橋本直 / 第45話

第40話 認めたくない一撃

「勝った……なんだかよく分からないけど……勝っちゃった。……身体が勝手に動いてくれて。剣を使っての試合というか戦いなんて実際の剣道の試合だって小学校高学年以来だというのに……母さんが僕を勝たせてくれたんだ……あの瞬間を逃さなかった理由は他に説明のしようがないからな」  誠は静かにシートに身を預けていた。シミュレータの残光がまだ瞼の裏に焼き付いて、心臓はゆっくりと収縮と拡張を繰り返す。勝つはずのない模擬戦に勝った直後の身体は、興奮よりもどこか醒めた静けさに包まれていた。胸の奥には、幼い頃に母から叩き込まれた型の断片が、ほんの瞬きの間に鮮やかに甦っただけだった。  シートに身を投げている誠の目の前で全天周囲モニターの隙間が広がった。そこからざわめきと歓声の波が流れ込むように、外界の気配がコックピットへ押し寄せる。金属音や笑い声、誰かのタバコを潰す音までが、はっきりと聞こえた。 「すげえな!オメエ!あのメカねーちゃんに勝ちやがった!」  島田の叫びがシミュレーションルームの空気を一瞬で歓喜一色に変えた。 「おい、神前!俺の舎弟!オメーメカねーちゃんにどうやって勝った?どんな魔法を使った?生身であの西園寺さんに勝つなんて無理な話だぜ……さすが俺の舎弟……俺が男と認めた男だ!」  島田の声に、整備班の男たちがようやく現実に戻ったようにざわついた。 「神前が勝てたのは格闘戦オンリーだから勝てたって?そんなのルールの問題だろ?じゃあ、サッカーでハンド有りのルールで戦ったらどんな試合に……ああ、それはラグビーか。でもラグビーボールは真っすぐ転がらねえぞ!それに対して神前は間違いなく正々堂々と戦ってあのメカねーちゃんに勝ったんだ!すげえよ!オメエ本当にすげえよ!」  一斉にあり得ない誠の勝利に呆然としている部下の整備班員達の野次馬の群れを押しのけて現れた満面笑みの島田の叫びがこだました。シミュレータルームの入り口に立っているひよこの尊敬の念を含んだ笑顔が顔をのぞかせた。整備班の男達の顔に浮かぶ無邪気な好奇心や、医務室の柔らかい灯りの記憶が混じりあい、誠の勝利を祝う熱が場内を満たしていく。湿った布の匂い、オイルの匂い、それらが混ざった空気の中で、誠はしばし言葉を持たなかった。 「はっ……はっ……勝ちました……なんだかよく分かりませんけど……勝ったみたいです……格闘戦オンリーだったからですけど……とりあえず勝ちました……とりあえずこれで僕はここにいても良いんですよね……」  二人の歓喜の視線に誠は薄ら笑いを浮かべて二人の賞賛に答えた。笑顔は下手に作るほど滑稽だと分かっている。だから誠の笑いはいつも控えめで、どこか自分を宥めるような仕草を伴う。  誠は伸ばしてきた島田の手につかまってそのまま地面に降り立った。床の冷たさが足裏を刺し、現実の重みが戻ってくる。頭の中の静けさはまだ続いていて、歓声は遠隔操作のように心に届く。  負けたかなめは歓喜する島田と照れる誠の二人から一度、視線を逸らした。    そのまま黙っていれば、負けをなかったことに出来たかもしれない。    だが、それは出来なかった。  かなめにはそのような器用なことができるわけが無かった。 「糞ったれ!なんで負けるんだよ!アタシの馬鹿野郎!あんな太刀筋なんてアタシは読めてたはずだろ?なんでそれを読めなかった!なんでそれに反応できなかった!お袋のしごきに耐えたのは結局表面だけだったってことか?それともお袋はかえでにしかその本当の力を教えなかったのか?アタシがこんな身体だから見込みが無いと切り捨てて……」  かなめの絶叫がシミュレーター・ルームに響いた。