橋本直 / 第72話

第67話 伸ばされなかったストック

 朝の光が薄く差し込む『運航部』の室内は静まり返っていた。スチールの机に置かれたコーヒーカップが、外の夏の蒸気を思わせる白い薄煙を立てている。壁には訓練スケジュールと、誰かが貼った古い映画のポスターが見える。ここは軍事警察だと名乗ってはいるが、人間臭い生活の跡が残る場所でもある。  誠は射撃訓練が終わると、銃を片付けるというかなめとカウラを無視して誠と話がしたいと言い出したアメリアに連れられて、彼女の『城』であるこの部屋へと連れ込まれた。  何か言いたいことがあるというアメリアの話だったが、それ以上に誠には銃を撃って疲れた腕を休ませる時間が欲しかったし、このまま機動部隊の詰め所に入ればそんな誠に筋トレをしろとか言ってきそうな鬼教官であるランが待っているかもしれないという気持ちもあってアメリアの言う通りそのまま運航部の部屋にたどり着いていた。 「それにしてもあれだけ撃つとストックがしっかりしているMSG-90でも肩が痛くなるわね。それとあえて助言しなかったけど、誠ちゃん今度の訓練の時はストック伸ばした方がいいわよ。パイロット向けに支給されるカービンタイプのHK53のストックはレバーを下げるとちゃんと肩に付けられるようになるから。それでも肩は痛くなるけどあんなに無理して腕で反動を押さえつける必要もないからその負担はかなーり違うと思うわよ……かなめちゃんも知ってて黙ってるのよね。面白そうだからどれだけ耐えられるか見てやろうって。カウラちゃんは何度か言い出すタイミングを計ってたけどあの子はあまり男の娘に免疫がない……地球人の遺伝子しか継いでいないはずなのに心は誠ちゃんと同じ『モテない宇宙人』の遼州人なのよね」  本部の『運航部』の部長席に『特殊な部隊』の運航艦『ふさ』艦長が腰を下ろしていた。  アメリアは最初から気づいていたらしい。    気づいたうえで、黙っていた。    誠が妙に腕に力を入れ、反動を腕力だけでねじ伏せようとしているのを、射場の端からずっと楽しそうに眺めていたのだ。  アメリアの椅子は少し大きめで、彼女が座るとちょうど椅子と体のラインが合う。部屋の空気は彼女の存在で軽く震えるように感じられた。机の端には古い革製ノートがあり、そこに走り書きされた『任務備考』が見えた。  アメリア・クラウゼ少佐は肩をさすりながら腕の筋肉痛で頬を引きつらせている誠を糸目で眺めた。  糸目の奥にある表情が一瞬だけ変わるのを、誠は見逃さなかった。いつもの茶目っ気のある笑いから、強くて静かな目線に切り替わる瞬間だ。  誠から見てもなかなかの美女である。  身長は180センチを超えている。  そして、特徴的に目が細かった。  誠は改めて、自分と並んでも見劣りしない女性という存在に妙な圧迫感を覚えていた。  これまで出会ったアメリアに匹敵する身長の女性は中学校時代にそのままバレーボールの体育推薦で全国大会優勝常連校に行った女子バレー部のキャプテンくらいしか思いつかない。  それでもアメリアよりも数センチ低いのでアメリアが街を歩いていたら嫌でも目につくだろうことは想像がついた。   「あのー……アメリアさん。それ最初に言ってください!僕も撃ってる間、腕がやたら疲れてきてなんだか変だなあとは僕も思ってたんです。おかげで腕が棒のように硬くなってしまったじゃないですか!このままクバルカ中佐に『今日は気が変わったからバーベルを上げるぞ!120キロ100セット!出来て当然だな?』とか言われたらどうするつもりですか!東和宇宙軍の05式小銃とは形が違うからこういうもんなんだなあと思って撃ってた僕も僕ですけど、そんな僕を笑ってみていたんですか?本当にひどい話ですよ、それ?」  誠は筋肉の張りきった腕をさすりながら本心からそう思った。 「だって、誠ちゃんがいつ気づくか見てたら面白かったんだもの。かなめちゃんは完全に楽しんでたわね。あの子、教える時は意外と面倒見がいいけど、面白い失敗は最後まで見届けるタイプだから。カウラちゃんは三回くらい口を開きかけてたけど、結局かなめちゃんの顔を見て黙ったわ」  しかもアメリアだけではない。    