南江行瀬 / 第4話

失敗

 嘘だ……。嘘だ嘘だ!!なんでこんな事になってるんだ……。なんで、学校が変わってないんだ……。なんで、俺がこんな目に合ってるんだ……。 「よし、ここいらで記憶を渡しておくね」 「あぁ……、またあれか」  これ、この状況から考えて、嫌な予感しかしない。嫌だ。この現実の記憶なんて見たくない。  そんな願いとは裏腹に、頭に激痛が走る。今までに感じたことのない痛みだ。嫌な記憶が流れ込んでくる。無視された。物を隠された。殴られた。蹴られた。暴言を浴びせられた。  そんなものが一気に頭に入ってくる。 「っ……う……」 「あはっ、いい顔してるね。スチルだと人気出そう」  小さく写真を撮った音が聞こえた気がする。でも痛みでそれどころではない。頭の痛みだけじゃない。胸が、心が、押しつぶされそうな程に苦しくて痛い。  片手で頭を抑えて息を吐く。その吐息さえも震えてしまう。 「……は、最悪な記憶…………」 「キミが選んだことでしょ。まずは楽しみなよ」 「楽しめるわけないだろ……」  流し込まれた記憶に、翔太の姿があった。でもそれは俺の親友としてじゃない。俺の……俺の敵としての姿だった。  翔太を避けようとして別の高校を受けようとした。でも、それはどれも失敗。  結果的に翔太と同じ高校に通うことになった。  逃げようとしたことが翔太たちに知られ、「裏切り者」「つまんない奴」と、グループから除け者にされたのが、地獄の始まりだ。  失敗したんだ。このやり直しは、失敗だ。 「なーんか落ち込んでるみたいだけどさ、早く行かないと遅刻するよ?」 「……わかってる」  汚れた制服を着て、ボロボロの教科書を汚れた鞄に詰め込む。弁当は持っていかない。どうせ捨てられてしまう。  玄関に向かう足が重い。息が苦しい。腹が痛い。でも、行かないといけない。だって、母さんはなにも知らないんだ。心配はかけたくない。 「……行ってきます」  外へ一歩踏み出す。優しい風が頬を撫でた。いい朝だというのに、気が重い。誰にも会いたくない。通学に使うバスが苦痛でしかない。 「(俺、今日一日耐えられるのか……?)」 ─── ── ─  生き地獄というのは、こういう事を言うんだろう。賑やかな教室は、俺が入れば一気に静まり返る。どこからが聞こえる陰口。俺を嘲笑する声。  机には花が置かれている。教室に飾ってあった花瓶だ。 「(あぁ……、きついな……)」  込み上げてくるものを飲み込んで、花瓶を元あった場所に戻す。途中で足をかけられたけど、何とか転ばずに済んだ。  どこからか舌打ちが聞こえた。ビクリと肩を跳ねさせる。怖くて動けないでいると、後ろから肩を組まれた   「よー海星。相変わらず暗い顔してんな」 「……」 「昼休み、屋上に来いよ」 「……わかった」  嫌だ。行きたくない。でも断れば何をされるか分からない。怖いんだ。目の前のこいつが。前の現実では友達だったはずなのに、ちょっと過去を変えたらこうも変わってしまった。  翔太も、遠巻きに俺を見て笑っている。でも手は出してこない。ただ、ただ俺が虐められてるのを見てるだけ。 「(苦しいな……)」  机には暴言が書かれて、中にはゴミが詰め込まれてる。教室の各所から聞こえる俺に対しての悪口。居心地が悪い。この場に居たくない。そう思っても、身体は動かない。  隣の奴とも目が合わない。この場に俺の味方は居ない。入ってきた教師も、机の落書きが見えているはずなのに、何も言わない。 「(教師なんて頼れない……)」  記憶上の俺は、何度か教師に助けを求めていたらしい。でも何も変わらない。いつしか諦めてしまったようだ。 ─── ── ─  茜色に染まった空が視界に広がっている。痛みで起き上がれずに、ただぼーっと時が流れる雲を見ている。殴られた腹が痛い。蹴られた背中が痛い。口の中が切れて血の味がする。  鞄はどこにあるんだろうか。早々に取り上げられたから分からない。 「(どこで間違えたんだ……)」  なんでこんな事になった?高校を変えようとしたから?でも変えなかったら、あのクズな性格になってしまう。どこで間違えた?どこからやり直せばよかった?  そんな事を考えていると、視界に1匹の蝶が映った。青空を思わせる、透き通るような青色の蝶。ヒラヒラと舞うそれは、いつの間にかどこかへ飛んでいってしまった。 「…………帰ろ」  痛む体にムチを打って起き上がる。少し離れた所に投げ捨てられていた鞄を拾って、学校を後にする。  早く帰って寝たい。こんな現実は嫌だ。明日もこれが続くのか?そんなの耐えられない。 「(なんでこうなった。やり直す場所を間違えたのか?)」  ずっとその事を考えていた。帰り道も、夕飯の時も、風呂の時もずっと。でも分からない。 「どーするの?カイセイ」  俺の部屋に入れば、黒猫の姿をしたリオが、空中に座って俺を見下ろす。曙色の瞳が怪しく光っていた。 「リオ……」  ゆらゆらとしっぽを揺らし、どこかつまらなそうに俺を見下ろす。ただの猫じゃない事は分かってたけど、改めて見ると不気味だ。  曙色の瞳に、切り裂くような細い瞳孔。ピンと立った耳は、細かく動いている。 「(ここだけ見ればただの猫なんだよな……)」  やり直したいけど、どこまで戻るかが問題だし、そもそも上手くいくとは限らない。  それに、この現実で受けた怪我は本物だ。傷はまだ痛むし、学校でのことだって、全部覚えてる。前の現実でやった事も、全部、覚えてる。  でも、これは俺じゃなくて……いや、俺なんだけど、元は…………、あれ……? 「納得いかないなら、またやり直せばいいさ」  いつの間にか人間の姿になっていたリオが、ばっと両手を広げる。さも名案だと言わんばかりの言葉だ。  やり直す。でもどこから?どこからやり直せば、納得いくんだろうか。 「あはっ!考えてるね。よし、ボクもちょっと手伝ってあげる」  くるりと宙返りをしたリオは、俺より大きな姿に変わる。身に纏うローブを広げて俺を包み込んだ。 「な、なに……!?」 「人間って、嫌な記憶は脳の奥底に仕舞い込んじゃうんだって。だからそれを引っ張り出してあげるね」  次の瞬間、色んな場面が脳に入り込んでくる。 教師にものすごく怒られた事。仲が良かった友達が引っ越しちゃった事。運動会のリレーでバトンを落とした事。小さな事から大きな事まで、嫌な記憶が溢れかえってくる。 「色んなことを体験してるね」  空間に響くリオの声。ローブに包まれているはずなのに、何故か広いこの空間。今になって寒気がしてきた。 「この嫌な記憶をいい思い出にすればいい。ボクならそこまで夢で戻してあげられる。キリのいい所がオススメだよ」  耳元で囁くような誘惑的なリオの声。  そうだ。中途半端な失敗からやり直したのがいけないんだ。もっと前からやり直せば…………。 「きっと上手くいく……」

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