彼女の声は鋭く、それでいてどこか可愛らしい憤りを含んでいる。大きな感情の波が部屋の空気を震わせ、皆が振り向く。  誠はかなめもどうやらかなめの母親に相当な剣術の修業を強制されていたことは察したが、現実として誠はかなめに勝ったのは事実だった。かなめはシミュレータから這い出て、汗と油の匂いもなく、潔く怒りを表出していた。  明らかに不機嫌そうにシミュレータから這い出た彼女は誠の前に立って苦笑いを浮かべつつ、長身の誠を見上げた。  かなめは誠を睨んでいた。    だが、その目は負け犬を見る目ではなかった。    自分が一瞬だけ見落とした相手を、もう一度測り直す目だった。  誠には、かなめの向けて来る鋭い視線の意味が分からなかった。    ただ、完全に怒らせてしまったのだと思った。  勝ったこと自体が失礼だったのではないか、とすら考えていた。 「ああ、アタシが現実問題負けたのは事実だ……それを否定して見せるほどアタシも心の狭い女じゃねえんだ。目で見たリアルがすべてってのがここのお約束でね。アタシがランの姐御のハンデを受けたときには勝つつもりでいたが……実際こうして負けた訳だ。その事実はどうやったって消しようがねえわな。オメエ……結構やるじゃん。あの一撃でアタシを仕留めなきゃ……」  かなめの言葉に、誠は静かに答えて胸の内の一点に灯るものを確かめる。 「分かってます。あそこは攻め時でした。あそこを逃せば次の反撃で僕は負けてました。あの時の反応は僕の意思ではなくて僕の体に染みついた動きです。身体が勝手に動いた……僕はそのおかげで勝てたんです。僕自身が実力で勝ったという自信は今でも持てません。勝った相手がこんなことを言うなんて西園寺さんには不愉快でしょうか?」  言い切る誠の口調には余分な粉飾がない。その正直さをかなめは感心したようにまぶしげに見つめ、悔しさと同時に一種の敬意を滲ませる。彼女は不器用に頭を掻き、短い沈黙の後に素直な評価を口にした。 「別に不愉快とかそういう問題じゃねえよ。染みつくまで格闘戦の反応を身体に覚えさせた人間がいる。その人間の顔を拝んでみたいとは思うが、それを今でも覚えているオメエはそれなりの人間だというのは間違いなく事実なんだ。認めてやる。オメエはこれまでのカスとは違うタイプだ。気に入らねえが負けたのは事実だ。オメエの事……『少し』は認めてやる……どこまでも『少し』だがな」  その一言には、戦場でしか換えの効かない『尊敬』の形が含まれている。かなめの態度のどこか素直でないながらあれほど悔しがって自分を攻撃してくると誠が感じていたかなめが急に自分を称賛する言葉を吐くのに誠は苦笑いを浮かべながら、今この瞬間だけは、素直な評価として誠の胸に届いた。  それでもやはり悔しいのだろう、かなめは照れた表情を浮かべた後、誠に背を向けてまっすぐに出口に向かった。 「西園寺さん!やっぱり怒ってます?」  誠は素直でないかなめのその態度に思わずかなめを怒らせてしまったのではないかと不安に思って声をかけた。 「怒ってねえって言ったろうが!タバコだよ……ちょっと熱くなったからな。アタシなりの熱くなった時のクールダウンのやり方なんだ……そのことで人にどうこう言われる筋合いはねえよ」  誠の問いかけにそれだけ答えるとかなめは出て行った。タバコの箱をタイトスカートのポケットから取り出すかなめの姿には、勝者への素直な称賛の態度と敗者の矜持が同居している。部屋にはまだ、戦いの余韻と金属の匂いが残っている。  シミュレータの外部モニターを見つめていた誰も誠の勝利を予想していなかった。    整備班はかなめがどう勝つかを見に来ていたし、運航部の女たちは新入りがどれだけ持つかを見物していた。  