橋本直 / 第77話

第72話 疑問を持たない国民

「平和で中立的な立場はいいことなんだけど、もしそれが『この国』を統括する『存在』の身勝手な『意思』の結果だとしたらどうか知らねえ……誠ちゃん?それって少し気持ち悪くない?だってこの平和はその本来何を目的としているか分からない『意思』の単なる気まぐれの産物かも知れないってこともあり得るわけよね?私はそんなの嫌だなあって思うわけ。それにそもそもその『意思』の思考パターン自体がどうかしているんじゃないかと」  アメリアが砕けた調子でそんな砕けた調子のアメリアを見て、誠も不謹慎だと思いながらも苦笑いを浮かべてしまった。それに気を良くしたようにアメリアは同じ口調で続ける。 「だってやたらと20世紀の日本で味わえた魚ばかり食べられる国にこの国にするということ自体がかなりおかしくない?なんでそんなに20世紀の日本に住んでた人達が好きだった魚が取り放題なの?この星の海にはそもそも脊椎動物なんて生息していなかったのにその環境を無理やり変えてそんな状況を作るなんて無駄なことをなんでその『意思』は思いついたのかしら?もしかして変態的なまでに魚好きなの?まあ、ランちゃんは『うめー魚が食えるんだから万々歳だ』とか言いそうだけど。あの人はカロリーのほとんどを魚で摂取している……と言うかその量自体が質量保存の法則が疑わしくなるような量なんだけどね。今度、宴会とかで本気でおいしい魚が出た時のランちゃんの食べる量を見ればその異常さにランちゃんが三次元世界の存在だと信じられなくなるわよ」  笑顔のアメリアに誠も苦笑いを浮かべた。確かに、脊椎動物がほとんどいなかった海に今は誠も大好きなイワシやサバやアジが泳ぎ、誠自身もそんなものがごく普通に食卓に上る日常を当たり前として生きていた。そのどれもがアメリアに指摘されてみれば地球で生きていた魚であることは誠でも知っている事実である。魚自身に何十光年もの距離を超える能力などあるはずがない。そして、その『意思』には東和近海の生態環境そのものを20世紀末の日本近海に近づけ、その上で地球の魚を持ち込んだとしか考えられないことはアメリアに指摘されるまで、誠は考えたことも無かった。そしてあのランが限りなく魚が好きな食通なのだと理解するには十分な話だった。 「おいしい魚が食べられるから幸せ?確かにこの東和に来てお魚がおいしいのはゲルパルト出身の私にはカルチャーショックだったけど。でも、ゲルパルトや外惑星の魚を食べ慣れない人達はランちゃんがいくらかわいい笑顔で『コイツの肝は食ってみて初めて人間と言える!』とかほとんどパワハラ的な迫力で言われても食べられない人間が居る事を……まあ、ランちゃんは理解してないわね。あの人は鯉が最高のごちそうの遼南共和国の出身だから。でも、そんな魚が食べられて自国だけは平和なんておかしなことだと少なくとも私にはそう思えるなあ……さっき言ったように食べ物まで20世紀末日本を完全再現しようとしたり、形が似ているからと言って深海を埋め立てたり、湿地に無理やり山を作ってそれが火山でもないのにその山頂に噴煙を模した煙が出る機械を置くなんてどう考えても変だもの。なんでそんなに20世紀末日本にこだわるの『ビッグブラザー』さん。まあ、そう考えちゃうのは私が同じ遼州圏でも『デジタル』システムの管理下にあるゲルパルトの出身だからかもしれないけど」  誠は笑いかけたまま、笑い損ねた。  魚の話をしていたはずだった。  なのに、アメリアの言葉はいつの間にか、国家と戦争と金の話になっている。  この人はふざけているのではない。  ふざけた言葉で、自分が知らなかった地獄の扉を開けているのだ。 「さっきも言ったけど『戦争は平和である』……この言葉を聞いて誠ちゃんは、誠ちゃんはどう思う?