かなめも、誠がいつ音を上げるかを待っている顔だった。    誠だけが真面目に訓練していたのである。  要するに誠は、また女子三人に玩具にされていたのである。  誠の手は野球では変化球投手として鳴らしてきただけあって人並外れて大きい。そして野球と剣道で鍛えた腕力にはそれなりの自信があった。たぶん今回はその腕力が悪い面に働いたのだろう。誠も撃っていてこんな銃を開発した地球人の精神を疑うほどの撃ちにくさだったので、普通の腕力の男子であればストックを伸ばしてそれを肩に付けないとまともに発砲することすらできなかっただろう。    そんな二人が和気あいあいと会話を楽しむ本部の『運航部』の大きな部屋は、彼女に言わせれば自分の『城』らしい。  部屋の女子部員は隣の運航部のシミュレーションルームで訓練でもしているのか、誰一人いなかった。アメリアにその理由を尋ねようとしたが、この前の飲み会でしらばっくれたり人の話を逸らしたりすることに関しては天才的な彼女にそんなことを聞くだけ無駄だと分かっていたので黙っていた。  静かな室内。機械音のしない空間は、言葉を交わす二人の声がよく響く。アメリアはその静けさを好むのだろう、誠に向ける言葉も、時に遠くの風景を語るように響いた。 「そんなもの自分で気づくのが軍人としては当たり前。戦場で敵の見たことも無いような銃を奪って戦わなきゃいけない時にその銃のマニュアルがそこに落ちているなんて言うことがあり得ると思う?思えないでしょ?生きていくためには自分のこれから使う道具はよく見て、どういう機能があるか確認するのは基本中の基本!そこで分からないことがあればちゃんと先輩に聞く!私だってどう考えても撃ちにくそうに撃ってる誠ちゃんに質問されたらちゃんとアドバイスぐらいしてあげたわよ。まあそんな仕事の話は置いておいて、誠ちゃんはかなめちゃんが監督をしているうちの草野球のエースとして秋から頑張ってもらわなきゃならないんだから……そこだけは期待しているわよ。そもそもストックを伸ばさずに何の疑問も感じないで腕力で銃を押さえつけるだけでHK53の5.56mm弾を反動も抑え込んで撃って銃弾を飛ばせるなんて……ちょっと自慢できることよ。普通の人ならそのまま反動を抑えきれずに銃で顔面を強打して気絶するか、どこに飛んでいくか分からない弾と激しい腕の痛みに耐えかねて途中で『何かおかしい』って気づくはずだから」  アメリアの口調に冗談めかした軽さが混じる。  射撃訓練の反省をしていたはずなのに、話題はいつの間にか草野球になっていた。    しかも誰も不思議に思っていない。    誠はそこで、この部隊では任務と遊びの境目がかなり曖昧なのだと、また一つ理解した。 「その話はもういいです!それより……草野球チーム……そんなものまであるんですか?確かに島田先輩がそれっぽい話をしてましたね。島田先輩が1番バッターでアメリアさんは四番でサードなんでしょ?まあ、男子も出る草野球リーグで四番でサードなのは凄いとは思いますけど。そんなことを仕事中に普通に話すってことはかなり本格的にやっているというか、島田先輩なんて、仕事より草野球の話してる時の方が絶対生き生きしてましたよ。それにしても本当にうちって本当に遊んでばかりなんですね。配属初日にみんなで飲んだ時も仕事の話しなんてまるで出てこなかったですし。いきなり出てくる話題が草野球って……この前も聞きましたけどうちって何のために有るんです?」  アメリアの意外な言葉に誠はそう返した。誠には自分が体力馬鹿と見なされることはその一応一流大学を出ているというプライドが許さなかった。 「あるわよ……なんてったってここは野球の名門『菱川重工豊川工場』の敷地内にあるんだもの。ここの硬式野球部のOBを中心として近くの中小企業や市役所なんかを巻き込んだリーグが昔からあるのよ。なんてったって『菱川重工豊川』と言えば都市対抗野球で四連覇した名門だもの。その後も今でも野球部は存続しているわけ。まあ、最近は地区大会で予選落ちが普通だけどその野球で会社に入った野球エリートの選手が引退した後も野球好きが治らずに腕が鈍らないように頑張ってるんだもの……誠ちゃんにはその強力打線を抑えてもらわなくっちゃ。