らぱすてー / 第89話

もんもんぐんぐん

 気がついたら、知らない商店街を歩いていた。  駅から家までの道は、もう何年も変わっていない。川沿いの土手を抜け、コンビニの角を曲がり、あとは住宅街をまっすぐ。目を閉じていても歩けるはずだった。なのに、いつの間にか見知らぬアーケードの下にいた。  頭上には錆びたトタン屋根が続き、空が見えない。左右には古い商店が並んでいた。  精肉屋のガラスケースに並んでいる肉はやたらと赤く、いまにも動き出しそうなほど新鮮だった。  どこからとなく、子供の笑い声が聞こえてきた。無邪気で、懐かしい笑い声。  小さな人影がアーケードの奥から転がるように近づいてきて、次の瞬間には三人の子供がぼくの前を横切った。  小学校低学年くらいの男の子が二人と女の子が一人。三人とも半袖だった。 「ねえ、いっしょに遊ぼ」  女の子と目があった。ぼくは、気がつくと頷いていた。 「……何して遊ぶの」 「かくれんぼ。ずっとやってるんだけど、人数が少なくてつまらないの」 「わかった、やろう」    はじめは、ぼくが鬼になった。  百数えて、目を開ける。子供たちはもういなかった。商店街の灯りは変わらず青白く、どこかで看板がぎいと鳴っていた。ぼくは歩き始めた。  探すのは、本来なら難しいはずだった。商店街は思ったより長く、路地がいくつも枝分かれしている。なのに子供たちはすぐ見つかった。精肉店の裏、電柱の影、自動販売機の横。見つけるたびに笑い声が上がり、また散っていく。  何度繰り返したのか途中からわからなくなった。繰り返す度に、拭いきれない違和感がもんもんと胸の奥でくすぶっていたが、かくれんぼの高揚感はそれを上回るようにぐんぐんと膨らんでいった。    男の子を探しているとき、ぼくは八百屋のウィンドウを覗いた。反射で自分の顔が映った。輪郭が、薄い。背景の歪んだ野菜の色が、頬のあたりに滲んでいた。手を上げると、ウィンドウの中のぼくも手を上げたが、その動きがわずかに遅れたように、否、追いつこうとしているように見えた。 「みつけた」  振り返ると、隠れていたはずの男の子が立っていた。 「なんで出てきたの。まだ——」 「もういいよ」と男の子は言った。「あんた、だいぶ長くここにいるもんね」  長く。 「どれくらい?」 「さあ」男の子は首を傾けた。「時間なんて、ここじゃ関係ないし」 「ここって、どこ」 「この町」男の子は言った。あたりまえのように。  いつの間にか、女の子ともう一人の男の子もいた。三人がぼくを囲むように立っていた。笑っていた。さっきまでと同じ笑顔のはずなのに、今はどこか意味が違って見えた。 「君たち、なんでこんな時間に外にいるの」 「閉店時間、忘れちゃった」と女の子は言った。 「閉店時間」 「そう。気づいたときにはもう、帰れなくなってたの」笑顔のまま、淡々とした声だった。「最初はこわかったけど、慣れちゃった」 「この商店街って、何なの」 「この商店街?」  女の子は不思議そうに首を傾げた。 「いなくなるための場所だよ」 「……いなくなる?」 「うん」  女の子は笑った。 「でもね」 「いなくなるためにいるのは、ぼくらだけじゃないよ」  ぼくはもう一度、八百屋のウィンドウを見た。  そこには、何も映っていなかった。  ぼくは無我夢中で駆け出していた。どこをどう通ったのかは覚えていない。気がついたら、いつもの帰り道、川沿いの土手にいた。  白み始めた空を見上げて、ぼくは立ち尽くしていた。体の感覚がひどく曖昧で、輪郭が朝の光にもんもんと溶けていくようだったが、それでも「戻れた」という安堵だけはぐんぐんと胸に広がっていった。  家に帰り、鍵を開け、靴を脱ぎ、水を飲んだ。喉を通る冷たい感覚はしっかりとあった。それだけで安心できた。  翌朝、鏡を見たとき。  あの子の言葉が、また浮かんだ。 『いなくなるためにいるのは、ぼくらだけじゃないよ』  鏡は空っぽの部屋だけを映していた。

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