らぱすてー / 第47話

もんもんぐんぐん

「ユウキ君ってカッコいいよね。今度、誘っちゃおうかな」  そう言った智慧に、美来が即座につっこんだ。 「チエじゃ、無理でしょ」  他愛ない会話のはずなのに、どこか遠い話に聞こえてくるのは何故だろう? 「マコトもそう思うでしょ?」  美来が私に話を振ってくるが、私はユウキ君が誰なのか知らなかった。 「ユウキ君って、そんなにカッコいい?」 「スポーツ万能で、成績もトップクラス、おまけにイケメン」 「チエは、そのおまけが大事なんでしょ」 「うっさい」  じゃれ合う二人は、いつもと変わらない。  だが、そんなに褒めるほどの人物を、いつも一緒にいる私が全く聞いたこともない、ということなどあり得るだろうか。もんもんと違和感が胸に募ったが、その時は、それ以上考えなかった。私が知らないだけ。きっと、そういうことなのだろう。  翌日、智慧が泣いていた。 「ユウキ君に振られた……」 「だから無理だって言ったじゃん」  美来は容赦がない。けれど、そのはっきりしたところが美来の長所でもあった。 「好きな人がいるんだって……」 「へえ」  私は相槌を打った。智慧が好きだった相手に振られた。まあ、よくある話だ。 「マコトは興味ないの?」 「何に?」 「ユウキ君」 「だから知らないって」  そう言うと、二人は顔を見合わせた。ほんの一瞬だった。けれど、その目に何か引っかかるものがあった。 「……そうなんだ」  その日の昼休み、美来が言った。 「チエ、私もユウキ君に告白してみようかな」 「え?」 「だって、好きな人がいるって言われたんでしょ。じゃあ、その人に勝てばいいじゃん」 「誰なのか知らないくせに」 「知ってるよ」  美来は私を見た。 「マコト」 「……え?」  冗談だと思っけれど、美来は笑っていなかった。 「ユウキ君が好きなの、マコトなんでしょ?」 「知らないよ。そんな人」 「またそれ?」  智慧の声が冷たくなった。 「何が?」 「ユウキ君のこと知らないって言うの」 「本当に知らないんだけど」 「じゃあ、なんでユウキ君はマコトのこと好きなの?」  私には何も答えられない。会ったことがないどころか、姿を見たことさえない。そんな人が私を好きな理由なんて知るはずもない。 「……私に聞かれても」 「そうやってとぼけるんだ」  美来の言葉には、昨日までなかった棘があった。  翌日から、二人の態度が変わった。智慧は私と目を合わせなくなり、美来は私の近くでわざとユウキ君の話をするようになった。 「ユウキ君、昨日もマコトのこと見てたよ」 「だから、私は知らないって」 「その顔」 「え?」 「そうやって知らないふりするところ」  冷たい笑顔、というものを私は初めて感じた。美来は笑っているのに、少しも楽しそうではなかった。  私はクラスメイトに聞いてみた。 「ユウキって知ってる?」 「誰それ?」  別の子にも聞いた。 「ユウキ君? うちのクラスにはいないよ」 「じゃあ、他のクラスかな」 「さあ。聞いたことない」  学校中を探しても、ユウキという名前の男子はいなかった。  担任の先生にも聞いてみた。 「ユウキ? そんな生徒いたかな?」  名簿にもいない。掲示板にもいない。学校のホームページにも、卒業生の記録にもいない。  なのに、智慧と美来だけは知っている。  スポーツ万能。  成績はトップクラス。  イケメン。  智慧も、美来も告白して振られた。そして、その原因が私らしい。  そんな話を二人は口を揃えて言う。  ある日の放課後。 「マコト」  美来に呼び止められた。 「何?」 「ユウキ君に会わせてよ」 「だから、知らないって」 「もういいよ」  美来はそう言って、私を睨んだ。 「そういうの」 「……何が?」 「自分だけ知らないふりして、裏で会ってるんでしょ? 私たちのこと嘲笑ってるんだ」 「そんなことない!」    隣にいた智慧が泣きそうな顔をしていた。 「私、ユウキ君のこと本当に好きだったんだよ」 「うん」 「なのに……」  智慧が私を見た。 「なんでマコトなの?」  私は何も答えられなかった。知らない。ユウキなんて人は知らない。  話したこともない。顔さえ知らない。それなのに二人の目には、まるで私がユウキ君を奪ったかのように映っている。 「お願いだから返してよ」  智慧が言った。 「……何を?」 「ユウキ君を」  私の知らない人を、どうやって返せというのだろう。  それでも二人には、私が何かを隠しているようにしか見えないらしい。 「マコト」  美来が言った。 「ユウキ君と、何をしたの?」 「何もしてない」 「嘘」 「嘘じゃない」 「じゃあ、なんでユウキ君はマコトが好きなの?」 「知らないよ!」  思わず声を荒らると、二人が黙った。粘つく視線をこちらに向けてくる。  窓の外では、部活を終えた生徒たちが笑いながら歩いていた。  いつもの学校。  いつもの放課後。    いつもの友達。  