それに高校時代は四番も打ってたんでしょ?あそこの変則投手のタイミングを外すような投球フォームと多彩な変化球は高校生レベルの球しか打ったことのない誠ちゃんは苦戦間違いなしかもね。軟球でこんな球が投げられるんだって驚くような変化をするんだから」  一応、野球をかじったことのある誠にもかつて都市対抗野球で何度とない覇者となった強豪チーム、『菱川重工豊川』の名前は聞いたことがあった。  東和共和国の四大コンツェルンの中でも『菱川グループ』は野球に力を入れていた。強豪チームである『菱川重工豊川』を擁する菱川重工だけでも、目立市に『菱川重工』の本社のほか、西国や北陸、関西にも工場があって、それぞれが都市対抗の強豪チームを持っていた。    さらに『菱川製鉄』系や『菱川自動車』系のチームまで合わせると、都市対抗野球は一時期『菱川グループ対抗戦』なんて陰口を叩かれていたぐらいだった。  ただ、近年は『菱川重工』系の有力チームは地方予選で敗退することが多いらしく、その活躍は野球には元野球部出身者としてそれなりに知る機会が多い誠でも聞いたことが無く、むしろ近年は新興チームの活躍に古豪の四大コンツェルン系のチームが煮え湯を飲まされる様子が時々買う野球関係の専門誌で都市対抗野球ウォッチャーのライターにおもしろおかしく書かれる様を見る機会が多くなってきていたのは事実だった。  考えてみればそんな中でも四回の都市対抗野球制覇の栄光を誇る『菱川重工豊川』のOB達の野球マニアたちが野球から抜けられずに今でも草野球を続けていても不思議はない。そしてこの隊で『人外』の『魔法少女』と認識したランの次に態度大きい野球好きのかなめがそれを敵と認定して野球部を立ち上げても少しも不思議なことは無かった。 「確かに『菱川』と言うと『社会人野球』というイメージがあるのは野球をやってる人間なら常識ですけど……僕は野球を諦めた人間ですよ。そんな期待の仕方って無いんじゃないですか?もうちょっと任務に関することでも期待してくれていいじゃないですか?本当にうちの隊員で仕事の話をする人はあのちっちゃいクバルカ中佐しかいないんですね」  誠の反論にアメリアはあざ笑うような微笑みを浮かべる。 「まあ、かなめちゃんは銃で脅して運動神経の良い人間は無理やり野球部に入れてるけど、私の『園芸部』はそんなことはしないわよ……誠ちゃんは絵が上手い。当然私の全責任を掛けて企画制作しているエロゲの原画担当は決定ね!よろしく!」  いかにも嬉しそうに言ったアメリアの言葉に誠は言葉を失った。  射撃訓練の直後だというのに、会話は草野球からエロゲ制作へ滑るように移っていく。    しかも誰一人、それを脱線だと思っていない。  そして野球の次に出てきたのが、成人向けゲームの原画だった。    誠はようやく確信した。    この部隊は仕事をしていないのではない。    仕事と遊びを、誰も分ける気がないのだ。 「最初の飲み会の時に妙にエロゲの話しばかりしてくるのはそんなことをしていたからなんですね。確かにこの部屋の他の隊員の人達の机にどう考えても女子が仕事の机に乗せて良いとは思えないものが普通に置いてあるのが気になっていたんですが……原画ですか……どうせ上官命令で断れないんでしょ」  誠はすでに圧をかけ始めている糸目のアメリアに諦めを感じてそう言った。 「さすが、誠ちゃんは察しが良いわね♪なにもコントの練習や落語の前座話をしろってわけじゃないんだから、誠ちゃんの特技を生かせる場所を私は提供してあげるの。サラの絵はどうしても個性が無いと言うかアマチュア臭が抜けないのよね。だからこれからはメインの絵師は誠ちゃん!差分の絵はサラとパーラがアシスタントで着くからよろしく♪」  すべては最初からアメリアの中では仕組まれたことなんだと誠はアメリアの話しぶりから理解した。  誠は『任務=真剣』と思い込んでいた。だがそんな自分のエロゲ原画工場計画を楽しそうに語るアメリアは『生活と任務は同居する』と考えているらしいように誠には見えた。

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