芦名 雅 / 第40話

第40話 生ビールと、言えなかった言葉

どこかで、誰かの恋がはじまる 「お疲れ様でした! かんぱーい!」 金曜日の夜、駅前の小さな居酒屋「大将」の座敷席で、営業部の同期五人が、一週間の疲れを労うように乾杯の声を上げた。 「はあ、今週も長かったぁ……」 隣の席で、生ビールを一気に呷るのは、同期の中でも特に仲の良い、営業事務の朝倉あさくら詩織しおりだった。向かいに座る営業担当の橋本はしもと大輝だいきは、そんな詩織の様子を見て、思わず笑ってしまう。 「詩織、飲みっぷりいいな」 「今週、大輝のフォローで残業続きだったんだから、これくらい許して」 「それは、悪かったって。今度、埋め合わせするから」 軽口を叩き合う二人を、他の同期たちは、いつものことだと生温かい目で見守っていた。この二人が実は互いに気になっているらしいという噂は、同期内では、もはや周知の事実になっている。 * * * 宴もたけなわ、二軒目のカラオケに移動する流れの中、詩織は少し飲みすぎたのか、足元が覚束なくなっていた。 「詩織、大丈夫か? 肩、貸すぞ」 「平気、平気。……あれ、ちょっと待って、靴紐」 しゃがみ込んで靴紐を結び直そうとした拍子に、詩織はバランスを崩し、思わず大輝の腕に倒れ込んでしまった。 「わっ、ちょ、大丈夫か!?」 「ご、ごめん……ありがと」 近すぎる距離に、詩織は一瞬で酔いが覚めるような感覚を覚えた。大輝の方も、慌てて詩織を支えながら、明らかに動揺している様子だった。 「あの、大輝。腕、そろそろ離してもらっても」 「あ、悪い!」 慌てて手を離す大輝。その耳が赤くなっているのを、詩織は見逃さなかった。 * * * 二軒目のカラオケでは、賑やかに盛り上がる同期たちを尻目に、詩織と大輝は、なぜか自然と隣同士の席に落ち着いていた。 「なあ、詩織」 「なに」 「今日、ちょっと聞きたいことあるんだけど」 いつになく真剣な声色に、詩織は少し身構える。 「同期のみんな、俺たちのこと、なんか、いい感じの雰囲気だって、よく言うだろ」 「ああ、あれね。放っておけばいいよ、からかい半分なんだから」 「……本当に、からかい半分なだけだと思うか?」 大輝の問いに、詩織は思わず言葉に詰まった。周りの喧騒が、急に遠くなる。 「大輝、それ、どういう意味で聞いてる?」 「はっきり言う。詩織のこと、同期としてじゃなく、ずっと前から気になってた。今日、酔った勢いで言うのは情けないけど、この機会逃したら、多分ずっと言えない気がして」 まっすぐな告白に、詩織はしばらく黙り込んだ。それから、照れくさそうに、それでもはっきりと答える。 「……実は私も、同じ。ずっと、大輝のこと気になってた。同期のみんなにからかわれるたび、否定しきれない自分に、内心困ってた」 「マジで?」 「マジ」 二人が見つめ合っていると、隣のブースから、同期の一人が突然カーテンを開けて顔を出した。 「おーい、二人とも、次の曲入れるけど、デュエットする?」 「「今それどころじゃない」」 息ぴったりに返した二人に、同期は状況を察したのか、ニヤニヤしながらすぐにカーテンを閉め直した。 「……なんか、締まらないタイミングだったな」 「うん、締まらない。でも、大輝らしいというか」 詩織は思わず笑い出し、大輝もつられて笑った。賑やかなカラオケボックスの中、二人だけの静かな時間が、確かに始まっていた。 「じゃあ、今度こそ、ちゃんと二人で飲みに行こう。同期の集まりじゃなくて」 「うん。約束」 生ビールの酔いも手伝ってか、詩織の頬は、いつも以上に赤く染まっていた。金曜の夜、賑やかな居酒屋から始まった小さな物語は、こうして、二人だけの新しい関係へと、静かに繋がっていった。

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