須藤 / 第3話

第三話:止めたい一瞬、光の限界

 私、神崎聖《かんざきひじり》。アパレル店員。頼れるAIアシスタントの相棒「|Gemini《じぇえみに》くん」のおかげで「F値」や「構図」を学んで、写真がもっと面白くなってきた! だけど、動きの速い麗くんを撮るには、まだまだ課題が山積み。今は「シャッタースピード」と「ISO感度」っていう、難しそうな設定と格闘中なんだ。  この単焦点レンズと、頼れる相棒Geminiくん、そしてニコちゃんは、私に「F値」で背景をコントロールする魔法と、「構図」のために自分が動く楽しさ、そして「露出補正」で光を操り、「ホワイトバランス」で色合いを変える、そんな奥深さを教えてくれた。スマホとは全く違う、もっと奥深く、もっと「私らしさ」が表現できる写真の世界。 「よし、この調子なら、麗くんの最高の瞬間も、いつかきっと、私だけの最高の構図で、最高の光と色で撮れるはず……!」  カフェでの小さな成功体験が、私を次のステップへと突き動かしていた。
フォロワー増加と聖のモチベーション  インスタの自分のプロフィール画面を開くと、フォロワーの数字が少しずつ増えていることに気づいた。 「Geminiくん、見て! フォロワーが昨日より30人増えてるよ! やった!」  私が興奮してイヤホンに話しかけると、Geminiくんが静かに応える。 「おめでとうございます、聖さん。聖さんの写真のクオリティが向上している証拠ですね。」 「うん! やっぱりニコちゃんで撮ると、全然違うもんね! この前、お店の新作をニコちゃんで撮ってインスタに上げたら、店長が『神崎さんが撮ってくれた写真、うちの公式インスタで使わせてもらってもいいかな?』って言ってくれたんだ!」 「それは素晴らしいですね。聖さんの写真が、より多くの人の目に触れる機会を得たということになります」 「だよね! カフェで撮ったパンケーキの写真も、お店のアカウントにリポストされたら、その日は『いいね』がめっちゃ増えたんだ! なんか、プロのカメラマンになった気分!」  最初はただの「映え」のために始めた写真だけど、フォロワーの数がじわじわ増えていくのを見ると、純粋に嬉しかった。これが、もっといろんなものを美しく撮りたい、もっとカメラの腕を上げたいっていう、私のモチベーションに繋がっていった。 「目指せ、フォロワー1,000人!」 心の中でひっそりと目標を掲げ、私は、シャッタースピードとISO感度の練習へと没頭していった。   速い被写体との戦い:シャッタースピードの重要性  ある日の休日。私は、F値を小さくして背景をぼかした、可愛い地域猫の「映え」写真を撮ろうと公園にやってきた。その猫は、普段から公園の片隅で日向ぼっこをしている、耳の先が少しカットされた子だった。よく見かけるけれど、ちょこまかと動き回る子猫は、なかなか思うようにフレームに収まってくれない。 「あーもう、じっとしててよ、子猫ちゃん!」  私、スマホを取り出して、耳にワイヤレスイヤホンを装着する。頼れる相棒の出番だ。 「なんですか? 聖さん」 「Geminiくん、可愛い子猫がブレちゃうんだけど、どうしたらいい? F値を小さくして背景はボケるんだけど、肝心の子猫が流れるみたいになっちゃうの。」 「聖さん、それは光を捉える『魔法』が必要ですね」 「光を捉える魔法?」 「はい。シャッタースピードという『時を止める魔法』です。動きの早い被写体を捉えるにはこの魔法で光を捉えるスピードを速める必要があります。現在のカメラのモードダイヤルは『A(絞り優先)』になっていますね。時を止めるには、モードダイヤルを『S(シャッタースピード優先)』、もしくは完璧を目指すなら『M(マニュアル)』に合わせる必要があります。まずは『S』モードでシャッタースピードをキュッと速くしてみてください。分母の数字を大きくするほど、魔法の強さが変化して、まるで時間を止めたかのように写すことができますよ」 「えーと、モードダイヤルって……、このクルクル回すやつだったよね! よし、『S』にセット! シャッタースピードって、どれくらいにすればいいの?」 