橋本直 / 第28話

第23話 策士と騎手

「普通に言う満足ってのは違うな。これは俺特有の好奇心だよ。俺をこんなにした|義姉《ねえ》さんの影響かも知れないけど策で世の中を動かすのが好きなんだ、俺は。力任せ、金任せで人生が決まるんだったらそんな世の中生まれた瞬間にその人間には死んでもらった方が資源の無駄にはならないと俺は思うよ。策を使い、頭を使い、時には人を使う。だから人が生きているってことには意味がある。それが俺の哲学。誠の就活も、インターン先の連中の反応も、全部パズルのピースみたいでね。適当にピースを擦り合わせるだけで、面白い絵が見えるだろ?今回もそんな俺の楽しみの一つ……そうでもしなきゃこの人生なんざ楽しみの無い糞みたいなもんでしかないよ……そしてアイツは間違いなく『使える』ピースだ。アイツ無しにはこの『特殊な部隊』は機能しない……この部隊に足りていない『ツッコミ』としても、そして純粋にこの舞台の本来の存在意義である『戦闘集団』としてもだ」  そう言って嵯峨は冷たさを感じる笑みを浮かべた。棚の琵琶が低い光を拾い、和の音色にならない弦の余韻が室内をかすかに震わせる。部屋は汚れている。埃は家具の縁に溜まり、雑誌の角は黄ばみ、靴箱は乱れている。だがその乱れの中で、嵯峨は平然と自分の生き方を弁護する。 「孫子じゃねえけどな、戦って勝つのは下策だ。殺して勝つのはもっと下だ。策で相手の足場を崩して、こっちの望む場所まで歩かせる。それが俺の考える勝ちだ。俺の戦いは最初からそうだった。上の命令なんか関係ないね……結果的に勝てばいいんなら、力任せでは無く頭で勝つ。そのうえで俺の美学であるそのうえで、俺の美学である『女子供は一人も死なない』戦争なら最高だ。まあ、そんな綺麗な戦争があったら、そもそも戦争とは呼ばねえのかもしれないけどな」  ランはその言葉を聞きながら、視線を窓の曇りガラスに移した。外では夏の空気が厚く、遠くの工場の煙突が揺れているのが見えた。彼女の小さな肩が、少しだけ震えたように見えた。 「オメーがどう思おうとアタシのどーこー言えた義理じゃねーが、同じようにアタシの思いを正直に言うとアタシは他人の人生を壊すのが好きなわけじゃねー。そんなもんあの地球人の『外道』にしたがって何にも考えずに生きてきた時代にうんざりするほどやった。ただ、今のアタシは当時のアタシじゃねえ。『力を持ってる者が正しく使えるようにするのが、今の俺の仕事』だって……アタシを捕虜にした時、アンタはアタシにそう言った……だからアタシは今ここでアンタの前に立ってる。敵としてそのアンタの策に負けたアタシはアンタの策の怖さを恐らく今この宇宙で生きている人間で一番よく知ってるつもりだ。そして大体においてアンタの使う策が人の道に反してねーことも……まー今回がその人の道に外れた策の第一号になるのかもしれねーがな」  それなりに感心したというようなランの言葉を聞いて嵯峨は肩越しにランを見た。その目には軽い嘲笑が混じる。 「俺の策はいつだって人道的であることを第一にしているよ……それにアイツの人生を潰して誰が損するって言うんだよ。アイツのお袋か?確かに今回の策にはアイツのお袋さんには世話になったが……まあ、あいつの母親は真面目で、綺麗な剣道場をやってる人だよ。お前さんも何度か会ってるだろ?そんでそん時にはそのお袋さんから『誠を導いてください』って言われたんだろ?人を導くんなら、俺みたいな汚い手を使うのも一つの策だと俺は思うぜ。あんな気弱で融通の利かない若者にはそれが世間じゃ通用しないなんて直球で説教食らわせても、耳は閉じられるしな。だが、誠のような奴は一回転ばされると、案外目が覚めることがある。人生そう言う経験も必要だと俺もお前さんも『戦争に負ける』という決定的なものを経験してるんだから……分かるだろ?」  