南江行瀬 / 第5話

依存

「決まった?」  悩んでるカイセイに声をかければ、少し澱んだ瞳が揺れる。後悔に溺れてる人間の瞳だ。何度見ても飽きない、キレイな瞳。 「気に入らない事があったんでしょ?なら、戻ってやり直そうよ」  両手でカイセイの頬を包む。目を合わせるように、思考を奪うように、深く考えさせないように。  人間は、一度の成功体験で次も出来ると思い込む節がある。それがどんなに小さな成功だとしても、それに依存する。縋れるものがあれば、なんだって食らいつく。面白い生き物だ。 「どこまで戻る?後悔してるなら、どこでも戻れるよ」 「どこでも……?」 「そ、どこでも」  今の現実は辛いだろう。やり直さないなんてありえない。カイセイにはもっと面白いものを見せてもらわないと困る。 「じゃあ……小学生から……」 「あはっ、わかったよ」  あぁ、やっぱりカイセイを選んで正解だった。ボクの予想を上回ってくれる。  とても人間臭くて、欲張りで、見ていて飽きない。 「ふふっ、おやすみ。カイセイ」  そっと目元を撫でてやれば、カイセイの瞳は閉じる。すぐに寝息が聞こえてきたから、ベッドに寝かせてやる。 「夢で会おうね、カイセイ」 ─ ─ ─ ─ ─ ─  賑やかな声に目を開ける。ここは小学校の教室だ。俺自身も小さくなっている。  これは夢だ。リオが過去に戻してくれたんだ。 教室の入口に目を向ければ、『4年3組』と書かれた札が見えた。 『(四年生……一番嫌な時期だな)』  小学校生活の中でも一番濃くて、良くも悪くも印象に残ってる年。黒板を見るに、今は二学期が始まって数日が経った位だろう。 『おはよー!海星ー!』 『おはよー』  クラスメイトとの仲は悪くない。浮かず目立たずの普通の立ち位置だし、それなりに友達もいる。 『なあなあ、アイツやっぱウザくね?』 『だよな。チョーシ乗ってんじゃねーの?』  ヒソヒソと聞こえる陰口。その対処はクラス委員の坂田。真面目で正義感が強く、悪ふざけとかを嫌うタイプ。  まあ、言ってしまえばノリが悪い奴だ。一学期の半ば頃から嫌がらせ……いや、あれはイジメだな。イジメが始まった。 『(この年頃だと真面目は嫌われるんだよな……)』  坂田へのイジメが始まったきっかけは、お菓子の持ち込みの告発だ。真面目な坂田がそんなのを見逃すはずがなく、先生へ告げ口したのだ。  当時は問題になり、全校集会まで開かれた。 『(そっからずーっとイジメか……)』  で、問題はここから。この日、イジメが度を過ぎてしまった。  リオが引っ張ってきた記憶によれば、坂田はこの日の放課後に靴を隠される。靴を探しに行った坂田は、校舎裏で暴力を受けた。 『(止めるべき……なのか……?)』  当時の俺は傍観者だった。関わりたくなかったんだ。  でもあの日の俺は勇気をだして止めに入った。坂田への暴力は止んだ。でも、俺に向けられた視線は、酷く冷たくて鋭いものだった。 『(あぁ、嫌なことを思い出した……)』  机に顔を伏せて大きく息を吐く。  助けたことに後悔はない。……いや、なくはない……かもしれない。  坂田を助けた事で、イジメのターゲットは俺になった。五年生に上がるまで、ずっとイジメを受けた。  この過去は、坂田を助けたから起きた事だ。 『(なら、助けなければいい……)』  そうすれば俺は平和に過ごせる。坂田はただのクラスメイトだ。特別仲が良い訳じゃない。話したことだって少ない。俺が助ける必要なんてない。 『(誰だって、自分が一番大事なんだ)』  顔を上げれば、いつの間にか放課後の時間。夢の場面変換ってのは便利だ。すぐに何かあった時に飛べる。  ランドセルを背負って昇降口に行けば、坂田が鼻を啜りながら下駄箱の周りを必死に探している。 『(悪いな。俺のために犠牲になってくれ)』  靴を探してるであろう坂田の横を通り過ぎる。