芦名 雅 / 第12話

第12話 最後の夏に、君を焼き付ける

どこかで、誰かの恋がはじまる 病室の窓から見える空は、今日も痛いくらいに青かった。 「また来たの。暇なんだね、颯太そうた」 ベッドの上で本を読んでいた凪咲なぎさは、顔を上げずにそう言った。素っ気ない口調とは裏腹に、しおりを挟むその指先は、どこか嬉しそうに動いていた。 「暇なわけあるか。受験生だぞ、俺は」 「じゃあ勉強すればいいのに」 「凪咲の顔見ないと、集中できないんだよ」 颯太は椅子を引き寄せながら、平然とそんな台詞を口にする。三年前、入院生活を送る凪咲のクラスメイトとして知り合って以来、彼はほとんど毎日のようにこの病室に通い続けていた。 「今日の主治医の話、聞いた?」 凪咲がぽつりと切り出した。颯太の表情が、わずかに強張る。 「……ああ、聞いた」 「思ったより、早いみたい」 窓の外、入道雲が夏の空に大きく広がっている。凪咲の病状が、いよいよ予断を許さない段階に入ったことは、颯太も薄々気づいていた。それでも、はっきりと言葉にされると、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。 「なあ、凪咲」 「なに」 「まだやってないことリスト、覚えてるか。二年前に作ったやつ」 「もちろん。海に行くとか、花火大会とか、色々書いたよね」 「今年の夏、全部やろう。俺が、全部連れて行く」 颯太の言葉に、凪咲は少し驚いたように目を見開いた。それから、困ったように笑う。 「私の体、外出許可、そんなに簡単には下りないよ」 「主治医の先生には、もう頼み込んである。短時間なら、外出許可出せるって」 「……もう頼んでたの?」 「凪咲に断られる前に、外堀から埋めておいた」 得意げに笑う颯太に、凪咲は思わず噴き出した。こういう強引なところが、昔から変わらない。それでいて、いつも自分のことを一番に考えてくれていることも、痛いほど伝わってくる。 「ずるいよ、颯太は」 「ずるくてもいい。凪咲と、少しでも多くの景色を見たいだけだから」 * * * その夏、二人は約束していた場所を一つずつ巡った。海辺で貝殻を拾い、屋台の綿菓子を分け合い、打ち上げ花火を並んで見上げた。車椅子を押す颯太の手は、いつも優しく、それでいて力強かった。 花火大会の夜、人混みから少し離れた土手で、凪咲はぽつりと呟いた。 「颯太、ありがとう。こんなにたくさん、思い出作ってくれて」 「まだ終わりじゃない。来年も、再来年も、一緒に見るんだから」 「……無理な約束、しないでいいよ」 「無理じゃない。俺が、そうすると決めたことだから」 颯太は凪咲の手を、そっと握った。夜空に咲く大輪の花火が、二人の顔を赤や青に染めていく。 「もし――」 凪咲が言いかけた言葉を、颯太は静かに遮った。 「もし、なんて考えるのは、今夜だけはやめよう。今この瞬間、凪咲がここにいて、俺の隣で花火を見てる。それだけで、俺にとっては十分だ」 「……颯太」 「好きだよ、凪咲。ずっと前から、変わらず」 涙をこらえるように微笑んだ凪咲は、颯太の肩にそっと頭を預けた。 「私も、好き。颯太がいてくれたから、この三年間、頑張れた」 夜空に響く花火の音と、二人分の静かな鼓動だけが、その夜の記憶に深く刻まれていった。未来がどうなるかは、誰にも分からない。それでも、この瞬間だけは、確かに二人だけのものだった。

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