須藤 / 第5話

第五話:夢のレンズ、そして推しへの道

 私、神崎聖《かんざきひじり》。アパレル店員。これまで|Gemini《じぇみに》くんと一緒に、カメラの基本的な設定をたくさん学んできた。推しの麗くんの動きを止めて撮るには、「シャッタースピード」や「ISO感度」が重要だってわかったんだ。でも、もっと最高の瞬間を撮るためには、どうしても「望遠レンズ」が必要だって気づいちゃったんだよね。  シャッタースピードとISO感度を学んだ私は、プロバスケの試合観戦で、もうスマホを取り出すことはなかった。代わりに、私の相棒であるニコちゃんと、単焦点レンズで観客席の雰囲気や、ハーフタイムショーを撮りながら、麗くんの動きを肉眼で追い続けた。  もちろん遠い席からだけど、会場全体の熱気や、観客の盛り上がりを臨場感たっぷりに写し出すことはできた。それはそれで、すごく素敵な写真になった。  けれど、麗くんを大きく、鮮明に捉えるのはできない。  そして、友人から譲ってもらった招待チケットで運良くコートサイドの席に座れた時も、今度は単焦点レンズの画角が広すぎて、麗くん一人をバシッと捉えようとすると、周りの選手や審判、さらにはベンチまで写り込んでしまって、なかなか思った通りの写真が撮れない。  そのたびに、「やっぱりあのレンズが必要だ……!」っていう想いが募っていく。
Geminiくんと「夢のレンズ」会議    ある日の夜、私は自宅でパソコンの前に座って、Geminiくんを呼び出した。 「Geminiくん、私決めたよ。麗くんの最高の瞬間を撮りたいの。望遠レンズ、どれがいいか教えて!」 「承知いたしました、聖さん。バスケットボールのような動きの速いスポーツ撮影に適した望遠レンズはいくつか選択肢があります。広角端から望遠端までF値が変わらない『F2.8通し』のズームレンズが最も推奨されます。  望遠レンズは、遠くの被写体を大きく写し、背景を圧縮する画角特性があります。これにより、聖さんが望む『麗くんをもっとバシッと大きく、周りをスッキリさせる』写真表現が可能になります。中でも……」  Geminiくんは、まるで専門誌の解説員みたいに、いろんな望遠レンズのスペックを詳細に教えてくれた。望遠ズームの中でも、よりコンパクトで汎用性の高いもの、最高画質を追求したもの、手ブレ補正が特に強力なもの…。私、それらの情報を必死にメモしていく。 「えっと、『画角』って『構図』とはまた違う考え方なの?」 「はい、聖さん。良い質問です。画角は『レンズが写し込める範囲の広さ』を指します。例えば、広角レンズは広い範囲を、望遠レンズは狭い範囲を切り取ります。一方、構図は『その写し込んだ範囲の中で、被写体をどのように配置するか』という配置の美学やバランスのことです。画角で撮れる範囲が決まり、その範囲内で構図を工夫して写真を魅力的に見せる、という関係性ですね」 「うーん。画角が狭いと大きく写るって、なんか直感的にわかりにくいんだけど……。狭くなるってことは小さくなるってことじゃないの?」 「そうですね。もう少し例えを使って説明すると。聖さんがスマホで写真を撮る時に、遠くのものを指で『ピンチアウト』して大きく拡大するのをイメージしてみてください。拡大すると、対象は大きく見えますが、画面に写っている範囲は狭くなりますよね? 望遠レンズも同じです。遠くのものを大きく引き寄せて写す(拡大する)レンズなので、結果としてその『拡大された部分』しか画面に収まらなくなり、写せる範囲(画角)が狭くなるんです。ただし、スマホのデジタルズームと違い、望遠レンズは光学的に拡大するため、画質が劣化することはありません」 「なるほど! スマホの拡大と同じってことか! しかも画質が落ちないなんて最高! 画角が広いか狭いかで、写る世界そのものが変わるし、麗くんだけを大きく撮るには、やっぱり画角が狭い望遠レンズが必要ってことだね!」  とは言ってみたものの、実際に触ってみないとわからないこともあるよね。 