自分の靴を履いて、足早に帰路に着く。  これでいいんだ。これで俺は何もされない。平和に過ごせる。これが、俺にとっての正しい道。 『(これでいい……)』  気がつけば、夕焼け空が青空に変わっている。次の日になったんだろう。俺の足は自然と学校へ向かっている。普段と変わらない様子の通学路。きっと何も起きない。 『(俺は間違ってない……)』  教室のドアを開けると、真っ先に目に入ったのが坂田の席だ。彼はまだ登校してないみたいだけど、その机の上には、花が生けられた花瓶が置かれている。 『(……ぇ、なに……これ…………)』  クラスのみんなは気にしていない様だ。いつも通りにお喋りをしたり、消しゴム落としをしたりして過ごしている。 『(これは俺も気にしたらダメだ。いつも通りに過ごさないと……)』  自分の席に座って授業の準備をしていると、教室のドアが開いた。  坂田だ。顔にはガーゼ、手や足にも絆創膏が貼られている。坂田が教室に入った瞬間、教室は静まり返る。でもどこからか聞こえるヒソヒソと何かを話している声。坂田をバカにするような小さな笑い声。 『(……俺は関係ない)』  坂田は机に置かれた花瓶を元の場所に戻そうと、花瓶を手に持って移動する。  それを見た男子が、ニヤニヤしながら坂田を転ばせるつもりなのか、足を伸ばした。 『あっ…!』  坂田はそのまま転んだ。持っていた花瓶が割れた。ガシャン!と教室中にガラスの割れる音が響いた。教室のみんなが坂田を非難する。  嫌な空気だ。でも俺には関係ない。だって、坂田は所詮他人だ。他人がどうなろうと、俺は関わってないんだ。大丈夫、俺は正しい道を選んでる……。 ─ ─ ─ ─ ─ ─  目が覚めた。見慣れた俺の部屋のベッドの上。耳元でけたたましく鳴り響くスマホのアラーム。  スマホを手に取ってアラームを止める。時刻は6時15分。 「……変わった……のか……?」  体を起こして部屋の中を見渡す。棚に飾られている身に覚えのない賞状。コルクボードに貼られた知らない人たちとの写真。  そして壁には、知らない学校の制服が掛かっていた。 「…………は?」  なんでだ……。俺は坂田を助けなかっただけなのに……。それだけなのに……、なんで……。  他は何もやっていない。なのに、なんでこうも変わる? 「おはよーカイセイ。上手くできた?」 「…ッ!理生、音もなく来るなよ……」 「クセなんだ。気にしないで」  中学生の格好をしたリオが、いつの間にか部屋にいる。ドアが開いた様子はない。いつ入ってきた?  リオは飾ってある賞状や写真を眺めながら、俺に問いかける。 「どう?他人を見捨てた気分は」 「それは……」 「あ!そうか、記憶を渡してないから分かんないよね!」  忘れてた……。俺の知らない記憶の付与があるんだった。今回は7年近くの記憶だ。どれ程の量の記憶が渡されるんだ……? 「前より苦しいかもだけど、耐えてね」  俺が言葉を発する間もなく、記憶が流れ込んでくる。殴られた痛みでは済まない。無理やり脳を弄られているような不快感と激痛。そんな酷い痛みに耐えられるはずもなく、俺はベッドに倒れ込んだ。 「人間の脳って、限界がないんだって」  情報を処理しようと脳がフル活動しているのが分かる。それは痛みとして現れ、今まで感じたことのない声が出せないほどの痛みだ。 「少し──なっ──んだ。人間は──と精──、どっちが──れ──のか」  リオが何か言っている。でも上手く聞き取れない。痛い痛い痛い痛い……!  知らない記憶。覚えのない記憶。俺じゃないような記憶。何もかも新しい記憶だ。もう限界だ。これ以上は無理だ。処理しきれない。  そう思った瞬間、プツリと何かが切れた音がした。

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