橋本直 / 第9話

第4話 消えた首席卒業生

 陸軍大学校首席卒業生、嵯峨惟基中佐。  彼には追って『陸軍中尉』への降格処分と、『東和共和国・甲武国大使館勤務二等武官』への配属先変更の通知が出された。  3か月後、『甲武国』は『ゲルパルト第四帝国』と『遼帝国』との『祖国同盟』を理由に、『遼州星系同盟』と地球軍の連合軍との泥沼の戦争へ突入した。  嵯峨の予告通りの先制核攻撃で地球の百億人の人口のうち二十億人が失われたが、まるでそれを覚悟していたかのように地球圏内部まで祖国同盟軍を引き入れて殲滅する地球軍の圧倒的『物量』が勝負のすべてを分けた戦いは、後に『第二次遼州大戦』と呼ばれた。  開戦の三日後、地球の死者が自分の予想通り祖国同盟が狙った70億には届かず20億で終わったことを知った嵯峨は妊娠中の妻を伴って、任地の中立国である東和共和国に赴いた。そこで『甲武国』の駐留武官として『東和共和国』の首都『東都』の大使館に勤務する生活が始まった。  甲武陸軍が嵯峨に命じたのは東和共和国による甲武国への敵対行為を阻止するというそもそも不可能な任務だった。  事実、嵯峨が妻を連れて東和の首都である東都の東の県である千要にある成畑空港に到着した時点で東和共和国は地球圏の甲武国とゲルパルトの先制核攻撃を受けた国に対して戦時国債の無制限の受け入れを宣言し、地球圏の首脳たちは国民向けのプロパガンダでこの成果を誇り、これからは我々は金銭的な制約を受けずに祖国同盟に対する戦いの継続を宣言することができると戦意高揚を図り反祖国同盟の国々の士気は一気に高まっていった。  東和はその後も中立を装いながら外惑星共和国連邦や西モスレム首長国連邦の発行する国債の無制限の受け入れを立て続けに発表し、反祖国同盟陣営は資金的な問題を全く持たない状況で先制核攻撃から逃れた地域での兵器製造プラントの建設を進めることができたため、戦いは嵯峨の予想通り、甲武とゲルパルトは地球圏への降下作戦の実行までは行うことは出来たものの、東和共和国の資金的な裏付けを受けた圧倒的な地球圏の物量戦の前に消耗戦を強いられた。  さらに遼州圏でも緒戦こそゲルパルトに第五惑星の占領を許したものの製造施設の租界を東和の戦時国債により確保した外惑星共和国連邦の反撃によりゲルパルトは泥沼の外惑星との飛行戦車戦を展開することになった。    すべては嵯峨が甲武陸軍の大学校で予言した通りに戦況は続いた。むしろ、東和共和国の反祖国同盟の遼州圏の国々と地球圏に対する資金援助による瞬時に戦況を回復させる能力は嵯峨の予想を上回る速度で進み、さらに遼帝国軍の戦場におけるやる気の無さが甲武とゲルパルトの敗戦を宿命づけることになっていった。  地球圏からの干渉や遼州星系での勢力争いを嫌い、『中立不干渉』を国是とする東和共和国に赴任した嵯峨は、東和共和国が祖国同盟の敗北を悟り、むしろその敗北を望んでいることを察し、むしろその敗北を望んでいる自分を嗤いながら苦手な事務仕事を諦めてただ東和共和国の首都である東都を歩き回る日々を送っていたという。  嵯峨の妻、エリーゼは嵯峨の失態にやる気をなくし、妊娠中にもかかわらず男を連れ込むというこれまでの社交界時代の生活を続けて、嵯峨を困惑させたが、嵯峨もまた自分の任務が上層部から全く期待されていないことを悟って、東和の未婚率80%によるやたら大きな|吉原《きちわら》に通う日々を送っていたを続けていた。  しかし、開戦の4か月後……。  嵯峨は、忽然と姿を消した。  彼が最後に確認されたのは、東和共和国の『甲武国大使館』の内部だった。  