そしてその言葉がこの国では口には出されないけれども当たり前のこととして存在してその言葉の意味することが生み出す利益がこの国の多くのシステムを強制的に支えている……その事実について誠ちゃんはどう考えるのかしら?」  誠は、自分の保険証を思い出した。  病院の窓口で何気なく差し出していた、あの小さなカード。  それが、どこかの国の核戦争の利子で支えられている。  そう考えた瞬間、胃の奥が冷たくなった。 「そのお金は地球の戦争から生み出されている。地球人がその戦闘本能を満たすために戦争を始めるのにお金がいるとなるとその『意思』は共済年金を管理している共済組合に多額の戦時国債の引き受けを命じるわけ。誠ちゃんのお父さんの保険料は地球人が敵国に落とす核ミサイルとそれを護衛する戦闘機の為に使われることになる訳よ。そしてとんでもない利回りで運用される戦時国債が誠ちゃんの医療費がタダと言う生活を支えている。誠ちゃんはそんな生活を当たり前のものとして生きてきた。そんな『意思』の存在になんか興味も持たずに……でも私は興味があるなー……まあ、戦時国債の話は隊長の話を聞いて政府系の金融機関の公表されてる保有資産を見れば誠ちゃんでも手持ちの端末で簡単に調べられるわよ。その膨れ上がっている資産を生み出す仕組みが『ビッグブラザー』の意思によるものと言うのは私の推測。政府系金融機関がそろいもそろって同じようなタイミングで資産を増やしていると言うデータを見せられれば嫌でもそんな存在がいるって信じたくもなるわよ」  アメリアは、いつもの陽気な顔ではなく、まるで『誰かに見られている』かのように小声で言った。 声は低く、部屋の隅にまで届くか届かないかの瀬戸際だ。 「これは、地球の作家が創り出した『架空の概念』だったはず。でも、この国では、それが『現実』になっている。20世紀までは悪夢の象徴だった『監視国家』なんていう概念は21世紀のどんなに自由だと言われる地球圏の国々では完成していた概念だものね。まあ、誠ちゃんはそれが当たり前の環境で生まれ育って、その『監視社会』がどう生まれたかなんて言う成立過程に関する歴史的知識が無いのは分かっているけど」  再び、アメリアは誠の社会的知識の無さを馬鹿にするようにそう口にした。 「地球圏の国家間でわずかなすれ違いでも起きれば『電子戦』でネット空間やメディアを管理するAIに介入して戦争を望むような世論を作り上げて国家指導者である『超富裕層』ですら制御できない状況に追い込み、その状態でその政治の全権を握る『超富裕層』に核戦争による絶滅戦争を勧めて法外な金利の『戦時国債』の引き受けを約束して開戦にこぎつける。その引き受けを断られた敵国は一方的に核ミサイルの雨を食らって滅亡するわけね。『超富裕層』は自分が絶対者としてその国の全権力を握る民衆に指示された存在であることがその権力を維持するために必要な状況だから、自分が火をつけた憎悪が制御不能になったらそれに従って核のスイッチを押すしかないわけよ」  アメリアはあっさりとそう言って笑った。誠には理解不能な自滅すら望む憎悪しあう国家間の対立を煽る断絶とそれと無縁で生きてきた自分に誠は地球圏への恐怖とそんなデマゴーグにあっさりと乗ってしまう地球人への恐怖を新たにした。 「ある条件を満たすとその敵対国への憎悪を『市民』に駆り立てた『超富裕層』達には勝利とその対戦国の富を奪い取る機会が与えられる。ある条件を満たすと核の雨を食らう相手国は反撃のミサイルを撃とうとしても全システムがダウンしていて何の反撃もできずその国は滅亡する……結果として東和共和国にとって危険な存在である一つの国が減り、『戦時国債』がトンデモナイ額の安定した富をこの国にもたらす……そうしてすべての戦争を外部に押し付けて、危険な地球人の国同士を戦わせて一つ一つ潰していって、この国だけは平和であり続ける。そんな他から見ても不自然極まりない出来事をこの平和が当たり前の国では誰も疑問を抱かない。