誰も、今起きたことをすぐには理解できなかった。    だからこそ、沈黙は歓声より先に来た。  気が付くと誠は整備班員や運航部の様々な色の髪の女子士官に囲まれていた。  目の前に広がるのは、笑顔や驚き、羨望の混じった顔々。普段は侮蔑を向けられていた彼が、初めて祝福に包まれる場だった。 「すごいわね。西園寺さんに勝つなんて!」 「下手だって聞いてたけど嘘じゃねえかよ」 「すげーよ!やっぱオメエはすげーよ!」  数々の賞賛の声が室内に響いた。誠はいつもどこか居心地の悪さを感じる場面でも、今日は照れとほのかな誇りで頬が温かくなる。勝利の善意は、長らく渇望していたこれまで得たことのない『居場所』への渇望の念をほんの少しだけ満たしてくれる。  誠がシュツルム・パンツァーの操縦を褒められるのは初めての経験だった。これまで浴びてきた明らかなおべんちゃらと侮蔑と嘲笑の視線はそこには無かった。誠は久しぶりの自分をほめたたえる雰囲気に酔いながら照れて頭を掻いた。 「そんなこと無いですよ。偶然ですって偶然。格闘戦は偶然の要素も強いですから」  謙遜の声は自然だった。この一つの勝利で自分の居場所を得たことで満足するのは彼なりの慎ましい欲望であり、今日の勝利はその小さな願いを満たす一片に過ぎない。  照れ笑いを浮かべながら誠はそう言って周りを見渡した。その視線はかなめがどれほどの難敵だったのか、そして自分の勝利がどれほど奇跡的なものなのかを誠に知らしめた。 「そーだな。今回、勝てたのはハンデと偶然。それが分かってりゃーたとえ飛び道具アリの次も勝てるかも知れねーな。アタシから見るとサイボーグで反応速度と望遠射撃が得意で一見無敵に見える西園寺にも色々攻めどころがあってね……まーオメーにゃーそんなところまで今すぐ達しろなんて無理なことは言うつもりはねーがな。ただアタシの下でそれを学ぶ機会はこれからいくらでもあるんだ。アタシの所を巣立っていくときにはそうなってもらわなきゃアタシの顔が立たねーんだ ……でなきゃ、今日の勝ちはただの偶然で終わる」  入り口の方でそんな厳しいランの寸評が響いた。ランは子供の外見に似合わぬ重厚な語り口で、勝利を冷静に分析する。彼女の評価は厳しくも的確で、誠にとっては叱咤と励ましの混合である。  ちっちゃな彼女の隣には長身のアメリアとエメラルドグリーンのポニーテールのカウラの姿があった。二人の視線は誠をしっかりと捉え、入隊後初めて受ける確かな承認がそこにあった。 「でも……あの途中で僕を守って勝敗を決めたようななんだか『壁』みたいなのはなんなんですか?あんなもの……これまで何度もシュツルム・パンツァーシミュレータには乗ってきましたけどあんなもの一度も見たことは無いですよ。それと僕以外乗るなと書かれたシミュレータにあったあのゲージ……あれも何なんですか?あれとあの西園寺さんの攻撃を防いだ『壁』って関係あるんですよね?鈍い僕にだってそれくらい分かりますよ。あれが勝負を決めたんです。教えてください。あれはなんですか?」  誠は正気に戻るとそう言ってランに歩み寄った。勝利の余韻の裏に残る『不可解』を解きたかった。  不自然な『障壁』。あれが誠を守らなければ誠は明らかに負けていた。  ただ、勝利のもたらす感傷に酔っている誠はランに深く質問するつもりは無かった。とりあえず今の自分が納得できる答えだけを彼女に求めていた。  そんな誠の心を読んだようにランは皮肉めいた笑みを浮かべる。  その目は、すでに次の段階を見据えていた。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