人生平坦道 / 第1話

前座

本編前のつかみのような物です
 ――スライム――  それはゲル状の粘体であり、細胞分裂を繰り返しながらあらゆる生物を取り込み成長していく魔物。  その思考が読み取れない姿と相手を選ばない獰猛《もうどう》さは極めて危険な存在と言えるだろう。小さな個体であれば脅威とまでにはならないが大きな固体や群体ともなれば話は変わる。  酸性の体液を分泌し近付けば粘体を伸ばし捕縛、そのまま体内に取り込まれてしまっては身動きは取れずそのまま捕食されるという。そして取り込まれてしまったが最後……。  という話も幾分に聞く為この魔物には決して安易に近づいてはならない。 「ぶつぶつ言ってないで早くどうするか決めてくれないかしら? 何なら私が殺《や》ってきてもいいけど?」  眉間に皺を寄せながら、かったるそうに殺す等と物騒な言葉を口にしているのは金髪シスターのセラである。  あろうことか聖職者と謂えば皆が思い描くであろう棒状のスタッフ……を地面に突き刺し、手にメリケンサックを嵌め込んでいた。  何故聖職者がメリケンサックなのか?  だがそれは今大事な情報では無い為、申し訳ないが省かせて頂きたい。 「ふざけるな! 見ろあの透明感とプルプルなボディを……、もし取り込まれたりしたら一体どんな目に合うか……いいかお前ら、絶対にそこから動くなよ! 絶対にだ!」  ここまで言わないと分からないのかと私は憤慨する。  許せお前たちの為なんだ、仲間を危険に晒す訳にはいかないからな。 「チッ……、ならさっさとしなさいよ」 「えぇ? いいんですかアネットさん一人に任せて……」  そう私を心配そうにしてるのは銀髪ロリダークエルフのルナ。  身体の小ささから魔女のコスプレをしているように見える外見ではあるが、|歴《れっき》としたエルフの装備であり、魔法のエキスパート。我がパーティ内の火力は随一だと言える……かもしれない。 「頑張ってアネットちゃん、無理はしないようにね」  私を唯一応援してくれるのは黒いチャイナ服を身に纏ったべルヴィア・ナクターナ。  サキュバスの女王であり何故同行しているかは……まぁ今は置いておこう。そんなことより今は目の前にいる魔物だ。 「ようやく来たな、この時が」  この日、今この時の為に私アネット・グレイヴァルは国の騎士団長というクソが付く程つまらない仕事を辞め冒険者となったのだ。  私は胸の高鳴りを抑えつつ腰に刺さった鞘ごと地面に投げ捨て、満を持してスライムの目の前に立ち大地を踏みしめた。両脚は岩のように揺るがず、胸を張りバッと両手を広げる。  仲間から距離は大分あるが私が盾になるように仁王立ちをした。決して好きにしなさいといった意味はこれっぽっちも無い。そしてその事は当然ながら仲間達にも伝わっていることだろう。 「私が相手だ、かかって来い!」   スライムといえど油断をしてはならない、そうやって足下を|掬《すく》われた人間をこれまで幾度も見て……きてはいないが聞いたことがある。  まずは相手の動きを観察するのが吉であろう。   「「「あっ……」」」  気の抜けた声が三つ同時に背後から聞こえた。  スライムはうねうねと脈動したかと思うと巨体をもろともせずにぴょんと宙を舞い、体全身を使って私を頭上から圧し潰す。と同時に私の全身がスライムの中心部へと飲み込まれてしまった。  きっ、キタァッ!   そう含んだ笑みを浮かべるものの何か違和感がスライムの身体と共にのし掛かる。 「フフッ……ッ⁉ ごぶっごぽぽっ……んん~! んん~!」  ………なんてこったい。失態だ。  まさかスライムの身体の中では呼吸が出来ないなんて……。  当然と言えば当然かもしれないが、じゃあ子供に「スライムの体内では呼吸できるんですか?」と聞かれて未体験の事を答えられる奴がどれほどいるかという訳で……。  いや、そんなことはどうでもいい、今は呼吸をしなければ。  水中を搔くように顔の前で手を必死に動かす。スライムの粘体を掻き出し、何とか空気を確保することが出来たがそれも|束《つか》の間だった。 「ぷはっ、ちょっ、たす……ごぽぽっ」  その抵抗も空しくスライムの粘体の壁が穴を塞ぐかのようにすぐさま閉じる。 「せ、セラさん。さっきアネットさんがたす……って、助けてって意味なんじゃないですか?」 「たす? 私にはカスって聞こえたけど? あの状況で罵倒してくるなんて見上げた度胸ね」 「頑張って~アネットちゃん。必死な姿も可愛いわよ~」  誰も近付いてこない……、助けてくれる気配すらもしない……。  何て非情な奴らか。仲間がこんなにも藻掻き苦しんでいるというのに……生きることに必死だというのに、手を差し伸べようともしないなんて。  だが空気は何とか確保できた、あの阿呆共に頼っていられない、この間に打開策を考えなければ……。  かろうじで身体を動かすことは出来る、だが腕を伸ばすとその方向へ粘体がバチンッとゴムの様に伸び弾かれてしまう……さて、どうしたものか。  