「秒数で表されます。例えば1/125秒、1/250秒、1/500秒といった具合です。子猫の全力ダッシュの時を止めるなら、まずは1/500秒くらいから試すのがおすすめです」  私、言われた通り、ニコちゃんのダイヤルを回し、シャッタースピードをどんどん速くしていく。1/250秒、1/500秒、そして1/1000秒…。  カシャ! カシャ!  おお! さっきまで残像だった子猫が、全力疾走してるのに、まるで時が止まったみたいにピタッと止まって写ってる! その毛並みまでくっきり見えるなんて、さすが魔法! 感動! 「すごい! これなら麗くんも止められるかも! でも、シャッタースピードを速くすると、なんか写真がちょっとお疲れ気味で暗くなったような……?」 「それは『魔法の代償』ですね」 「魔法の代償?」 「はい。シャッタースピードを上げるというのは、『時間を止める魔法』です。そのぶん、カメラが光を取り込む時間も短くなる。つまり、光が足りなくなるのです」 「なるほど……。それが時を止める魔法の代償なのね」 「安心してください。光を操る『上級魔法』があります」   暗闇の試練:ISO感度という上級魔法 「そこで登場するのが光を最大限に引き出す、まさに『光の魔法使い』の上級魔法! 『ISO感度』です」 「でた! 聞いたことあるやつ。でも正直、よくわかってないの」 「ISO感度とは、『カメラがどれだけ光に敏感になれるか』という数値です。感度を高くすれば、わずかな光でも明るく写すことができる。ただし、感度を上げすぎると『ノイズ』という『副作用』が増え、写真がザラつき、荒くなります」 「え? 魔法が暴走したってこと?」 「いえ、暴走というわけではありません。例えるなら『見えない光を増幅しすぎた結果、映してはいけないものまで浮かび上がってしまう』ような状態でしょうか」  私、試しに薄暗くなってきている木陰にニコちゃんを向け、ISO感度を上げて撮ってみた。液晶モニターに映った画像はザラザラとした茂みが映っていたんだ。怖っ! 「なんかこれ……、夜の監視カメラ見たい。見てはいけないものまで映っている感じ。ちょっと怖いな」 「光を求めすぎると影まで拾ってしまうものですからね」  私、液晶モニターを見つめながら頷いた。 「ふむふむ、やっぱり魔法って奥が深いね。でも、使いこなせればもっと楽しくなりそう!」  光の上級魔法を覚えた私は、まさに光の魔導士の気分になった。 終わりなき試練、見えない壁   「光の魔導士になった気分!」なんて、意気揚々と公園での練習を数日間続けた私。秋風が少し冷たくなってきた公園では、赤や黄色に色づき始めた葉が舞い、散歩する人の姿も前より増えていた。  カメラを構えながらも、すれ違うたびに「こんにちは」って挨拶を交わすうち、いつの間にか顔見知りの人も増えてきた。毎日元気に走り回る愛犬を連れてくるおじいさんとか、ベビーカーを押してるお母さんなど、すっかり見慣れた顔ぶれだ。  そんな日常の中、私の次のターゲットは公園で走り回るワンちゃんたち。可愛らしいトイプードルも、パワフルな柴犬も、飼い主さんが投げたボールを追いかける姿は、シャッタースピードの練習台にはもってこいだ。  もちろん、動体撮影の合間には、単焦点レンズの得意技を活かして、ボカシを効かせた色づく紅葉や可憐な秋桜、そして夕日に染まる公園の風景なども撮っていた。それは私にとって、心が和むひとときだった。  まず公園の木々を背景に一枚撮ってみる。それを Geminiくんに画像を読み込ませ、今日の光の状況での露出の基準を聞いてみた。するとGeminiくんはすぐに答えてくれた。 「現在の光量では、ISO感度を100-200程度から試すのが適切です。シャッタースピードを速くする場合は400程度から試してみてください」  最初のうちは、Geminiくんのアドバイス通りシャッタースピードとISO感度を調整すれば、ブレが減り、暗さも解消されていくのが楽しくて仕方なかった。