蒼井瑠水 / 第1話

なぜあなたは、私の運命に紛れ込んだの?

 私は知っている、君の最期を。    白い菊の花。    黒いスーツが並ぶ静かな空間で、誰かが泣いている。    棺の縁に、若い手が重ねられていた。  指先は冷たそうで、でもその手に触れた人間はすぐに離さなかった。    誰の手だろう。誰の棺だろう。    いつもの未来視と違う。頭が、痛くない。    視えた瞬間に気づいた。これはまだ来ていない未来だ。それだけが分かって、それだけが、酷く重かった。    でも。  まだ視えてしまう。    同じ温度の、痛みのない、ふわりとした何かが、続きのように流れ込んできて。    春だった。どこかの公園か、木漏れ日の多い道か。    ぽかぽかした光の中で、誰かが笑っていた。  背の低い男の子。知らない顔。でも、なぜか無性に腹が立つような、憎たらしいくらい眩しい笑い方をしていた。    その子は私に手を振っていて。    私も、笑っていた。    笑っていた、のに。    直前に見た棺と、その笑顔が、同じ人間の顔だということに気づくまで一秒もかからなくて。   (……え)    痛みが来た。遅れて来た。  頭の奥から、じんと重くなる、いつもの頭痛じゃなかった。    それよりもっと、奥のところが、きゅっと締まって。  胸が痛かった。    その感触に名前をつけることは、まだできない。  ただ、その笑顔だけが、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。    誰なんだろう。    会いたくない、と思った。    会ってしまうから。    私は人生の初めてを味わえない。未来ばかり、先に知ってしまう。    だから今さら、誰かを失う初めてなんて、要らなかった。     朝だ。小鳥の鳴き声がいつ鳴くかも分かるくらい味わった、初めてじゃない朝だ。 「おはよう、ひいらぎ」 「………………」  二階の自室を出て、食卓のある居間に入ると、母が挨拶してくれる。 「おはよう、ひいらぎ」 「………………」  新聞を広げていた父は、母の言葉で遅れて気づき、優しい顔で挨拶してくれる。  両親の優しい声が、耳障りなノイズのように頭に響く。朝日の眩しさが目を刺し、食卓に並んだトーストの匂いですら吐き気を誘う。  嫌だ。 「ひいらぎ、もう高校二年生か。毎日見ていると気づかないものだけど、大きくなったな」  父は新聞を畳んで脇に置き、自分の顎に手を当て、感慨深げにうんうんとうなずく。 「母さんもそう思わないか? 他の家の子供を見ると成長が早いよな」 「そうね、子供はすぐに大人になるものね。びっくりしちゃうわ」  …………知らないよ、そんなこと。 「そうだ、みんなで旅行にでも行かないか? 今年のゴールデンウィークは長いし、少しの遠出なら長く泊まれるだろう」 「いいわね! そうしましょうよ、ね? ひいらぎ」 「………………」  なぜ私に意見を求めるの? 勝手に決めればいいのに。そっちが言い出したんだから。 「ん? どうした、ひいらぎ」 「ひいらぎ? ひいちゃん?」  今さらそんな呼び方、気持ち悪い。 「ひいらぎ、少しは返事でもしたらどう……」 「うるさい! 黙れ! お前らが行きたいだけだろ! 私を巻き込むな!」  ばんと机を叩いて立ち上がり、周りに叫び散らかす。  静寂の中、突然音が響き、二人は時が止まったように愕然としていた。  ……ああ、やってしまった……。  本当は、そんなことを言いたいわけじゃない。  なのに、腹の底から黒く熱い何かがせり上がってきて、勝手に言葉になっていく。  喉が焼けつくようだ。 「ご、ごめん。私、学校に行く」  そう言い、逃げるようにその場を離れた。  なんてひどいことをしてしまったんだ。今の『高木柊』はただのクズじゃないか。  くそっ……。くそっ……!   今日は、新学期と新入生の入学式。  みんな、初々しい顔立ちに、少し背丈に合わない制服を着て、次々に名前が呼ばれる。  はい、と元気な声で返事をして、新入生代表の子が式辞を読み上げる。  私にとっては、経験済みの脳内データで、すっかり色あせてしまった入学式。けれども彼らにとっては、一度きりの、輝くような『初めて』なのだ。  ……羨ましい。なんて羨ましいことだろうか。  式が終わって教室に戻り、教科書や学校新聞のような告知のプリントが配布されたり、担任の先生のありがたい話を聞かされたり。  そんな面倒な一日が終わって、放課後。  賑やかな談笑が響く廊下を、ただ独り、『高木柊』は歩く。  第一と第二の校舎を繋ぐ、白いコンクリートの簡素な通路。そんな道中を、何も考えずに歩いて。  きっと自分の人生は、こんな簡単な道をただ歩くような、味気なく魅力のない移動だ。  つまらないな、今の私は。『高木柊』は、とてもつまらない。  短い通路を歩き、第一校舎の入口に入ろうとした時だ。  何の前触れもなく、ぶわっと記憶が断片的に流れ込んできた。  それは暖かい風に舞う桜吹雪のように、優しく包み込むような不思議な感覚だった。  痛みがない。記憶を垣間見る時はいつも感じるのに。なぜだ?  いつもの頭痛もなく、ただ知らない風景が映し出された。  そこには一人のやんちゃそうな男の子がいて、「柊センパイ!」とにこにこ笑いながら、私の隣を歩いていた。  春が終わる頃だろうか。涼やかな木漏れ日の中に、眩しい笑顔がこちらに手を振っている。  そんな幸せそうな景色のあと、突然真っ白な質素な空間に私はいて。  そこにいる私は、何かに縋るように、母に抱きしめられて泣き崩れていた。今までの私じゃ想像つかないような途方もない喪失感が、未来の私を襲っていた。  なんで、なんで。  しばらくして、現実に戻ってきた。  第一校舎の入口に立っていて、周りの生徒は不思議そうに私を見たり、一人分の幅を取っているからか、少し邪魔そうな視線を送る者もいた。 (何だったの……? さっきの……)  私は不思議そうに少し俯いた。でも、今は考える時ではないと、すぐに歩き出した。  正面玄関の下駄箱の列に向かうと、二年生の私のクラス近くに、下駄箱の側面に背を預けてスマホをいじっている男の子がいた。 「……時間、あってるよな」  そんなことを呟く男子生徒は、普通の男子より背が小さく、平均的な身長の私より少し上くらい。それで、胸元に新入生が着ける花を象った祝いのバッジを付けていた。  何より、その子の顔は、さっき新たに思い出として刻み込まれた男の子の顔。  屈託のない、春の日差しのような雰囲気を持った、愛おしいくらい眩しい微笑を浮かべて、柔和に佇んでいる。 「……? おっ! センパイ来た!」  えっ? 「ども、初めまして、春野ケイです! オレ、センパイと会うの楽しみにしてたんです!」  何? 私のこと知ってるの? 「えーっと、何から言うべきかな……。あっそうだ。……すぅーっ、よし。センパイ、オレと付き合ってくれませんか?」  ……は?

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