた。
「莉夢……」
そんな顔をされると、さすがに放っておけないだろ。
机の上に散らばったチョコの欠片へ手を伸ばす。
「え?」
拾い上げた一欠片を、そのまま口へ放り込んだ。
口の中に、カカオのほろ苦さと程よい甘さが広がっていく。
「ちょ、ちょっと結飛! なんで食べてるのよ!?」
「なんでって。これ、俺のために作ったんだろ?」
「そうだけど。でも、こんなになっちゃったのよ?」
確かに散々な目に遭ったチョコだ。
さっきまで羽根を生やして俺を追い回していたし、最後にはセシリア先生の槍で貫かれている。
それでも――。
「ちゃんとうまいよ」
「…………」
「せっかく作ってくれたんだし、食べないともったいないだろ」
そう言って、もう一欠片を拾い上げる。
今度は莉夢も止めなかった。
「……そっか」
涙目だった莉夢の顔に、少しずつ笑みが戻っていく。
「ふふっ。なら、よかった♪」
「まったく……人騒がせなバレンタインですね」
それまで黙っていたセシリア先生が、小さく息を吐いた。
「では、私はこれで。今度は飛ばないものを作るようにしてくださいね、莉夢さん」
「分かってるわよ!」
「それでは、結飛さん。失礼します」
そう言い残して、セシリア先生は教室を出ていった。
扉が閉まり、俺と莉夢だけが残される。
「……ねえ、結飛」
「ん?」
「本当に、美味しかった?」
莉夢が少しだけ俺の顔を覗き込んでくる。
俺はもう一欠片、チョコを口へ放り込んだ。
「ああ。美味いよ」
「……そっか」
嬉しそうに笑う莉夢を見ていると、チョコに追い回されたのも、まあ悪くなかった気がしてきた。
「でも、来年は普通のチョコにしてくれよ」
「あら? 来年も私から貰うつもりなの?」
「……あ」
言われてから、自分が何を口にしたのか気づいた。
莉夢はそんな俺を見て、楽しそうに口元を緩める。
「ふふっ。仕方ないわね。来年も作ってあげる」
「……飛ばないやつをな」
「それは保証できないわ♪」