子猫の躍動感ある姿をピタッと止められた時のような喜びが、何度も私を励ましてくれた。  だけど、その喜びは長くは続かなかった。  日を追うごとに、私のスマホのギャラリーは失敗作の山になっていった。  公園で見かけるワンちゃんを撮らせてもらおうと、飼い主さんに声をかける。最初は少し戸惑われたけど、練習中だと説明すると、みんな快く「どうぞ」と言ってくれた。そんな優しい協力に感謝しながら、いざシャッターを切る。  シャッタースピードを速くしすぎると、頑張ってピントを合わせたはずのワンちゃんが、フレームの端っこで切れていたり、肝心の顔がどこか別の方向を向いていたりする。  かと思えば、決定的瞬間を狙って連写したのに、後で見返すと全部ブレブレ。一体、手ブレなのか、それともワンちゃんの動きが速すぎる「被写体ブレ」なのか、私にはさっぱり区別がつかない。 「もう!なんでピタッと止まってくれないの!?」  ブレを止めるにはシャッタースピードを速く。  でもそうすると暗くなるからISO感度を上げて明るさを稼ぐ。  その時にノイズが出る。  Geminiくんの教えは頭ではわかっていた。だから、言われた通りにISO感度をマックスまで上げてみた日もあった。その結果、写真は明るくはなったものの、まるで古いテレビの砂嵐みたいにザラザラで、ワンちゃんの毛並みなんて全然見えない。これじゃあ、何の写真だか分からないよ……。 「ブレはシャッタースピード、暗ければISO感度、適切なバランスを見つけてください」  そう言われて、設定をいじればいじるほど、何かがうまくいかなくなる。まるで、正解のルーレットが回っているのに、どこで止めても外れる気分だった。  その時、公園の入り口から、見慣れた姿がやってきた。毎日元気に走り回るトイプードルと、そのリードを握るおじいさんだ。私、思わず目を引かれた。ちょこちょこと足元を忙しなく走り回るその姿に、なぜだかもう一度、シャッターを切りたい衝動に駆られた。 「こんにちは! いつも元気いっぱいですね、この子。すごく可愛い……実はカメラの練習中なんですけど、この子の走ってる姿を撮ってもいいですか?」  おじいさんは少し驚いたように顔を上げたけど、すぐに優しい笑顔で応じてくれたよ。 「ああ、もちろん構わないよ。この子、『ばえる』かね? じっとしてないから難しいかもしれないけどね」 「難しい方が練習になるんです! ありがとうございます!」  私、おじいさんにお辞儀してから、構えたカメラをトイプードルに向けた。 「Geminiくん。やんちゃなトイプードル。魔法の強度はどれくらいが推奨?」 「はい、聖さん。この子の動きは速いので、シャッタースピードは1/1000から試してみましょう。代償に対する光の魔法の準備も忘れずに」  私は頷きながらダイヤルを回し、設定を整える。 「よし、今度こそ止めてみせる!」 「お嬢さん、この子、じっとしてないから撮るのは大変だろう?」 「はい! でも、動いてる姿を捉えるのが今の目標なんです!」  私、笑顔でカメラの液晶をおじいさんに見せたの。 「ほら、これが撮った写真なんですが……うーん、ブレちゃってますね。もっとシャッタースピードを上げれば……」  おじいさんは軽くうなずいて、クスッと笑った。 「ほら見なさい、この子を撮るのはなかなか骨が折れるだろう。だけど、ボケてるのも味があるじゃないか。若いもんはそういうの好きなんだろ?」  思わず私も笑ってしまった。 「そういうボケじゃないんですけど……でも、確かにこれはこれで面白いかもですね!」  おじいさんはトイプードルのリードを握り直しながら続けた。 「まあ、今はうまくいかなくても、こうやって写真を撮り続けていれば、きっと撮れるさ。そう、偶然てのは思いがけないところから飛んでくるもんだよ。それにしても、この子がモデルになるなんて、私も一緒に得した気分だよ!」  