つい最近まで、何も変わらない日常だったはずなのに。  ユウキという人物が全てを狂わせた。  智慧と美来は、じっと私を見ていた。私が、宝物を奪った犯人であるかのように。  その視線だけが、いつまでも私に突き刺さっていた。  翌週、家に帰ると母がテレビを見ながら言った。 「そういえば、ユウキ君って子、最近うちに来ないわね」  箸が止まった。 「……誰、それ」 「やだ、忘れたの? 中学の時、よく一緒に帰ってた子でしょう。玄関先まで送ってくれたじゃない」  母の顔に、嘘をついている様子はなかった。  記憶の底を必死にさらっても、そんな光景は出てこない。なのに母の中には、まるで色褪せた写真のように、確かな手触りを持って残っているらしかった。 「……そう、だったかな」  それだけ言うのが、精一杯だった。その夜、卒業アルバムを引っ張り出した。  小学校のクラス写真。並んだ顔の中に、見覚えのない男の子が写っていた。  いや——見覚えがない、というのはおかしい。写真は昔から変わっていないはずなのに、確かに「見た記憶がない顔」がそこにあった。  名札には「ユウキ」とだけ、フルネームは掠れて読めない。  ページをめくる手が震えた。中学の集合写真にも、いた。高校の入学式の写真にも、いた。  まるで最初から、そこにいたかのように。  そして、写真の隅——去年撮った文化祭のクラス写真。  そこに、私がいなかった。  智慧と美来の間に、不自然な隙間が空いている。まるで最初から三人ではなく、二人だったかのように。もんもんと、胸の底で何かが渦を巻いた。これは、記憶違いなんかじゃない。    二人が入れ替わっていく。そう思った。ユウキが濃くなるたび、私の記憶が薄くなる。なら、この世界には――誰かが存在するための場所が、決まっているのだろうか。  智慧と美来がユウキ君を思い出すたび、疑うたび、恋するたび、憎むたび——彼はぐんぐんと輪郭を濃くしていく。  そして、その分だけ、私は薄くなっていく。教室に着くと、様子がおかしかった。窓際の一番後ろの席に、見知らぬ男子が座っていた。  スポーツ刈りで、日に焼けていて、笑うと八重歯が覗く。智慧と美来が、その席の周りで楽しそうに笑っている。 「ユウキ君、また寝坊したんだ」 「相変わらずだね」  その光景に、誰も疑問を持っていなかった。まるで最初から、彼がそこにいるのが当たり前であるかのように。 「あ、マコト」  美来が振り返って、私を見た。その目に、少しだけ——本当に少しだけ、戸惑いの色が浮かんだ。 「……えっと、誰だっけ」 「は?」 「ごめん、なんか、名前が」  智慧も首を傾げていた。 「あー、うちのクラスの子だよね? なんか、うん、そうだ、そうだった気がする」  二人は笑って誤魔化した。悪意はなかった。ただ、本当に——思い出せなくなっていたのだ。  窓際の男子が、こちらを見た。  初めて会うはずなのに、その目には、確かな親しみがあった。 「マコト」  名前を呼ばれた。声を聞いた瞬間、頭の奥で何かが弾けた。  ——知っている、この声。  思い出せそうで、思い出せない。まるで、水面の下でずっと見ていた誰かの顔が、水面に映る自分の顔と重なって、どちらがどちらか分からなくなるように。 「ずっと、探してたんだ」  ユウキ君は、そう言って笑った。  その笑顔が、もんもんと胸をざわつかせる違和感と、ぐんぐんと膨らんでいく既視感の、両方を同時に連れてきた。  私は、彼を知らない。なのに、彼は、私のことを知っている。  まるで、私という存在が薄れていく分だけ、彼の中の「私」の記憶が、確かなものとして固まっていくかのように。ただ、誰の器に注がれるかが、少しずつ移り変わっていくだけ。  放課後、誰もいない教室で、鏡を見た。顔が、思い出せなかった。昨日までの自分の顔が、どんな形をしていたか。もんもんとした輪郭だけが、そこにあった。中身のない、輪郭だけが。 「マコト、一緒に帰ろう」  廊下から、ユウキ君の声がした。その声には、まるで昔からずっとそうしてきたかのような、自然な親しみがあった。私は、その声に、少しだけ——ほんの少しだけ、覚えのある温かさを感じてしまった。  ぐんぐんと、彼が実在していく。  もんもんと、私が透けていく。  教室のドアを開けて、彼のもとへ歩き出す足を、私はもう、止めることができなかった。マコト」という名前は、もう、どこにも残っていなかった。窓際の一番後ろの席には、誰も知らない女の子が座っている。  智慧と美来は、その子を見て、少しだけ首を傾げた。 「……あれ、あの子、最初からいたっけ?」 「さあ。前からいた気もするけど」  二人は、すぐに笑いながら、いつもの話に戻った。誰かが実在するたび、誰かが薄れていく。  その繰り返しだけが、この教室では、もんもんぐんぐんと、静かに続いていく。

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