蒼井瑠水 / 第19話

わたしは知っている、

「お邪魔します……」 「あら、あなた来てくれたのね! どうも、春野ケイの母です」  あれからすぐに身支度を整え、息もつかずに走った。  玄関に立って息を整え、ばくばくと血流を流す心臓を抑えながらインターホンを押す。  すると彼の母が出迎え、柔和な笑みで家に迎え入れてくれた。  ある程度立派な二階建ての一軒家。  彼女は春野恵美。「めぐみさんって呼んでね」と自己紹介してくれた。 「さて、あの子は自分が死んだらあなたに日記を読ませてほしいって言っててね」  やはり親子なのだろう。  どこかケイくんの面影を感じさせるめぐみさんは、少ししわがれた声で優しく話す。 『……だから、絶対来てね』  あの手紙を見なければ彼の家に来なかっただろう。  あの子に嫌われて傷つけられた気がしたから。  無意識に彼の意図を知ろうとしたくなかった。この場所に来る選択肢はなかった。  でも、あんなことを書かれたら、来るしかない。  めぐみさんには居間に案内されず、すぐに二階に連れられた。  彼の部屋と思しき一室に迎えられる。 「持ち帰って読んでもいいけど、ぜひあの子の部屋で読んであげて」  その言葉を残してめぐみさんは私を一人にした。  部屋の中はきれいに整頓され、めぐみさんがそのままにしてあると言っていたけど、とてもそうは見えなかった。  本は列を乱さず本棚に並べられ、彼が好きと言っていた最新ゲーム機も隅に片付けられていた。  部屋の真ん中、目の前の机の上にリングノート状の茶色い表紙の小さな日記帳。 (これは……)  まだ春だった時に行った、思い出のカフェで見たメモ帳のものでは。  そうだ、見覚えあるもの。小さかったからメモ帳に見えたけど、サイズ的に日記帳だ。  これを読んでねと言わんばかりに置いてある懐かしいそれ。彼の言う通りに、静かに近づいて、手に取り上げた。 『春野恵 未来日記』  表紙には知らない名前が書かれていて、でも彼の字だと分かる汚い字だった。  そっと、傷がつかないように手に取り、ぱらりとページを開いてみる。    一ページ目。 『俺は今12歳。中学に上がった頃。突然未来を見るような変な能力を手に入れた。事実を確実にするためここに書いてみる。』  未来を見る、能力?  私と同じ能力を、呪いを彼は背負っていたのか?  分からない、もっと読み込まねば。    二ページ目。 『やはり未来を見通す能力ではあるようだ。しかしある程度の先の未来しか見れない。もう少し確かめようと思う。』  これは彼の行動を記した軌跡なのか。  でも、私の呪いと違って彼の能力は少し特殊なようだ。   三ページ目。 『この能力にはある程度分岐した複数の未来を見れるみたいだ。鏡を見て自分の瞳孔を見つめるとその選択した未来が見れた。もう少し確かめよう。』  四ページ目。 『この日記を未来日記としよう。ある程度の未来を書き写し、比較してみるとする。』  五ページ目からは観測した未来の詳細と思われる旨が書かれていた。  形式的に代わり映えしないので、少し飛ばし飛ばし読むが、20ページ目で気づく。明らかに書き方が変わっていた。  20ページ目。 『鏡とにらめっこして未来を見てたら、鼻血が出てた。あと今頭痛い。オーバーヒートのようなものがあるのかもしれない。気をつけるべし。』  読み進める指が、わずかに震えた。    鼻血。あの時、彼が倒れていたのは、単なる流血ではなく、命を削るような、能力の代償だったのではないか。  喉の奥が、焼けるように熱い。 (……今まで、笑った顔をして、君は、未来を……)  ページをめくる音が、静かな部屋に、まるで心臓の鼓動のように響く。  40ページ目。 『なぜか、未来を見ていると自分が死ぬ事になっていた。なぜだ、他の未来を見ても理由が変わるだけで必ず死ぬ。なぜ、これは代償か? しばらく未来を見るのは控えよう。』  41ページ目。 『変わらない。一ヶ月程置いて見ても俺は必ず死ぬ。どういうことだ。まだ死にたくない。まだ死ぬまで3年はある。なんとか考えよう。』  45ページ目。 『だめだ、ある程度行動に移せば過程は変わるが必ず死ぬ事になっている。まだ恋愛もしてないのに、人生を楽しんでないのに死ねない。』  いつもふざけていたように見える彼も、こんなに悩んでいたなんて。  私の能力とは条件や仕様が違うが、やはり彼も代償と思われる事態に陥っている。  話してくれれば、よかったのに。  きっと、安易に使った代償が彼にも襲いかかっていたのだろう。  私もそうだった。  彼にとり憑いた呪いは、なにかの拍子にルールを破ったと認識したのだろう。  運命を味方に持っている彼の能力。呪いはきっと、代償を払わせるために彼の人生を期限付きのものにした。  過程が変わろうとも、結果の内容が変わろうとも。  必ずここまでに『死ぬ運命』というのを、いたずらに設置したのだ。  彼はずっと苦しんでいたんだ。  彼の叫びとも読める、試行錯誤と検証の繰り返し。  記載されている事全てが、諦めきれない執念と絶望による苦悩に見えてしまって。   私も胸の奥が締め付けられるけれど、読み止めてはいけない。  彼のたどった軌跡と、覚悟を知らなければいけないんだ。      読み進めて、違うことが書かれていたのは80ページを超えてからだった。 『ある一つの未来に、ぶすっとした表情が第一印象の女の先輩に出会う未来があった。その未来はどの未来より楽しくてどきどきして、理想の恋愛をしている自分だった。どうせ死ぬなら幸せに死ねる未来にするか。いや、そうしよう。今からこの未来になる行動をする。』 (これって、もしかして私の事?)  82ページ目。 『どうにかこの未来の路線に立てたが、驚く事にこの先輩も未来を見通す能力があるらしい。複数の分岐ルートで先輩の過去を聞く時があって、それで色んな苦労をしたと聞いた。どの未来も俺が死ぬ時になって、彼女は明るく心を開いてくれるようになった。でも最後の最後ですごい泣きつかれて、死なないでと言われた。俺のこの選択は正しかったのだろうか?』  ごめん、ごめんね。  私に惹かれて好いてくれても、こんな私でがっかりしたよね。  やっぱり、私が、足を引っ張ってたんだ。  83ページ目。 『よし、決めた。ここからは先輩を幸せにできる方向に舵を切ろう。その方が使命感みたいでかっこいいし、生き甲斐がある。そうしよう。』  そんな、幸せになんて。  やっぱり君は優しいね……。  それに比べて私というやつは。  彼の気持ちをないがしろにしてしまった。    90ページ目。 『先輩に会えた。イメージ通りのぶすーって顔だけど、めちゃめちゃ可愛い。彼女を最後まで幸せにしたいけど、手助けするくらいしかできないなんて、無念だな。』  おい、この野郎。ぶすーってふてくされるしか書いてないのなんかムカつくな。でも、可愛いだなんて。  最後まで、幸せにしてあげたいって思ってくれたなんて、それって、もう。    95ページ目。 『そろそろタイムリミットだ。先輩は明るくなってきてくれて一番最善の方法を選んできた。でもまだ何か足りない気がする。彼女の家に遊びに行くルートがある。これが一番良さそうだ。もっと見てみよう。』  96ページ目。 『そろそろ俺が死亡する時期に入る。突発的な病気で死んだり突然死したり、交通事故にあったり。どんな未来も、救いはないのかってぐらい必ず殺しにかかってくるけど。でも、これから先輩の家に行って押し倒されるシーンがあるんだよね。まるでラッキースケベみたいで嬉しい。どうせなら一線を越えたい、エッチなことやキスだけでいい、めっちゃしたいと思ったけど、なぜかそのルートがない。そもそもなれないのかもしれないし、作れても今までのが崩壊する可能性がある。自分勝手な事だし、まあいいや。でも童貞は卒業したかったな』  ぷふっ。  なぜか最後の最後で彼らしさが出ていて笑ってしまった。  そこまで真剣に考えてそれかよ! カッコ悪いだろ! と日記に叱りつけたくなる。  でも、そうか。やっぱりキスくらいしとけばよかったな。  その後は入院して書けなかったのだろう。  めぐみさんがそのままにしてあるといった部屋。その机の上に置いたままだから、あれからは書いてないんだなと思いを馳せて。  もっと、彼の筆跡を見たかった。  この汚いのに、どこか落ち着く文字の羅列。  でも、もうそろそろ終わりなのだろう。  なんとなく、分かる。     最後にぱららとめくると、終わりの方に数ページ文字が書かれているのが見えた。  軽いあとがきかな? と始めを開くと、『センパイへ』と右上に書かれていて。  作文のタイトルみたいに書かれたその文字を視た瞬間、瞳がツーンと微かな痛みを感じるとともに、真夏の汗のようにどんどん滲んで潤んでいく。  抑えようにも、ぶわっとダムが決壊するように一気に漏れ出してしまって、ぽたぽた机を濡らしてしまう。 「な、なんで急に……」  なんでまた泣いてるんだ。彼に傷つけられて嫌だったのに。  この続きを読んだらもっと好きになっちゃうじゃない。  ぽたり、ぽたりと見てわかるほどに床を濡らしてしまって、慌てて日記にかからないよう、胸にぎゅっと抱きしめる。  私はなんてバカなんだろう。彼は、死を怖がっても、恐れはしなかった。  そして私をずっと好きでいてくれた。 「うっ、う、うぐ」  頬を確かな線を作って濡らす涙をぐしぐしこすって、目元もぐしぐし。  でも、周りも濡らしただけで、このままこすってしまったら、顔全体がびちゃびちゃに濡れてしまいそう。  早く、早く抑えよう。  彼がもっと大好きになったのはいい。この漏れ出る感情も後回しでいい。  でも涙は引っ込めなくちゃ。  彼の大事な日記を濡らしてしまうし、彼が未来を見ていたら、こんなところを見せられない。   ゆっくり、ひっくひっくとイヤな部分を確実に吐き出し。  涙を作り出すいらない元を、どんどん逃がしていく。  彼にしっかり向き合わなければならない。  向き合う準備をしなければならない。  彼の大事な日記を机の隅に置き、あの子の言葉を受け取れるよう自分をあやした。  彼がなぜいきなり声をかけたか、勝手に自殺したかよく分からなかった。  私は今、この日記をしっかり読み込んでいる。  じっくり読み解き、彼の人生の背景を想像して。  自分のイヤな感情を押し付けることなく、しっかり吐き出して。  彼は私に出会って救われただろうか?  私は彼に出会って救われただろうか?  あの子は救われたと思う。私は能力に絶望したけど、彼はちゃんと立ち上がった。  その足で立って、私の闇を取り払おうとしてくれたんだよね。  こんな私を選んでくれて、人生はこんなに楽しいんだって、久しぶりに教えてくれて。    私は知らなければならない。  彼の最期の言葉を。  私はあの子を助けられなかったけど、彼は私に色んなものをくれた。  受け止めなければならない。  そう覚悟したとき、私は見た。  緩やかな、輪郭が柔らかく、でも確かにはっきりと映し出されるビジョンを。  あの、頼りない小さな身体なのに、どこか頼もしく思える可愛い後輩の背中を。

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