ランの唇の端がわずかに上がった。嵯峨の言葉が予想にたがわないものであったかのようにうなずいた小さな鼻息には、子供のような歓びと老練な戦士の冷笑が混じっていた。 「分かってる。だが、教え方には順序ってもんがある。俺やお前さんみたいに地球人には無い力を持ってる奴は、それを振るえば簡単にそれこそうんざりするほどの数の人を殺せる。お前は覚えてないか?俺が地球人に敗戦国の捕虜としてどんな目を見てきたかを。俺は、少なくとも部下に『無駄死に』はやらせねえ主義なんだ。その為に俺はあの大嫌いなアメリカの捕虜にもなった。俺の部下は誰一人無駄な死に方はさせねえのが俺の主義だ。矛盾するように聞こえるがだからこそ、手荒なこともする。そいつには『自分は見捨てられたんじゃないか?』と思わせるような窮地にも平気で置く。だけど最後は、自分で選ばせる。それが俺なりの筋だ」  嵯峨はワンカップを傾け、アルコールの匂いを深く噛んだ。部屋の古着の匂い、煙草の焦げた匂い、そして酒の匂いが混ざり合う。駄目人間の生活臭だ。誠が残していった微かな緊張は、まだ室内に漂っている。 「オメーのやり方は分かる。オメーは神前に『選択』を与えたいんだな?アタシも同感だ。選ばせた上で、アイツが行くか帰るかを見届けるつもりだ。たとえアタシ等が仕組んだとしても、最後に決めるのはアイツ自身でなきゃ意味がない。そうだろ?」  そんな言葉を口にしながらランはソファーの背に寄りかかり、目を細める。肩の力が抜けると、どこか少女然とした所作に戻る。それは本当に外見通りの子供じみた瞬間で、だが内面の厚みがそれを覆っていた。 「選ばせるのはいい。だが、俺には一つだけ条件がある。あいつが『殺す力』に惹かれていくのを見過ごすわけにはいかないねえ。あいつが覚醒した時、どう扱うか。そこを俺が握る。誰かに任せるなんて出来ないよ。俺は事実一回そんな失敗をしたことがあるからな。あの男とあの男がしたことを考えると神前を何としてもそうならないようにしなきゃならない義務があるわけだ。そうならないためにお前のやり方で、多少の痛みを与えるのは構わんが、あいつを俺と戦うためにあの遼南内戦で俺と俺の部下達に殺されていったお前さんの部下達みたいに『使い捨て』にするな。いいな?これだけは誓ってくれ。まあ今のお前さんにはそんなことは言うまでもない話なのかもしれないけどな」  嵯峨は長い指で顎を掻き、どこか申し訳なさそうに笑った。 「今のアタシが使い捨てにする?馬鹿言ってんじゃねえよ!アタシはアンタと出会って人の何たるかを知ったんだ!今のアタシにアンタのような細やかな気遣いは出来ねーからやり方が雑だが、部下を捨てる趣味は今のアタシにはねー!だが、面白い結果が出ればアタシの気分もよくなる。それだけだ!」  ランはそう言うといかにも見た目通りの幼い笑みを嵯峨に向けた。 「ラン、じゃあ付け加えて言っとくわ。神前は駒じゃない。駒に見える位置に置くことで、初めて動き方が見える人間だ……そいつを育てる……難しいぜ……」  ふざけた嵯峨の口調だが、その目は一切笑っていなかった。 「なんだよ、そいつはお前さんの見た目通りのお子様の単純な計算だね。それに、ラン、お前はやっぱり情深い……いや、深すぎる。それゆえに人を傷つけることがあることをまだ理解してるとは俺には見えないね。だから人を守ることにこだわるんだろ?そこが、まあ……お前さんの可愛いところでもあるんだが……ここは一つアイツの前では『鬼』になってくれ。それがお前さんには似合いの人の道だ。アイツを鍛えるのに多少常軌を逸していても俺は目をつぶる。お前さんの好きにやんな……それが世の中からおかしいと思われてもそれがアイツの為ならそれでいい」  嵯峨の自分を馬鹿にしたような言葉にランの頬がふっと緩む。