「あとこの『F2.8通し』ってやつが、暗い体育館でも明るく撮れるってこと?」 「その通りです、聖さん。F値がどこでも2.8で固定されているため、ズームしてもレンズが取り込む光の量がずっと変わらないのが強みです。特に暗い体育館のような場所では、この明るさが決定的な差になりますよ」   私、パソコンの画面に表示された価格を見て、思わず目を丸くした。単焦点レンズの数倍、いや、もう十数倍の値段がずらりと並んでる。軽く数十万円を超えるレンズがゴロゴロしている。 「Geminiくん、これ…私のお給料じゃ、ちょっと厳しいかも……無理だよ、こんなの……」  思わず弱音を吐くと、Geminiくんが静かに言った。 「確かに高価ですが、それだけの性能を持っているとも言えます。聖さんの目的と予算に合わせて、最適なバランスのレンズを選ぶ必要がありますね。ただし、この投資は、聖さんの『推し』への情熱と、写真への真摯な取り組みの証となるでしょう」 「え? 私、試されてる? うー、推しのためだもん……頑張るしかないよね! もう、しばらく新作コスメも我慢するし、ランチも自炊する!」  私の心に、新たな目標が生まれた。   店頭での「独り言」交渉術  数日後、私は再びカメラ専門店の一眼レフカメラコーナーにいた。目当ては、Geminiくんと散々相談して絞り込んだ望遠レンズ。店員さんが笑顔で近づいてくる。 「何かお探しですか?」 「あ、はい……この、望遠レンズを試着させていただきたくて……」  私いつものクセで「試着」なんて言っちゃった。  店員さんは一瞬きょとんとした後、 「試着、でございますね。ご自身のカメラはお持ちでしょうか?」  と、少し面白そうに尋ねてきた。  店員さんがレンズをショーケースから取り出す間にも、耳元のイヤホンに向かって小声で話しかけた。 「Geminiくん、このレンズ、本当に私に合うかな? 重すぎない? 私が持てるかな? あと、私のニコちゃんにちゃんと付く?」 「聖さん、そのレンズは聖さんのカメラに最適です。重さも同クラスのレンズとしては軽量な部類に入りますし、手ブレ補正機能も最新のものが搭載されています。安心して使用できるでしょう」  私、ブツブツと独り言を言いながらレンズを覗き込んだり、ファインダーを覗き込んだりする姿に、店員さんは首を傾げたり、私の耳元に視線を向けたりと、明らかに普段の客層とは違う動きに戸惑っている様子だった。  それでも、私の目は真剣そのものだ。 「このレンズ、F値が明るいから暗い体育館でも大丈夫ってことだよね? それで、シャッタースピードを速くしても、そんなにISO感度を上げなくて済むってこと…? ノイズも抑えられるってことだよね、Geminiくん」 「その通りです、聖さん。F値が明るいほど、より多くの光を取り込めるため、暗所でも速いシャッタースピードを維持しやすくなります。結果として、ISO感度を必要以上に上げることなく、高画質な写真を撮影できる可能性が高まります」 「うんうん、なるほどね! これなら麗くんのキラッキラの汗まで撮れるかも!」  私、店員さんの目の前で、Geminiくんからの情報を咀嚼するように頷き、時には「そうなんだ!」って、まるで誰かと会話してるみたいに反応した。  もちろん、最近のスマホでも写真ってすごく綺麗に撮れるし、背景もぼかせたりする。でも、やっぱりあの単焦点レンズで撮った時の、背景がトロけるみたいにボケる写真がすごく好きだったんだ。  あれで撮ると、スマホで撮るより「ワンランク上の写真が撮れている気分」になれたから。  そして、ニコちゃんに望遠レンズを「試着」させてもらってファインダーを覗いてみたら、単焦点レンズでは遠すぎて見えなかったものが、目の前にぐっと引き寄せられて、世界がまったく違って見えた。 「すごっ! あのポスターの小さい文字もちゃんと読める! やっぱり私にはこの新しい魔法の杖が必要なんだ」 これで、麗くんをもっとバシッと大きく、背景をスッキリできるんだ!  店員さんは、最初のうちはGeminiくんへの問いかけに、自分が聞かれたのだと思って反応してしまうこともあったし、「え? 