大使の部屋へと入る姿が、監視カメラに映っていた。  だが……。  出てくる姿は、どこにもなかった。  まるで、嵯峨惟基という人間が、この世界から消え去ったかのように……。嵯峨は浮気妻とその数か月後に生まれた娘の前からもその姿を消した。  大使館の机には、吸いかけの煙草が一本だけ残っていた。  灰はまだ落ちきっていなかった。  嵯峨惟基は、その数分前まで確かにそこにいたとでもいうように……。    嵯峨の予想通り、地球への降下作戦で全戦力を使い果たした『祖国同盟』はただむやみやたらに敵味方の消耗を増やすためだけに戦争を長引かせるために戦っているだけのような無様な戦いに終始した。  甲武・ゲルパルトの地球降下部隊は中立を守る地球圏国家に平然と宣戦布告して攻め込む遼帝国に足を引っ張られる形で敗戦に次ぐ敗戦を続け、地球圏へ大量に投下した最新兵器や物資を失って撤退した。    その頃、公式記録上では嵯峨は依然として行方不明だった。  だが実際には、甲武陸軍の命令で身分を伏せ、地球圏捕虜収容所の所長を務めていた。  嵯峨は捕虜収容所所長室で部下の捕虜への尋問の結果とこれからの捕虜の強制労働の計画の話を聞きながらこんな言葉をつぶやいた。 「予想が外れたな。悪い方に」  戦場からの脱落者を管理する毎日を過ごしつつ滅びへと向かう甲武国の情勢を見ながら嵯峨はタバコを手にしてそんなことをつぶやいて、自分が担当する高級将校の尋問へと向かった。  嵯峨は捕虜を憎んでいなかった。  だが、情けをかける顔もしなかった。  ただ、負け戦の帳尻合わせに使われる人間を、煙草の煙越しに見ていた。    長々と続く撤退戦だが、新型飛行戦車を次々と投入して抵抗するゲルパルトと各地の地球圏から奪い取った基地での玉砕戦で時間を稼ぐ甲武の負けの決まった戦いは延々と続いた。  開戦後7年目、ゲルパルトは地球圏のロシアの支援を受けた外惑星共和国連邦の攻撃により首都であるネオ・ベルリンが陥落し、ゲルパルト第四帝国は滅亡した。  遼州の月ハンイルを確保してなんとか戦線を維持していた甲武も東和共和国からの戦時国債の引き受けの利益を受けなかった遼北人民共和国の攻勢によりハンイルを失い、ゲルパルト滅亡後は各コロニーへの攻撃により戦意を喪失していったが、なぜか甲武本土攻略に手を引いたアメリカと甲武の全権特使である西園寺義基による東和の資金提供が無いことで継戦能力に限界の見えてきた遼北人民共和国との電撃的な休戦協定の締結により甲武への全面攻撃の理由を失った地球圏と反祖国同盟とのなし崩し的な休戦協定により70億の死者を出した『第二次遼州大戦』は幕を閉じることになった。    行方不明になった嵯峨が『甲武国』に帰還したのは、『甲武国』の敗戦から三年後だった。  『甲武国』と『ゲルパルト第四帝国』と『遼帝国』で構成された『祖国同盟』は地球軍の支援を受けた『外惑星社会主義共和国連邦』や『西モスレム首長国連邦』と『遼北人民共和国』に敗れ、甲武星もまた遼北軍や地球圏の軍の爆撃で多くのコロニー内部は侵入した反『祖国同盟』の対地攻撃型飛行戦車の攻撃により焼け野原となっていた。  嵯峨の帰国が知られたのは大戦後期に起きた非戦派の政治家だった嵯峨の義父、西園寺重基を狙った『テロ』事件の巻き添えで、嵯峨を待っているはずだった嵯峨の妻、エリーゼ・シュトルンベルグ・嵯峨の墓の前で、呆然と立ち尽くす嵯峨を知人が目撃したのが初めてだという。  墓前の男は、三年前より少し痩せていた。  だが、目だけは変わっていなかった。  何も信じていない人間の目だったと嵯峨を知る最初に再会した嵯峨の知人はそう語った。  