朝海 / 第1話

Code1

 「ただいま!」  茶色の瞳と黒髪の少年――カイル・コールエンは、私立リーベラ学院幼稚舎から帰宅をした。夕方とはいえ外は雨が降っていて薄暗い。  傘と靴を干してから、リビングに入る。両親のジルとアンの靴はあったはずだ。それなのに、中の気配を感じなかった。    リビングの電気もついていない。鼻をくすぐるのは鉄の匂い。かぎなれていない匂いでもあった。  ――何の匂い? 「父さん、母さん? いるよね」  不思議に思いながら、かちり、と電気を点ける。目の前が真っ赤に染まった。  何よりも強烈な光景だった。  ――嘘?  ――ねぇ、父さん、母さん。  ――嘘だよね?  ――起きてよ。  ――お帰りと言って。  ――返事をして。  ――冗談はやめてよ。  ――いつもみたいに笑って。  ――頑張ったねと抱きしめてよ。  見たのはリビングに広がる真っ赤な血だまりだった。その中に、ジルとアンが倒れている。体を触るとすでに冷たくなっている。  手にべっとりと血がつく。  ――何で!?  ――どうして!  ――誰が!?  息を飲む。  背中からリュックが滑り落ちた。 「何だ? まだ、誰かいるのか?」  耳に入ったのは、聞き覚えのない声だった。カイルは奥から、ゆらりと動く人影を見た。 「あなたは誰! 何のために!」  声が震える。 「依頼を受けて暗殺業務をしていた両親を恨め」 「暗殺業務? 僕の両親が?」 「何だ? 知らなかったのか?」  ばさり、と資料が投げ捨てられた。  敵側が事実を提示したのだ。  資料に目を通す。  依頼書  アン・コールエン  ジル・コールエン  凶悪犯罪者シリル・ハンバードを殺害せよ。  指定日時はアイズリー歴三十六年、八月八日、午前一時まで  それを、読んだ瞳に影が落ちた。知らないところでジルとアンは人を殺していた。  現実は残酷だった。    それでも、変わらずにカイルを愛してくれた。愛されていると実感があった。大好きだよ、カイルと言ってくれた。何があろうと、それだけは事実だった。  忘れはしない。  二人に何かを返したいと思う。敵を見ながら、復讐できる方法を考える。  ――相手に最大限の処罰を与えてやると。  ――見ていろよ。  カイルにできる方法は一つだけだった。たった一つしかなかった。暗殺家業を引き継ごう。その血を引いているのならばできる。闇を二人に背負わせるわけにはいかない。苦しい思いなんてさせたくない。  ずきり、と胸元が痛んだ。  バラの紋章が刻まれる。  コールエン家の者にしか現れない紋章だった。  ――これが、コールエン家に伝わる呪いの紋章。  ――そうか。  ――両親の「愛」がなくなってしまったからか。  今まで、受けていた「愛」が消滅をしてしまったからだった。早く邪魔者を殺せ。とどめを刺せと言わんばかりに、紋章の色が濃くなっていく。  カイルはとてつもない殺気を、身に纏っていた。部屋の温度が下がっていく。ついさっきまで、温かさがあった部屋だと誰が思うだろう。幸せな家族の姿があったと、言っても誰も信じない。 「暗殺者の家に生まれてきたお前もその血を引いているはずだ! しょせん、人殺しでしかない!」 「黙っていてもらいましょうか? 耳障りです。邪魔をしないでください」 「何だ? 反論をするのか? 生意気だな」 「ふふ……忘れましたか? あなたが言いましたよね? 『僕もその血を引いている』と。その血を出し切るまでです。行動としては間違ってはいないはずです」  小さいながらも暗殺者としてのスイッチが入った。  ――確か、この先の台所に包丁があったはず。  ――これは亡き両親のため。  ――そして、自分のため。  相手を誘導していく。  ――さぁ、戦うために武器を持て。  血に染まろう。  あとは、進むしかない。  それが、カイルにとっての生きる道だった。扉を背中越しに開けると、包丁を手に取った。  手で握りしめる。  床を蹴ると男の喉元を切り裂いた。  ぷしゃり、と血が噴き出す。  白い肌を赤く染めていく。  紅く、紅く……。  隠されていた能力が見事に開花する。手から包丁が滑り落ちていく。音を立てて遠くに飛ばされていった。もう、何も知らなかった日常には戻れない。  地獄の道へと足を踏み入れたのだ。しゅるりと、バラからツタが伸びる。それは、首の一部を侵略していく。「死」へのカウントダウンは、すでに始まっていた。  胃液を吐き出す。  空っぽになるまで吐き出した。  服で口を拭いて立ち上がる。  ――父さん、母さん。  ――ごめんね。  ――許して。  ――僕はもうこの家にはいられない。    ――さようなら。  ――楽しかった時間と大切な思い出たち。  今日、全てここに置いていく。  閉じ込めていく。    せめてと、思い二人の瞼を閉じて死を悼んだ。長時間留まらない方が正解だろう。すぐに、男の追手が来るはずである。見送ってくれる者はいない。  靴を履いて玄関を出た。    血は大雨が洗い流してくれるはずである。姿は大雨の中に消えていった。孤独な暗殺者が誕生した瞬間でもあった。

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