芦名 雅 / 第15話

第14章 一発だけ

※本作は架空の島・架空の戦争を舞台にしたオリジナル創作です。 特定の実在人物・部隊・出来事を直接描いたものではありません 灯子は夜を一人で過ごした。 暗くなると、人数を数える必要がないことが分からなくなった。 灯子は何度か目を覚まし、そのたび無意識に周囲へ視線を走らせた。誰かが足りない、と身体が先に焦った。 それから、足りないのではなく自分しかいないのだと思い出した。 一人なら、点呼は必要ない。 その簡単な事実が、どうしても頭へ馴染まなかった。 夏子のそばにはいられなかった。 また砲撃が始まったからだ。 逃げた。 それだけだった。 朝になった。 夜明けは容赦なく明るかった。森の葉は雨に洗われたように光り、蜘蛛の巣には小さな水滴が並んでいた。世界は何も失っていない顔で朝を迎えていた。灯子だけが、昨日までいた人たちの不在を全部抱えて立っていた。 空は青かった。 ひどく静かだった。 遠くで鳥が鳴いていた。 灯子は歩いた。 最初は、みんなの名前を順番に言いながら歩いた。 千鶴。澄江。夏子。律子。初江。朝子。 そこから先で詰まった。 「違う」 灯子は立ち止まり、最初からやり直した。 十三人いた。確かに十三人いたのに、名前の順番が出てこなかった。 鞄からノートを出せば確認できた。けれど出さなかった。自分の頭の中から友達が消えていくことを認めるようで怖かった。 しばらくして、名前を言うのをやめた。歩くことだけに集中した。右足。左足。息を吸う。吐く。 人間の人生は本当ならもっと複雑なはずなのに、その朝の灯子にはそれだけしか残っていなかった。 どこへ行けばいいのか分からなかった。 北の谷に避難者がいるという話も、もう信じられなかった。 海へ戻るのも怖かった。 軍の壕もなかった。 先生もいなかった。 友達もいなかった。 ノートだけが鞄に入っていた。 澄江から渡されたから持っているだけだった。 何かを後世へ残す使命など考えていなかった。 喉が渇いていた。 足が痛かった。 母に会いたかった。 母に会ったら何を言うかまでは考えられなかった。謝るのか、泣くのか、何も言わず抱きつくのか。想像しようとすると、母の顔の輪郭まで曖昧になった。 忘れたわけではない。疲れすぎて、思い出す力までなくなっていた。 灯子はそのことに怯えた。死ぬことだけではなく、生きたまま自分の中から大事なものが薄くなっていくことも怖かった。 家の布団で寝たかった。 灯子は学校の方向へ歩いた。 道と呼べるものはほとんど残っていなかった。斜面を下り、倒木を越え、砲弾の穴を迂回する。靴の中で血と泥が混じり、歩くたび踵が焼けるように痛んだ。けれど痛いということは、まだ身体が自分のものだという証拠でもあった。 帰れるとは思っていなかった。 それでも、ほかに行きたい場所がなかった。 昼前、森を抜けた。 遠くに女学校のある山が見えた。 白い校舎までは見えなかった。 ガジュマルも見えなかった。 でも方向だけは分かった。 山の稜線は、毎日教室の窓から見ていた形だった。あの向こうに校庭があり、講堂があり、母のいる町がある。たったそれだけの地形が、灯子にはこの世に残った唯一の確かなものに見えた。 灯子は立ち止まった。 「……帰りたい」 誰に言ったのか自分でも分からなかった。 返事はなかった。 砲声が一度だけ聞こえた。 遠いと思った。 その一瞬、灯子は空を見上げた。雲の切れ間が眩しく、鳥が二羽、山の方へ飛んでいた。砲弾は目に見えなかった。音と死のあいだに、警告になるものは何もなかった。 走る必要はないと思った。 次の瞬間、地面が持ち上がった。 灯子は倒れた。 何が起きたのか理解する時間はなかった。 痛いと思う時間があったのかも分からない。 ノートが鞄から飛び出した。 白いリボンが一つ、草の上へ落ちた。 灯子は動かなかった。 二発目は来なかった。 その一発だけだった。 爆煙はやがて風に薄まり、草はまた揺れ始めた。鳥の声も戻った。誰かが駆け寄ることはなかった。灯子が倒れた場所だけが特別になることもなかった。しばらくすれば、そこにも同じ日差しが落ちた。 誰が撃った砲弾なのか。 何を狙ったものなのか。 戦後も分からなかった。 そこに敵兵がいたわけでもなかった。 軍の施設もなかった。 灯子がそこにいたことを、砲弾は知らなかった。 宮里灯子、十六歳。 最後に何を考えたのかは分からない。 最後の言葉も記録されなかった。 その日、青凪女子学徒看護隊の生徒十三人は、一人も帰らなかった。 十三人の死によって何かが達成されたわけではなかった。 戦局は変わらなかった。 島が救われたわけでもなかった。 誰かの命と交換されたわけでもなかった。 ただ、十三人の人生がなくなった。

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