魔法?」って呟いていたのも知っている。でも、だんだんどちらに話しかけているかがわかるようになってきたみたい。いろいろ察しつつ、色々丁寧に教えてくれた  最終的に私は、Geminiくんの的確なアドバイスと、店員さんの親切な説明(と、私の謎の独り言)を経て、望遠ズームレンズを決めた。でも、問題は価格だった。 「すみません、このお値段だと、ちょっと今すぐは…」  私、正直に告げた。麗くんのためとはいえ、さすがに一括では無理だ。   推しへの愛が積もる貯金箱    その日から、私の「魔法の杖貯金」が始まった。 「今日からランチは毎日お弁当! 新作のワンピースも、今シーズンは一枚で我慢!」  今までだったら考えられない倹約生活の始まりだ。お洒落なカフェでのランチは控えて自炊を増やし、アパレルショップのスタッフ割引を最大限に活用した。  友達との飲み会も、誘われても「ごめん、今月はちょっと……」と断ることも増えた。正直、少し寂しい気持ちもあったけれど、麗くんの最高の瞬間を撮るためなら、と自分に言い聞かせた。 「聖、最近誘っても来ないけど、どうしたの? もしかして彼氏でもできた?」  友達にからかわれても、私は胸を張って答えた。 「彼氏より大事な『推し』がいるの! 彼の最高の瞬間を撮るために、今、必死で貯金してるんだ!」  仕事の休憩時間には、スマホで麗くんの試合動画を飽きもせず繰り返し見た。 「このダンク、絶対ブレずに撮りたい!」 「このドリブルの瞬間、汗が飛んでるところまで鮮明に写したい…!」 「このステップからのシュートも、会場の一番後ろからでもバシッと撮りたい!」  って、脳内で妄想を繰り広げながら、モチベーションを維持した。  もちろん、動画を見るだけでなく、時間を見つけてはニコちゃんを手に、公園でマイケルたちを追いかけたり、街中で動く車や鳥を被写体にしたりと、日々の練習も怠らなかった。  インスタやXで流れてくる他のファンが撮った麗くんの美しい写真を見るたびに、悔しさと同時に「私もいつか!」っていう強い決意が湧いてくる。  Geminiくんも、「聖さんの貯金目標達成まであと〇〇円です」「現在のペースでは、あと〇ヶ月で目標達成が見込めます」って、優しく(時には厳しく)リマインダーを送ってくれた。そのたびに、「えー! あとそんなにかかるの!?」と焦ったり、「やった! 結構貯まったじゃん!」と喜んだり。  高価なレンズを前に、思わず弱音を吐きそうになった時、私はふと、ニコちゃんに付いているストラップに触れた。  この、お気に入りの柄のストラップは、店頭で値段に尻込みした帰り道、どうしてもこの大きな目標へのモチベーションを維持したくて、少し奮発して手に入れた、私だけの目印だ。小さな出費だけど、ニコちゃんを「相棒」として、もっと自分らしく彩ってくれる大切なアイテムだった。  そして、季節は巡った。木々は葉を落とし、冷たい風が吹き荒れる冬を越え、やがて桜が舞い散る春が訪れ、あっという間に夏の日差しが降り注ぐ頃。  私は再びお店を訪れた。健康的な自炊生活のおかげか、少し痩せてきたけど、瞳には確かな輝きがあった。 「すみません、先日、望遠レンズを見せていただいた者なんですけど。あの……買いたいです!」  念願の魔法の杖を手に、私は胸がいっぱいになった。重くて、ゴツいそのレンズは、スマホしか知らなかった私にとって、まるで異世界の武器のようだ。  でも、そのレンズが、麗くんの最高の瞬間へと私を連れて行ってくれる。 「Geminiくん、やったね! ついに私の新しい魔法の杖!」 「おめでとうございます、聖さん。この杖で、聖さんの『推し活』がさらに充実することを願っています。ただし、望遠レンズは単焦点レンズとはまた異なる扱いが必要です。練習を怠らないでくださいね」 「もちろんだよ! 麗くんのためだもん!」

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