芦名 雅 / 第14話

幕間 ひまりの告白

文化祭まで残り五日。 ひまりは放課後、陸を呼び出した。 場所は校舎裏。 あまりにも告白らしい場所で、陸は着いた瞬間に何となく察した。 「月島」 「まだ何も言ってないよ」 「いや......」 「顔に出てる」 ひまりは笑った。 でも、いつもの軽い笑い方ではなかった。 「私、相楽くんが好き」 真正面から言った。 陸は息を止めた。 分かっていたはずなのに、本人の口から聞くと重さが違う。 「最初はちょっと気になるくらいだった。でも桜庭さんが来て、焦って、取られたくないって思って。それで、本当に好きなんだって分かった」 「月島......」 「返事、聞いていい?」 陸は迷った。 ひまりはいい子だ。 明るい。 話しやすい。 自分を好きだと言ってくれる。 もし茜が帰ってこなかったら。 そんな仮定が一瞬浮かび、陸はすぐに消した。 それは失礼だと思った。 目の前のひまりにも。 そして茜にも。 「ごめん」 ひまりは目を閉じた。 「やっぱり?」 「俺、茜が好きだと思う」 「思う?」 「......好きだ」 口にした瞬間、陸自身が一番驚いた。 誰かに言うことで、曖昧だった気持ちが形になった。 ひまりは数秒黙ったあと、笑った。 「そっか」 声は少し震えていた。 「ごめん」 「二回言わなくていい。惨めになるから」 「悪い」 「三回目」 陸は黙った。 ひまりは空を見上げた。 「悔しいなあ」 「......うん」 「そこ否定しないんだ」 「何て言えばいいんだよ」 「分かんない」 二人とも少し笑った。 ひまりの目には涙が浮かんでいた。 でも泣かなかった。 「ねえ、相楽くん」 「ん?」 「だったらちゃんと告白して」 「え?」 「私を振っておいて、桜庭さんとは『幼馴染だから』で曖昧なままとか許さないから」 「......分かった」 「あと、ノートとか昔の約束とか、そういう答え合わせで決めないでね」 ひまりは真剣な目をした。 「今の桜庭さんを好きなら、今の桜庭さんに言って」 その言葉は、陸の胸に深く刺さった。 八年前の約束。 図鑑。 四つ葉。 全部大切だ。 でも、それだけではない。 文化祭の準備で誰より働く茜。 失敗したくなくて一人で抱え込む茜。 甘味処で真剣にあんみつを選ぶ茜。 英語を褒められて複雑な顔をする茜。 口元を隠さず笑うようになった茜。 今の茜。 「ありがとう、月島」 「お礼言われると腹立つ」 「じゃあ言わない」 「もう言った」 ひまりは涙を指で拭った。 「文化祭、ちゃんと成功させようね」 「ああ」 「桜庭さんには、このこと言わなくていいから」 「いいのか?」 「私から言う」 「え?」 「女同士の話」 翌日の昼休み。 ひまりは茜を階段の踊り場へ呼んだ。 「私、昨日、相楽くんに告白した」 茜の顔から血の気が引いた。 「......返事は?」 ひまりは少し意地悪をしたくなった。 「どうだと思う?」 茜は答えられなかった。 ひまりは、その顔をしばらく見つめたあと、視線を逸らした。 「……今日は、教えない」 「え?」 「私が言った答えを聞いて安心してから動くんじゃ、たぶん意味ないから」 それだけ言って、ひまりは階段を下りていった。 取り残された茜は、手すりを握ったまま動けなかった。 もし、陸がひまりを選んでいたら。 その想像を、今まで何度も途中で打ち消してきた。けれどこの日は、最後まで考えてしまった。 放課後。茜は一人で帰った。 家に着くと、机の奥から八年間の手紙を入れた箱を取り出した。 『会いたい』。『忘れないで』。『帰ったら普通に話したい』。 どれも送れなかった言葉だった。 茜は一番上の封筒を手に取り、しばらく見つめたあと、箱の蓋を閉じた。 「……もう、やめようかな」 口にした瞬間、胸の奥が鋭く痛んだ。 八年前の約束にしがみつくのも、弁当を作るのも、陸が誰と話しているか気にするのも。 陸が幸せなら、それでいい。そう思えたら綺麗だった。 でも、思えなかった。 悔しくて、寂しくて、涙が出た。 それでも茜は翌朝、弁当箱を一つだけ鞄に入れた。陸の分は作らなかった。 学校へ向かう途中で、何度も引き返して作り直したくなった。それでも歩いた。 ――好きだからこそ、諦めなければならないこともある。 その覚悟を、茜は初めて本気でしようとしていた。 翌日の昼休み、ひまりが茜の机の横に立った。 「昨日の返事、言うね」 茜は顔を上げられなかった。 「……うん」 「振られた」 茜が顔を上げる。 喜びそうになって、必死で抑えた顔。 ひまりは笑った。 「その顔、失礼」 「ご、ごめん」 「いいよ。私も性格悪いことしたし」 「月島さん......」 「でもね」 ひまりは一歩近づいた。 「私、ちゃんと言ったよ」 茜の表情が固まる。 「八年分あるんでしょ」 「......」 「何もしないで、怖いからって逃げ続けるのは、私に失礼だから」 茜は唇を噛んだ。 「分かってる」 「本当に?」 「分かってる......!」 今にも泣きそうな声だった。 ひまりはそれ以上追い詰めなかった。 「じゃあ、頑張って」 「......なんで応援するの」 「別に応援じゃない」 ひまりは笑った。 「私を振った男が、いつまでもうじうじしてるのがムカつくだけ」 茜はしばらく黙ってから、小さく頭を下げた。 「ありがとう」 「だから応援じゃないって」 二人は初めて、恋敵ではなく、同じ人を本気で好きになった者同士として笑った。 すれ違いが始まった一週間、茜は弁当を作るのをやめた。正確には、作れなかった。朝、いつものように卵を割っても、陸がひまりと話している光景が浮かんで手が止まる。  母親は何も聞かなかった。ただ、二人分並んでいた弁当箱が一つになったことだけを見ていた。 「茜」 「何」 「恋って、相手に勝つことじゃないからね」  包丁を持つ手が止まった。 「急に何」 「独り言」 「意味分かんない」 「そう」  母はそれ以上言わなかった。  茜は悔しかった。ひまりにではない。陸にでもない。何年も好きだったくせに、いざ失うかもしれないと思った途端、逃げることしかできない自分に腹が立った。  その頃、陸も昼休みの机を見ていた。以前なら当然のように置かれた弁当がない。それだけで教室の景色まで違って見える。 「コンビニパン、そんなまずそうに食うやつ初めて見た」  悠人が言った。 「普通だよ」 「桜庭弁当に舌が慣れたんじゃね」  否定しようとして、陸はやめた。  味だけではない。蓋を開ける前のやり取りも、「多く作っただけ」という嘘も、食べ終わったあと茜がちらりと空箱を確認する仕草も、全部込みで昼休みだった。 「なあ悠人」 「ん?」 「幼馴染が他のやつと付き合ったら、普通どう思う?」 「幼馴染による」 「役に立たないな」 「じゃあ質問変えろ。桜庭が誰かと付き合ったら、お前どう思う?」  陸は答えられなかった。  想像しただけで、胸の奥が嫌な形に縮んだ。  悠人はため息をついた。 「それが答えじゃね?」  陸は初めて、自分が何を恐れているのか理解した。八年前の約束がなくなることではない。今の茜が、自分の隣からいなくなることだった。

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