だって、反論できる人間は、もう残っていないんだから。他国に残酷である『ビッグブラザー』は自国民にも残酷になれる。その存在を表立って口にすれば地上から消されるのがこの国のルール……そして消されたという事実さえこの国では忘れ去られるように仕組まれている……」  誠は、ようやく気づいた。  この国で平和に暮らすということは、この仕組みに疑問を持たないということでもある。  疑問を持たない人間だけが、普通の国民として扱われる。  では、疑問を持った人間はどうなるのか。  その答えを、アメリアはもう言っていた。  誠にも『監視者』の存在は実感することが出来た。  壁にある小さなカメラ、夜間の巡回記録、思いがけない人物の面会記録。  それらは『安心』を与えると同時に『監視』を意味していた。 「ちょっと……難しかったかな?特にその『超富裕層』が支配する国の敵対国家として選んだ国への開戦を選択した時に東和が無制限の引き受けを約束することで勝利を確実なものにする国際政治の話なんて社会科学系の知識のおぼつかない誠ちゃんには難しかったかもしれないわね。政府系金融機関が時々それを使ったファンドを発行するんだけどとんでもない利率でびっくりするわよ。うちの女の子もうちの出入りの信託銀行の営業のお姉ちゃんが『今月は北米方面が少し不安定ですので、かなりおいしい利率になりそうですよ』とか言ってうちの女の子たちを集めるわけ。それで渋るようなら決め台詞は『もし限定核使用まで行けば、さらに跳ねますから』とか言って笑顔で『戦時国債』に関する金融商品の営業を始めるたびにうんざりする気分になるもの。まあ、その遼州人の信託銀行のうち担当のお姉ちゃんに言わせればそれが営業成績に繋がるんだからその結果、数千万の地球人が蒸発しようが何の関係も無いんでしょうけど」  アメリアは皮肉とも笑顔ともいえる表情を浮かべてそう言った。 「そんなこと……無いですよ……そんなこと言えるわけがないじゃないですか……」  元々おしゃべりなアメリアの情報量の多すぎる上にあまりに自分が当たり前と考えてきた事実がすべてある人間のしかもとても人間の考える所業とは誠には思えない意思から生み出されていると言う事実を知った誠にはそれだけを言うのが精いっぱいだった。 「その『戦時国債』の東和共和国の政府系金融機関が大手信託銀行に割り当てるわけなんだけど、その利率は本当にびっくりするくらいの利率で誠ちゃんの銀行預金の20倍なんて当たり前なんだから。まあ、核戦争に負ければその国家も滅んで国民も絶滅するんだから東和の『戦時国債』の利率がどんなに無茶苦茶に高金利でも引き受けに応じないといけないんだからそうなるわけだけど……その仕組みなんて誠ちゃんには……『高学歴』だけど、社会科学系・文科系の知識ゼロだから。誠ちゃんにでも理解できるように簡単に言うとね、『負けたら国ごと消える』ギャンブルに、自分の命と国を担保にして借金する。その借金の相手が東和共和国……ギャンブルは主催者だけが儲かるシステムなのは知ってるでしょ?東和共和国にとっては何時地球に攻めて来るか分からない危なくて一人でも少ない方が良い地球人が一人でも減った上にお金まで入ってくる最高のシステムが完成したってこと」  アメリアの顔が元の『特殊な部隊』の『特殊』な運用艦艦長に戻るのを眺めながら、誠は自分が『神』に選ばれた国に暮らしている事実に戸惑っていた。アメリアは話の重さを一瞬で軽くする達人だ。その軽さがあるから、重さがより際立つ。  神に選ばれた国というより、神のつもりでいる何かに飼われた国なのではないか。  その『何か』は、今も静かに自分達を見ている。  誠にはそんな考えすら浮かんだ。

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