朝海 / 第30話

Code11

 物事が動いたのは、その日の夕方だった。アイル先生いる? 開けてとの呼びかけに、医学書を読んでいた手を止めた。眼鏡を外して玄関に向かう。扉を開けると、ホカホカのお粥を持った住民が立っていた。 「これなら、彼が食べられるかな? と思って」 「これも、日本のご飯ね。栄養価が高いから助かるわ」  かたり、と小さな音がした。アイルが後ろを振り向くと、カイルが壁に手をつきながら、こちらに向かってきている。アイル先生、お待たせしました、時間がかかりすぎてしまって、ごめんなさいと口が動いたなと思った。  希望が。  希望が見えた気がした。  医師としてやってきて本当によかった。諦めなくて正解だった。この子は必ず立ち上がってきてくれる。這い上がってくれる。医療従事者としての確信があった。  カイルが流れ着いて三年の月日がたっていた。長くもあり短くもある。  思いが実った。  ――あの子が。  ――人に怯え住民の前に出ようとしなかったあの子が。  ――出て来てくれるなんて。  ――今日ぐらい嬉しい日はないわ。  当然、迷いもあったはずである。どれだけ、悩んだのだろう。どんな思いで覚悟を決めたのだろう。  ――ダメ。  ――我慢できない。  言葉にならない。  目頭が熱くなる。  瞳に涙が浮かぶ。  頬を流れていく。  ごしごしと涙を拭くと、何事もなかったみたいに体を支える。 「寝てなくて大丈夫?」  睡眠は足りている? と瞳を覗き込む。 「朝よりも気分は良好です。それに、三年分のお礼も言えてなかったですし、交流会も出られなかったですから」    アイルと住民は当たり前の行動をしているだけよ、と朗らかに笑う。 「ありがとうございます」 「そうそう。今年も夏祭りがあるのよ」 『フレイル王国 夏祭りのお知らせ』  アイルとカイルにチラシを見せる。アイルはジッと見ているカイルにあら? と思った。意外にも興味をもったみたいだった。行ってみたいの? と聞くと頷く。微熱があるでしょう? まずは、体調を整えましょう、今日はもう休もうと促す。体を預けた歩く姿はアイルに信頼をおいていた。  部屋まで連れて行く。アイルが戻ると住民も涙ぐんでいた。 「強い子ね」 「ええ。私の自慢の家族だからね」  きっと、きっと。  望む未来が待っている。  見守って来た親代わりとして信じている。    だから、これからも共に――。  やっていけたら。  戦っていけたら。  ――頑張ろうね、カイル君。  再び涙ぐむアイルと住民を、夕日が影を作っていた。

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