芦名 雅 / 第1話

序章 卒業式で、また

※本作は架空の島・架空の戦争を舞台にしたオリジナル創作です。 特定の実在人物・部隊・出来事を直接描いたものではありません その写真を撮った日、十四人は笑っていた。 三列に並んだ女学生十三人と、担任の仲村昌子。後ろには、白い漆喰の校舎と大きなガジュマルの木が写っている。 「夏子、前向いて」 「向いてるってば」 「口に何か入ってるでしょう」 「黒糖」 「写真撮るときくらい我慢しなさい」 先生が呆れ、少女たちが笑った。 戦争末期の青凪島。 六月の午後だった。窓の外では蝉が鳴き、潮を含んだ風が教室のカーテンをゆっくり膨らませていた。校庭の端に掘られた防空壕さえ見なければ、去年と同じ夏に見えた。黒板には消しきれない白い粉が残り、廊下からは誰かの上履きが走る音がした。戦争はそこにあるのに、日常の形だけはまだ壊れきらずに残っていた。 空襲警報は日常になり、校庭には防空壕が掘られ、授業より勤労奉仕の日の方が多くなっていた。それでも彼女たちはまだ女学生だった。 授業中に居眠りをすれば叱られた。 友達の弁当のおかずを勝手に取れば怒られた。 好きな男子の名前を言い当てられれば、顔を真っ赤にして否定した。 昼休みになると、十三人は教室の後ろへ机を寄せた。配給が減ってから弁当はずいぶん小さくなったが、誰が何を持ってきたかを覗き込む習慣だけは変わらなかった。 夏子は自分の黒糖を半分に割るふりをして、一番大きい方を口へ入れた。 「今、大きい方食べたでしょう」 律子が見咎める。 「気のせいです、委員長」 「口の中見せて」 「横暴だ」 笑いが起きた。 千鶴はその横で、灯子の白いリボンのほつれを縫っていた。灯子が朝、机の角に引っかけたものだった。 「自分でやれるって」 「昨日もそう言って曲がってた」 「リボンに曲がるも何もないでしょう」 「あるの」 千鶴は糸を歯で切り、満足そうに結び目を指で潰した。 窓際では澄江がノートを読んでいた。夏子が覗こうとすると、胸へ抱えて隠す。 「小説?」 「違う」 「じゃあ見せて」 「違うから見せない」 かなと初江は廊下側で髪の話をしていた。初江がかなの前髪を指でつまみ、「ここ切ったら絶対かわいい」と言い、かなは「戦争が終わったら勝手にして」と手を払った。 美代は机を鍵盤代わりに指で叩き、富美が「うるさい」と言いながら同じ調子で弁当箱の蓋を鳴らした。良子はそんな二人へ、写真を撮る真似をして指で四角を作る。文と節子は廊下の向こうを見ながら、購買に砂糖が入ったらしいという噂が本当かどうかで言い争っていた。朝子はその全部を聞きながら、宛名の書き損じた封筒を便箋代わりにして家族へ短い手紙を書いていた。 十三人が同じ場所にいれば、十三人分の音がした。笑い声だけではない。紙をめくる音、糸を引く音、机を叩く指、誰かがため息をつく音。灯子はそれを騒がしいと思っていた。 その騒がしさが、あとでどれほど贅沢なものになるのかは知らなかった。 卒業後の話だってした。 宮里灯子は教師になりたかった。 真栄田千鶴は洋裁店を持ちたかった。 新垣澄江は自分の書いた小説を書店に並べたかった。 比嘉夏子は「まず腹いっぱいアイスクリームを食べる」と言った。職業を聞かれているのに、である。 城間律子は役場で働き、島に水道を引く仕事に関わりたいと言った。 金城初江は美容師になりたかった。 与那嶺朝子は郵便局で働き、島の外から届く手紙を配りたかった。 山城かなは『卒業したら髪を短くして、魚市場で母を手伝う』と言っていた。 上原美代は音楽が好きで、いつか子供たちにピアノを教えたいと言った。 宮城富美は実家の畑を継ぎ、『もっと楽に耕せる機械を買う』と笑った。 仲宗根良子は写真館で働きたかった。人の笑った顔を残す仕事がしたいのだと言った。 大城文は菓子職人になって、島で一番甘い菓子を作るのが夢だった。 喜屋武節子は船会社の事務員になり、毎日港で島の外へ行く船を見たいと言った。 十三人には、十三通りの未来があった。 昌子は教壇から彼女たちを見ていた。笑うとき、いつも十三人を一度に見る癖があった。教師になったばかりのころ、生徒を一人だけ校外学習の列から見失い、顔から血の気が引く思いをした。それ以来、人数を数えるのが習慣になっていた。 一、二、三。視線だけで数えて、十三。 その日の放課後、職員室で軍から届いた薄い封筒を開いたときも、昌子は無意識に名簿の十三の名前を指でなぞった。紙には「看護補助」「後方」という言葉があった。危険は少ないと説明された。 昌子はそれを信じたかった。信じなければ、生徒の名前をその紙へ書き写せなかった。 その未来は、誰も大げさに口にするようなものではなかった。来年も季節が巡り、卒業して、働いて、腹を立てたり笑ったりしながら年を取る。その続きがあることを、少女たちは空気と同じように疑っていなかった。灯子自身も、「十七歳になる」ということを願いだと思ったことは一度もなかった。 写真撮影が終わったあと、先生は十三本の白いリボンを確認した。 学校指定の髪飾りだった。 「明日から陸軍病院の看護補助に入ります。なくさないようにね」 千鶴が自分のリボンを結び直しながら言った。 「先生。帰ってきたら、本当に卒業式してくれるんですよね」 「もちろん」 「そのころには戦争も終わってるかな」 夏子が言う。 誰も答えなかった。 代わりに昌子は笑った。 「帰ってきたら、まず卒業式です」 「じゃあ、それまでリボンなくさないようにしよう」 澄江が言った。 「卒業式もこれで出る?」 「制服だしね」 「私は新しい服作る。千鶴に頼む」 「お金取るよ」 「友達価格で」 くだらない会話だった。 くだらないからこそ、誰も覚えておこうとはしなかった。 その夜、灯子は写真の裏に鉛筆で書いた。 『卒業式で、また』 それが、十四人全員が揃って交わした最後の約束になるとは知らずに。

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