その時から彼の『嵯峨惟基』としての人生は再開した。  嵯峨惟基はその三年後、13歳になった娘の茜を連れて、『甲武国』を出国し、かつての軍人生活を始めた因縁の地、『東和共和国』で暮らし始めた。  嵯峨は言った『甲武は見た目が外人の茜には酷い国だよ』と。嵯峨はそのままかつての任地である東和の風俗街|吉原《きちわら》のワンルームアパートに娘と一緒に暮らし、一年後に行われた司法試験に一緒に勉強をしていた娘の茜と同時合格して弁護士としての人生を開始することになった。  女にだらしなく相談してくる風俗嬢が嵯峨の容姿に惹かれて嵯峨を誘惑する様を見ながら茜は父のようにはなるまいと心に誓いつつ、二十歳になれば始められる司法研修生生活に備えて準備を怠らない天才少女ぶりを発揮する娘を嵯峨は笑って見守るだけだった。  時は流れた。  その十六年後、平和な時代が遼州星系を包み始めた時代から物語は始まる。  時に西暦2684年『遼州星系』。  アメリカの影響下にある遼南共和国を打倒して復興した遼帝国の皇帝遼献の提案した遼州同盟に4年前にそれまで多くの対地球圏国家同盟への加盟を拒否してきた東和共和国が加盟するということにより『遼州同盟機構』が成立することになった。  その圧倒的経済力を背景に『遼州同盟機構』の主要機関は東和共和国の首都東都に置かれることになり遼州同盟においては軍事力で優位に立つ甲武や遼北やゲルパルトではなく東和が主導権を握る形で実現した。  ただ、東和共和国は地球人の国ではなく遼州人の国だった。  『今ある環境に不便が無ければそれで良い』と考える東和共和国が主導権を握った遼州同盟においては、どこまでも『アナログ』な世界だった。  遼州星系を訪れた『地球圏』の人々は一切進歩を望まず20世紀末の日本の環境に満足するどころかそれを誇って見せる銀河の経済大国東和共和国の印象をそう評した。  遼州星系……。  そこは、地球から遠く離れた植民惑星。  そしてその一角に存在する、『東和共和国』が存在した。  まるで、時が止まったかのような、二十世紀末の日本のような世界。  遼州星系……。  そこは、地球から遠く離れた植民惑星。  そしてその一角に存在する、『東和共和国』が存在した。  まるで、時が止まったかのような、二十世紀末の日本のような世界。  しかし、『超富裕層』が自らの放射能に汚染されていない贅沢な生活環境で生きることができるのは何よりも東和共和国の政府系金融機関による融資によるものであり、『超富裕層』は東和共和国の経済的支配にあることは否定しがたい事実だった。  そして『第二次遼州大戦』により彼らが私物化した国家すら東和共和国に対する借金無しには一分として生きていられない存在であるという事実は経済指標を理解できる人間にはすぐに理解できる事実だった。  そんなどこまでも20世紀日本の国民総中流社会が実現した国家、東和共和国で物語は始まる。  東和共和国は、地球人の常識では理解しがたい国だった。  経済成長を全く目指さず、二十世紀末の日本に似た生活様式を守り続ける。  それでいて、その政府系金融機関は地球圏の国家と『超富裕層』の命綱を握っていた。  経済理論を常に信奉し、労働生産性の向上や資本生産性の向上こそが国家を進歩させるという地球人の理論ではまったく理解不能な戦争を愛してやまない地球人の本能を利用してその富を手に入れたほぼ格差の無い自由な社会。  そんな東和共和国を舞台に物語は始まろうとしていた。

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