そうこう思考を張り巡らせていると全身の皮膚にピリピリと刺激を浴びた。  これはまさか⁉   そう云えば聞いたことがある。もしや服だけを溶かす溶解液的なやつなのでは……、くっこんな……仲間の前で辱めを受けるなんて……卑劣な魔物め。  が、このスライムは私の想像を超えるものだった。 「おっ、おぉ? お゛ぉおおおッ⁉」  ひ、皮膚が……ゆっくりとではあるが溶けてきている⁉  それと同時に激しい痛みが、熱が、私の肌に噛みついてきている!  ちなみにではあるが着ていた鎧や衣類は全く溶けてすらいなかった、寧ろ汚れが落ちて綺麗にになっている……そんな気がする。  まずいマズイ不味い。ここから早く抜け出さなければ……。  手や足を必死に動かすも、それに伴いスライムはプルンッと艶めかしく揺れるのみ。愛らしいヤツ……等と思っている余裕は今の私には無い。  何なら身体の締め付けが強くなってきている気がした。 「せ、セラさん⁉ ちょっと様子おかしくないですか? 何だか藻掻き方がさっきよりも激しいような……」 「う~~ん、もう一声!」 「す、すごいわぁ、普通ならもう骨になっていてもおかしくないのに……」  はえ~~、と博物館の展示品を鑑賞するように、興味深そうな三人の表情が私の見開いた両の眼に映し出されている。  そして誰も動こうとする気配も無い! 言葉こそは出せないがこんなにも苦しさを体で表現しているというのに!  痛い、痛い、痛すぎる。肉と皮膚の境界が曖昧になり、神経だけが剥き出しにされていくような激痛が、波のよう次から次へとに押し寄せてくる。  全身の血液が沸騰し猛烈な熱を帯び溶けだすような感覚。  激痛の中仲間達に文字通り死に物狂いでジェスチャーを送った。  ……クソがッ! 誰も反応してくれない、動こうともしない。  仲間とは一体何なのか⁉ これではまるで私が命知らずの阿呆ではないか。全く以て度し難い! 「ひっひぃいいッ!セラさんさすがにもう助けるべきでは!?」 「私としては限界を超えた最後の一足掻きが見てみたい」 「とりあえずモザイクの魔法を掛けとくわねぇ」 「っぐ……あ゛ーバババッ……!!」  声にならない悲鳴が漏れる。  もはや痛みという概念を通り越して、脳が錯乱し始めるほどの灼熱が身体全体を焼き尽くす。  足掻くも何もこんな状況で何を言っているのかあの女は!  筋肉の緊張か強張りかは分からないが両手の小指と薬指が自然と閉じていく。  そして意識が遠のく寸前に最後の力を振り絞るように顔に力を込めると頬の筋肉が吊り上がるように動いた。 「うっぇえがぽぽぽっ」  ある人によっては笑顔に見え、またある人によっては悪魔に取り憑かれてしまった迷える子羊に見えたらしい。  そして意識を失う瞬間、スライムがパァンッ! と一瞬で弾け飛びセラの全くと言っていいほど無い胸の中へと私は沈み込む。  どうやら助かったらしかった、だが私はこれっぽっちも助けてくれてありがとう等といった感謝の気持ちを抱いていない。  何故ならば目の前にいるこの聖職者を着飾る金髪脳筋女は、私が意識を失う瞬間までうっとりとしたサディスティックな目で、私に微笑んだ顔を見せつけていたからである。   そして今もなお、助け出したセラは自身の本来為すべき仕事を忘れ、地面に横たわる私の体(骨が見えている箇所)をつつきビクンと反射する様子を楽しんでいる。  ルナが傍まで駆け寄り回復魔法を掛けてくれ、私はようやく声が出せる程まで回復する事が出来た。 「し、死ぬがどおもっだぁああ!」  涙は現在の体の構造上出なかったが間違いなく泣いていた。  生の実感に安堵したからかは分からないが生きることの幸せを身に染みて感じる。  「よく頑張ったわねぇ、どんな姿になっても私は好きよぉ」  なら助けてくれませんかねぇ……、べルヴィアさんや。  そう思いながら自分の生業を忘れ回復魔法を一切掛ける素振りをしないドSシスターに目をやる。  「やったじゃない、あんたの夢がまた一つ叶ったわよ」  確かに私は魔物達と|戯《たわむ》れる事を夢見て冒険者になった……でもね……、そういうことじゃないんだよね。   何か思っていたのとは違う、トラウマがまた一つ増えただけだった。  後にルナは助け出されたその姿を見た時の事をこう語った。 「ゾンビの笑った顔よりも怖くて狂気を感じました」 と。  下瞼がドロンと溶け目玉が剝き出しになり、唇や舌も変色していて顎や頬骨が見えていたらしい。  それこそモザイクが無ければ見た者を絶叫させるほどの…。  これは女騎士アネット・グレイヴァルの私利私欲を満たす為だけの物語というのには烏滸がましい冒険譚である。  世界を救ったりお涙頂戴等のシリアスな展開は一切期待しないで頂きたい。

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