須藤 / 第2話

第二話:チアキ、測量する(前編)

 秋の乾いた空気が肌を撫でる、澄み切った午前。発掘現場には、朝日と一緒に元気すぎる声が響いた。土埃と、遠くで重機が唸る音が混じる中、オレンジのつなぎにヘルメット姿の女子学生が、刷毛ではなく、今日はメジャーと水準器を握っていた。くるりと振り返り、自信満々に須藤を見上げる。 「チアキ、本日もやる気全開です! 今日は完璧に決めますっ! 須藤先生もビックリ間違いなし!」 「今日は測量のお手伝い。えーと……この泡を真ん中に……スチールメジャー、チェック!レベル、チェック! よしやるぞ!」  気合を入れすぎて、つなぎの袖を豪快に腕まくりした、その時だった。 「おい、チアキ。袖を戻せ」  後ろから、冷静だが有無を言わせぬ声が飛ぶ。  須藤。地域考古学の准教授にして、現場の空気を一変させる男。彼の視線が、土埃が舞う中で無防備に晒されたチアキの腕に向けられていた。 「え、でも、やる気なんで!」 「やる気と無謀は違う。土中には何が埋まっているか分からない。腕を引っ掻いて怪我をするぞ。それに、藪蚊やブヨに刺される可能性もある。肌は出して作業するな」 「うっ……! それは……!」  チアキが慌てて腕まくりを戻すと、須藤は表情を変えずに水準器に視線を向けた。 「それからだ、チアキ。お前はさっき『泡を真ん中に』と言ったな」 「はい! それが水平ってことですよね?」 「泡だけ見てりゃいいってもんじゃないぞ。泡が真ん中ってことは、そこが水平って意味だ。だが、地面がボコボコなら、泡は真ん中に見えても水平じゃない」 「えっ、それって……じゃあ、真ん中でもウソの泡……?」 「泡がウソをつくんじゃない。信じすぎたお前が悪い。泡のせいにするな。使う人間の問題だ」 「……うう。チアキ、反省……」  測量というと大げさに感じるが、今日やるのは、トレンチ(調査区画)の杭打ちと線引き。  メジャーで長さを測り、角を直角に出し、四隅に杭を打って粉チョークで線を引く。それだけ――のはずだった。 「じゃあ、この地点をゼロ点にして、そこから3メートル、直角方向に4メートル。南東方向にチョークで線を引け」 「ラジャーですっ!」  チアキは気合を入れて測点に杭を打ち、スプレーチョークで地面にしるしを描く。  しゃがみこんでメジャーを伸ばしながら「えーと、こっちが三メートル……ってあれ? あれ?」と声が上がる。 「スミマセン、メジャーの端っこが、風でバタついてズレました! 風のせいなんです、風のっ!」 「しっかり持て」 「了解ですっ!」  もう一度、今度はピンと張って――またズレる。  今度は杭を斜めに打ち込んでしまったらしく、角度が合わない。  そして、なぜか自信満々に描き終えたトレンチの線は、まるで蛇が這ったようにヨレヨレだった。乾いた粉チョークが土の上に不格好な白い痕跡を残す。  作業を終えたチアキが振り返ると、須藤が無言でレベルを当てていた。  彼の熟練した手が、静かに測量機器を据える。泡は――見事に左の端っこに張り付いている。太陽の光が、その泡の歪みを容赦なく照らしていた。 「……うん。斜めだな」 「……ですよねえぇぇぇぇ……なんでこんなことにぃぃぃ!?」 「このまま掘れば、出土位置の記録は全部ズレる。つまり、何がどこから出たか、分からなくなる。記録としては使い物にならない」 「えっ……それって……チアキ、発掘の価値を下げたってこと……?」  須藤は少しだけ眉を動かして、短く言った。 「だから言ったろ。『泡だけ見てりゃいいってもんじゃない』と」  その日の午後、チアキは線の消し方を教わっていた。  スプレーで引いた線を、軍手の手のひらでこすりながら、ぽつりとつぶやく。土が擦れる乾いた音が耳に響く。 「水平って……まっすぐって……すごい難しいです……」 「でもな」  すっと、須藤の手がもう一度メジャーを取り、真っ直ぐに伸ばされた。そのメジャーの銀色が、午後の日差しを反射してキラリと光る。 「難しいから、測るんだ。感覚に頼るな。記録は、未来に渡すものだ」  チアキは目を丸くして、そして静かにうなずいた。 「……はい。チアキ、測ってみせますっ!」 (次回、『チアキ、測量する(後編)』へつづく)
【須藤のフィールドノート:測ることの意味 考古学における水平と記録】  どうも、須藤です。今回の現場では、学生のチアキが「測る」という作業に初めて向き合いました。ええ、最初は散々でしたよ。彼女が引いた線は、まるで地面に描かれた蛇の踊りのようでした。しかし、一見すると単純に見える作業――たとえば水平を出す、直角に杭を打つ――が、いかに繊細で、いかに重要か。今日はそのお話です。 1. なぜまっすぐが必要なのか?  考古学の発掘では、「どこから、どんな深さから、何が出たか」が何より重要です。  つまり、「モノ」と「位置」はセットで記録されるべきなんです。  トレンチ(調査区画)の線が歪んでいたら?  土器が出た場所が3メートル南ではなく、2.7メートルだったら?  百年後、そのデータを見た人は誤った解釈をするかもしれません。 2. 人間の目はあてにならない  人間の感覚は便利ですが、正確ではありません。  だからこそ、道具――メジャーや水準器、レベル、トータルステーションなど――が必要になります。  しかし、道具を使っても「扱う側」がズレていれば意味がない。  つまり、「測る」とは、道具+知識+責任の三位一体なのです。 3. 記録は未来への手紙  測量とは、過去を知るための準備であると同時に、未来に向けた手紙でもあります。  記録が正確であればあるほど、その遺物は「本当の意味」で歴史を語ることができます。  チアキが線を引き直したように、私たちは何度でもやり直せます。  でも、その一歩が「誠実であること」。それだけは、最初から大切にしてほしいと思っています。  この日、チアキが引いた一本の線は、小さくても「確かな一本」でした。本当にまっすぐだったかどうか――それを確かめるのは、何年も先かもしれませんが、少なくとも、今日の彼女の気持ちは、まっすぐでした。

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