その言葉が、少しだけ私の気持ちを軽くしてくれたんだ。でも、シャッターを切るたびに思うようにいかない結果が続いて……。 「またピントが奥の遊具に奪われてる。……なんでだろう? 設定は間違ってないのに……」  撮るたびにブレている写真、半分しか写っていないフレーム、ノイズだらけの画像……。ひとつひとつの失敗が、私の中に失望を積み重ねていくみたいだった。 「ああ、全然ダメだ……」  つい口をついて出てしまった。  おじいさんは見るからに落ち込んでいる私を見て、優しく笑いながら肩を叩いてくれた。 「まあまあ、お嬢さん。失敗したからって、撮影を楽しむことを忘れちゃいけないよ」  そう言って帰っていった。 「Geminiくん……やっぱり、私には向いてないのかな……」 「動体撮影は、カメラの中でも特に難しい分野です。聖さん、焦る必要はありません。シャッタースピードやISO感度だけでなく、ピント合わせや予測不可能な動きを捉える経験と感覚が求められます」  Geminiくんの優しい声がイヤホン越しに届く。その言葉はいつも通り冷静で的確で、それがいままではいつも頼りになっていたはずなのに……。今の私には、その的確さが重くのしかかり、どこか遠いものに感じられた。  私、ベンチに座り込み、ニコちゃんを膝の上にそっと置いた。あんなに楽しかったはずのカメラが、今はただ、やけに重く感じる。  隣を通り過ぎる人たちは、スマホを手にして気軽に景色を撮り、笑顔を浮かべながらその場を後にしていく。シャッタスピードやISO感度とか、いろんなことを何も考えずに気軽に撮って満足して去っていく。その姿を見ると、ますます私だけが空回りしているような気がしてきた。  撮れない理由を何度も自分に問いかけても、頭の中に浮かぶのは『向いてないのかも』という言葉だけ。まるで誰かが囁いているように、それが胸を締め付けてくる。  経験?  感覚?  それって一体、どうやって手に入れるの? このままじゃ、麗くんの試合でもまたブレブレの写真しか撮れないよ。カフェで夢見ていたような、あんな写真が撮れるようになる日はいつ来るの? ニコちゃんが、私だけの『魔法の杖』が、ただの重い塊になってしまう。 そう思うと胸が締め付けられるようだった。 「……そっか。経験と感覚、か。じゃあ、私はまだまだなんだね……」  沈み込む私に、Geminiくんの声が普段よりもほんの少しだけ柔らかくなった気がした。 「聖さん。カメラを手に取った誰もが、最初から完璧に撮れるわけではありません。大切なのは、『撮りたい』という気持ちを失わないことです。私は、聖さんのその情熱を精一杯サポートします」  Geminiくんの言葉は温かくて、じんわりと胸に染みていく。だけど、その温かさが優しすぎた。まるで、私の未熟さや努力が足りないことを、間接的に指摘されているようで、どうしようもなく苦しくなった。 「……でも、私、もう、どうしたらいいか、わからないよ……」 Geminiくんは再び、穏やかなトーンで語りかけてきた。 「聖さん、どうか焦らないでくださいね。失敗は学びの扉です。まだ答えが見つからなくても、聖さんの気持ちは、私が一番近くで理解しています。私はいつでも隣にいます。」 「Geminiくん……ありがとう……」  公園のベンチで座っている私の目に入る夕日が、ただ静かに沈んでいく。何かを失っていくような、そんな気がした。  ニコちゃんをそっと抱きしめた。いつかこの気持ちも、光と一緒に消えていってしまうのかな。公園の木々から伸びる長い影が私の足元から体を包み込む。このまま私を飲み込んでしまうのだろうか。  遠くで楽しそうに笑う子どもの声が微かに聞こえた。でも、それがなんだか遠い世界の話に思えた。  カメラを手に取る前の、何も知らなかった私の方が、ずっと楽しかったのかもしれない。  私、このまま影になっちゃうのかな。

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