Tihoo / 第39話

第三十九話 「氷の魔女が『師匠』という枠を溶かした夜」

深夜。 屋敷は静寂に包まれていた。 スライム騒動の疲れで、他の面々は泥のように眠っている。 俺はリビングで、コーヒーを片手に魔導書の整理をしていた。 ふと、気配を感じて顔を上げる。 「……起きているか」 そこに立っていたのは、アリアだった。 いつもの厚手のローブではない。薄いシルクのネグリジェ姿だ。 月明かりに透ける肢体は白く、そしてどこか冷たい空気を纏っていた。 「どうした? 寝付けないのか?」 「……師匠に、お願いがあります」 アリアは俺のデスクの前に立ち、真剣な眼差しを向けた。 その瞳の奥には、以前のような「師への憧れ」とは違う、もっと切迫した熱が宿っていた。 「私の『リミッター(出力制限)』を、外してください」 「……断る」 俺は即答した。 彼女の首元には、俺が以前施した不可視の首輪(チョーカー)型の術式がある。 あれは彼女の膨大すぎる魔力が暴走し、周囲を凍結させないための安全装置だ。 「お前の魔力は規格外だ。感情が高ぶれば国一つが氷河期になる。今のままで十分強いだろう」 「……『強い』? これがですか?」 アリアが唇を噛み、一歩近づいた。 「師匠の魔法は『物理演算』……理(ことわり)そのものを書き換える神の御業です。それに比べて、私の魔法はただの『暴力』です。魔力を垂れ流して、凍らせるだけ。……次元が違いすぎる」 彼女は自分の手を見つめ、握りしめた。 「私は、師匠の隣に立ちたい。守られるだけの『災害』ではなく、貴方と同じ景色を見たいのです。……そのためには、私の原始的な回路(OS)では足りない」 アリアが俺の手を取り、自分の胸――心臓の上へと導いた。 薄い布越しに、冷たい肌と、激しい鼓動が伝わってくる。 「書き換えてください、師匠。私の体を、貴方の『理論』に耐えられるように。……貴方の色に、染め変えてほしいのです」 「……正気か?」 俺は眉をひそめた。 それは単なるリミッター解除ではない。 彼女の魂(ソースコード)に俺の魔力を流し込み、構造そのものを「最適化(アップデート)」する行為だ。 他者の魔力を核(コア)に入れることは、肉体関係を持つ以上に濃密で、危険な行為だ。失敗すれば廃人になる。 「覚悟はできています。……それに、もう我慢できないのです」 アリアの瞳が潤み、頬が微かに紅潮する。 「貴方の魔力を近くで感じるたびに、私の奥が……疼くのです。もっと深く、貴方と繋がりたいと」 それは、氷の魔女らしからぬ、熱っぽい愛の告白だった。 常に冷静沈着な彼女が、ここまで感情を露わにするとは。 「……後悔するなよ。俺の魔力(データ)は重いぞ」 俺はカップを置いた。 拒絶することは簡単だが、今の彼女を突き放せば、その魔力はいずれ自己崩壊を起こすかもしれない。何より、その切実な瞳に、俺自身が惹かれていた。 「はい……。お願いします、ヴィクトル……様」 俺はアリアの腰を引き寄せ、膝の上に乗せた。 彼女の体温は低い。だが、触れ合う部分から急速に熱が伝播していく。 ――【接続開始(コネクト):対象アリア】 ――【権限レベル:管理者(アドミニストレータ)】 ――【処理内容:魔力回路の最適化およびリミッター制御権の委譲】 ドクンッ。 俺の魔力が、彼女の首筋から体内へと侵入する。 アリアの体が大きく跳ねた。 「ぁっ……! んぅっ……!」 彼女の喉から、甘い悲鳴が漏れる。 俺の膨大な情報量が、彼女の血管一本一本、神経の末端まで駆け巡る。 異物が体内に入り込む感覚。それは快楽と苦痛の境界線だ。 「力を抜け。拒絶するな、受け入れろ」 「は、はい……っ! 熱い……ヴィクトル様の魔力が、私の中を……埋め尽くしていく……っ!」 アリアが俺のシャツを掴み、しがみつく。 眼鏡がずれ、長い銀髪が汗で張り付く。 その表情は、魔術の儀式というよりは、完全に雌の顔だった。 俺は彼女の背中を撫で上げながら、魔力パスを脊髄に通した。 彼女の「氷」の性質に、俺の「演算」のロジックを組み込む。 ――【インストール完了:氷結演算術式 v2.0】 「あ……ぁぁっ……!」 アリアの背中が反り返る。 絶頂にも似た感覚が彼女を襲ったのだろう。 部屋の温度が急激に下がるが、二人の体だけが灼熱のように熱い。 「はぁ……はぁ……」 処置が終わると、アリアは俺の胸にぐったりと寄りかかった。 だが、その瞳には以前とは違う、理知的な光(コード)が走っていた。 「……すごい。世界が……数式に見えます」 彼女は自分の指先を見つめた。 そこには、ただの氷塊ではなく、幾何学的に組み上げられた美しい氷の結晶が舞っていた。 破壊の力ではなく、制御された美。 「これで、お前は俺と同じ『理』を扱える。リミッターは外したんじゃない。お前自身が制御できるようにしたんだ」 「はい……。感じます。貴方の痕跡が、私の体の隅々まで刻み込まれているのを……」 アリアは恍惚とした表情で、俺の首に腕を回した。 「……証明してください、師匠」 「ん?」 「回路は繋がりました。でも、心も体も……もっと確かめたい」 彼女は背伸びをし、俺の唇を奪った。 冷たくて、甘いキス。 先ほどまでの魔力的な接続の余韻が残る中で、物理的な接触は脳を溶かすほど甘美だった。 チュッ、と音を立てて唇が離れる。 アリアはとろんとした目で俺を見上げ、耳元で囁いた。 「……今夜は、帰しませんからね。私の回路(ナカ)、まだ熱いんです」 俺はため息をつき、そして苦笑した。 どうやら、とんでもない怪物を覚醒させてしまったらしい。 翌朝。 リビングに現れたアリアは、どこか艶めかしい雰囲気を纏っていた。 肌はツヤツヤで、魔力の輝きが以前より洗練されている。 そして何より――彼女の左手の薬指には、俺の魔力で作られた、極薄の「氷の回路」が指輪のように光っていた。 「あら? アリア、なんか雰囲気変わった?」 ミリムがトーストをかじりながら首を傾げる。 「……む。魔力の波長が、師匠のものと混ざっていますわね。……まさか」 シャルロットが鋭く目を細める。 アリアは余裕の笑みでコーヒーを啜った。 「ふふっ。秘密です。……これは、私と師匠だけの『最適化(チューニング)』ですから」 彼女は俺を見て、妖艶にウィンクをした。 俺は視線を逸らして新聞を読むふりをしたが、その紙を持つ手が少し震えていたことは、誰にも気づかれていない……はずだ。

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