ついぞ見せたことのない幼い笑顔が、隊長室の陰影に一瞬影を落とした。だが、次の瞬間にはいつもの毒舌が戻る。 「やかましい。余計な邪魔をするなよ。私のやり方は『結果』で証明する。余計な感傷は、戦場では邪魔だ。覚えておけ。ただし……」  ランは言葉を切って、そっと嵯峨の方へ身を乗り出す。顔は子供、目は獣。空気が一瞬凍る。 「だがな。アタシは、アイツがもし迷って血を見そうになったら、その場で止めに入る。アタシは血で塗れた英雄を作るつもりはねえ。血に塗れた英雄はうちにはアタシと西園寺だけで沢山だ!いや、アンタが居たな……隊長の手も随分と血に汚れてる……そんな血に汚れた人間を増やす趣味はねえのがアンタの本意なんだろ?」  嵯峨は少し考え、その後に深くうなずいた。嗜好的な下世話さと、どこか救済的な自己正当化が混じる。 「分かった。俺も本心ではそう願っている。だが、世の中には『必要な犠牲』ってのがあるんだ。俺がそれを正当化する気はないよ。だが、時として大きな歪みを正すには犠牲が伴う。それが嫌なら、この仕事は向いてない。だがな、ラン。お前さんも覚悟しておけよ。お前さんが守りたいって思う奴ほど、痛い目に遭うんだ。俺はそれを見てきた……それこそ嫌と言うほど……俺は二度の戦争で、守りたい奴ほど傷つくのを見てきた。第二次遼州大戦でも、遼南内戦でもな。もうこりごりなんだ……お前さんもそうなんだろ?俺も20年前の戦争で負けた時はそうだった。お前さんも10年前の戦争で俺に負けた時……きっとそう思ったはずだ」  ランの小さな身体が、嵯峨の言葉を聞いた瞬間わずかに震えた。 「そうだな。戦争に負けてうれしい人間なんて居るわけがねー。確かに、あの敗戦はアタシにとっては『解放』だったが、それでもアタシは数多くの部下を率いる身として負けた責任があった。そんな人間に負けを喜ぶことなんか許されねー。だからこそ、アタシは導く。力を持つ者が自分の軸を曲げないよーに。アタシのやり方は荒いが、最終的に守るのはアイツの身……そしてアイツの心だ。隊長、アンタは自分が『駄目人間』だって言うけど、アンタの『策』がなきゃここは動かねえ。汚いけど、必要な汚さってやつだ。それだからここは『特殊な部隊』って呼ばれてる。言いたい奴には言わせとけ……それでも司法局にとって……いや、同盟機構にとって、ここが必要不可欠な存在なのは間違いねー。それに、アタシはアンタに策で負けた。力で負けたんじゃねえ。だから今はアンタに従ってる。力で負けただけなら、いつか殴り返せば済む。だが、策で負けた以上、アタシはアンタの見ている盤面を認めるしかねえ……それがアタシなりの矜持って奴だ」  まるで我が意を得たようなランの言葉に嵯峨は笑った。 「『人類最強』のお前さんにそう言われるとな、妙に心強いねえ。まあ、俺も生き直しってのが好きだからな。自分のやらかしを少しでも埋め合わせるために、誰かの道を弄ぶこともする。犯罪紛いのこともやった。風俗も行くしギャンブルもやるし、娘には3万円やってる。生活はボロアパート、通勤は自転車、プライドはゼロ。だがな、俺は俺なりに信じてる。人は生きている限り何度でも生きなおせるんだ……これまでの事をすべて捨ててちっぽけな自分と向き合って生きることを心に決めればね……そうとでも思わなきゃ俺もお前さんも浮かばれないよね。今の段階で俺は神前を盤面に置いた。だが、育てるのはお前さんだ。俺は道を塞ぐ。お前さんは歩き方を教える。それでいい」  ランは苦い笑いを漏らした。ランの小さな掌が、グラスの縁をきゅっと掴む。彼女の指先には、古い傷のような跡がうっすら見えた。

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