Tihoo / 第1話

(短編)

「――おお、麗しき聖女候補よ! よくぞ我が呼びかけに応えてくれた!」 眩い光が収まった後、私の目の前には、大理石の床に土下座せんばかりに平伏する初老の神官がいた。 システム会社の社畜エンジニアである私、小鳥遊 結衣(27歳)は、5徹目の深夜オフィスから異世界へと召喚されたらしい。 「突然の召喚、誠に申し訳ない! 貴女にはこのルミナス聖王国を救う『聖女』となっていただきたい。……しかし、事前に謝罪させてほしい。聖女の責務は、あまりにも過酷なのです!」 神官長は、親でも殺されたかのような悲痛な顔で「聖女の労働条件」を語り始めた。 「毎朝8時から17時まで、神殿で祈りを捧げていただきます。なんと、お昼休憩は1時間しか取れません! さらに月に2回は、土日にも関わらず孤児院への慰問をお願いすることに……!」 「……は?」 「食事は三食支給されますが、野菜中心の質素なもの。そしてお給料は、月に金貨30枚(約30万円)しかお支払いできないのです! 前任の聖女様は、このあまりの激務に心を病み、半年で実家に逃げ帰ってしまいました……!」 神官長が声を詰まらせる。周囲の騎士たちも「こんなか弱き乙女に、あんな地獄を……」と顔を伏せている。 私は、自分の耳を疑った。 朝8時から17時? つまり実働8時間で帰れる? お昼休憩が1時間「も」ある?(ウイダーinゼリーを3分で流し込む生活が終わる?) 月に2回しか休日出勤がない?(完全週休2日ペース!?) 三食付きで手取り30万? 家賃も光熱費もかからないのに!? 「……あの、残業は?」 「ざ、残業? とは?」 「17時以降の業務、および深夜や明け方までの稼働です」 「なっ……! そんな非人道的なこと、神に仕える身でさせるはずがありません! 17時の鐘が鳴れば、神殿は完全に施錠されます!」 私はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆った。 「ああっ……結衣様! やはり無理ですよね! すぐに元の世界へお帰しする準備を……」 「やります」 「えっ?」 私は神官長の手をガシッと握りしめ、ボロボロと感涙を流した。 「やらせてください! 骨の髄まで、この国のために働かせていただきます!!」 「ひぃっ!? な、なんて慈愛に満ちた御方だ……!」 前世の徳が、ついにカンストして還元された。 こうして私の、異世界超絶ホワイトライフが幕を開けたのである。 聖女の主な仕事は、1日約300人の怪我人や病人に「神聖魔法(ヒール)」をかけることだった。 「結衣様、本日は患者が多いです。日が暮れるまでには終わらないかも……」 「大丈夫です、ルークさん。ちょっと『業務フロー』を見直しましょう」 前任の聖女は、患者の話を一人ひとり長々と聞き、涙を流しながら10分かけて祈っていたらしい。ただの無駄な工数である。 私は神殿の入り口に「番号札(整理券)」を導入した。そして患者を「重傷・中傷・軽傷」の3つのレーンに分けさせた。 「軽傷の人は一列に並んでくださーい! はい、次! はい、次!」 私はベルトコンベア式に患者を流し、両手で0.5秒ずつヒールをかけていく。 ブラック企業で培った「感情を完全に無にして単純作業を回すスキル」と「極限のストレス耐性(これがこの世界では莫大な魔力に変換されていた)」が完璧に噛み合った。 結果、8時間かかる予定だった治療業務は、毎日お昼前には終わるようになった。 午後からは裏庭で優雅にハーブティーを飲みながら日光浴である。最高だ。前世なら「給料泥棒」と上司に詰められるところだが、ここでは「なんという圧倒的な奇跡!」と拝まれる。 この神に祝福されたホワイト環境。 私は、これを何があっても死守すると心に誓っていた。 ――事件は、金曜日の16時45分に起きた。 あと15分で定時というその時、王都の警報鐘が狂ったように鳴り響いた。 神殿の扉がバンッ!と開き、血だらけの騎士団長が飛び込んでくる。 「ゆ、結衣殿! お逃げください! 魔王軍の四天王が率いる軍勢が王都に急襲を……! 防衛線は突破され、もう終わりです!」 「…………」 絶望して泣き叫ぶ神官たちの中で、私はピタッと動きを止めた。 16時45分。 ようやく手に入れた「金曜の夜」という至高の時間が、あと15分で始まろうとしていたこのタイミングで。 突発的な、致命的な、全社(国)を巻き込む大インシデント(魔王軍襲来)の発生。 「……ふざけんなよ」 私がドス黒い声で呟いた瞬間、神殿内の空気が凍りついた。 騎士団長も神官たちも、ビクッと肩を揺らす。 「ゆ、結衣、様……?」 「金曜の16時台に……突発のクソ重たいタスク、投げてきてんじゃねえぞ……!!」 私は杖を乱暴に引っ掴むと、猛然と神殿の外へ向かって歩き出した。 ブラック企業時代、退社直前に「あ、ごめん仕様全部変わったから月曜朝までに直しといて」と言ってきたクソ上司を思い出す。 許さない。絶対に許さない。私の定時退社を邪魔する奴は、魔王だろうが神だろうが、すべて消し去る。 神殿の外に出ると、空は暗雲に覆われ、巨大なワイバーンに乗った魔族(四天王らしい)が高笑いしていた。 『グハハハ! 脆弱な人間どもよ! 我が魔王軍の前にひれ伏……』 「うるさい!!!」 私は全身の魔力――社畜時代に溜め込んだヘイト、睡眠不足の恨み、サービス残業の怒り、そのすべてを圧縮した超高密度の神聖魔法――を右手に集中させた。 「私がっ! どれだけ今日の! 定時後のビールを! 楽しみにしていたと! 思ってんだぁぁぁっ!!」 杖から放たれた極太のレーザー(物理的な質量を伴う光の奔流)が、空を一直線に貫いた。 『は? ギャアアアアアアアッ!?』 四天王も、ワイバーンも、後ろに控えていた数万の魔物たちも、一切の抵抗を許されず、眩い光の中に文字通り「蒸発」して消え去った。 空の暗雲が綺麗に晴れ渡り、美しい夕焼けが王都を照らす。 時計台の鐘が、カランコロンと17時の到来を告げた。 「ふぅ……」 私は乱れたローブを直し、振り返った。 腰を抜かして口をパクパクさせている騎士団長と神官長に向かって、最高の営業スマイルを向ける。 「魔王軍の殲滅(タスク)、完了しました! 本日の業務はこれで終了となります」 「あ……え……? し、四天王が、一撃で……」 「それでは皆様、今週もお疲れ様でした! 良い週末を!!」 私は軽やかな足取りで神殿のタイムカードを押し、王都の居酒屋へとスキップで向かうのだった。 明日からのお休みは、何をしようかな!

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