Tihoo / 第73話

第七十三話 「空間が『メビウスの輪』に捻じ曲げられていたので、トポロジーで迷宮の裏側を暴いた」

西の森の深部は、まるで時間が止まったかのように不気味な静寂に包まれていた。 先ほどまで村を襲っていた狂暴な魔物の気配は一切なく、ただ薄暗い木々の間を冷たい風が吹き抜けている。 「……おかしいですね、師匠。もう一時間は真っ直ぐ歩いているはずですが、森の景色が全く変わりません」 先頭を歩いていたアリアが、ふと足を止めて周囲を警戒した。 「がおー? この変な形の木、さっきも見たぞ?」 ミリムが、幹が大きく捻じ曲がった巨木を指差して首を傾げる。 俺もその木を見て、舌打ちをした。 俺たちが歩き始めた直後に、アリアが目印として氷のナイフで小さな傷をつけた木だ。俺たちは確実に直進していたはずなのに、元の場所に戻ってきている。 「ただの幻覚魔法じゃないわね。私の『事象改変』で視界のブレを補正しても、やっぱりこの木に戻ってくるわ。……空間そのものが、物理的に『結ばれて』いるみたい」 クロエが巨木の幹を撫でながら、忌々しそうに目を細めた。 「ああ。どうやら敵の拠点は、ただ森の奥に隠されているわけじゃないらしい。ここは『トポロジー(位相幾何学)』によって捻じ曲げられた、不可視の迷宮だ」 「とぽろじー……?」 アリアが眼鏡のブリッジを押し上げながら、俺の説明を待つ姿勢に入る。 「文系のお前らにも分かるように説明してやる。……細長い紙の帯を用意して、それを一回だけ『ねじって』から、端と端をくっつけて輪っかを作ってみろ」 「ああ、それなら知っていますわ。裏面をなぞっていたはずが、いつの間にか表面に戻ってくるという、不思議な輪っかですよね」 「そうだ。それが『メビウスの輪』だ。表と裏の区別がなくなり、永遠に一つの面が続くループ構造。敵は森の空間を切り取り、ねじって繋ぎ合わせることで、巨大なメビウスの輪を作り出したんだ」 俺たちは今、その捻じ曲げられた三次元空間の「表面(ループの中)」を歩かされている。だから、どれだけ真っ直ぐ進んでも、最終的には必ず元の場所に戻ってきてしまうのだ。 「ししょー! じゃあ、ミリムが思いっきり殴って、空間ごとぶっ壊す!」 「やめとけミリム。メビウスの輪の中で放った力は、空間を一周して『お前自身の背中』に直撃するぞ」 「ひゃあ!? それは痛いからやめる!」 ミリムが慌てて構えた拳を下ろす。 「厄介ですね。空間そのものがループしているなら、突破口はありません。師匠、どうやってこの迷宮を抜けるのですか?」 アリアが氷の杖を構えながら尋ねる。 「簡単なことだ。メビウスの輪を解体する方法は、ただ一つしかない」 俺は愛用の杖(ただの重い鉄の杖)を構え、魔力を一点に極限まで集中させた。 「メビウスの輪を、ハサミで『縦に真っ二つ』に切ったことはあるか?」 「ええと……たしか、普通の輪っかにはならず、一つの大きな『ねじれた輪』に変化するはずですよね?」 「正解だ。だが、それはあくまで二次元の紙の話だ。この三次元空間で作られたメビウスの輪の中心線(トポロジー的特異点)を正確に切断すれば、空間の接続法則が崩壊し、捻じれは強制的に解ける」 俺の『魔力視』は、空間に僅かに生じている「繋ぎ目」の魔力波長を完璧に捉えていた。 ――【物理演算:位相幾何学的切断(トポロジカル・スラッシュ)】 俺は杖を振りかぶり、空間の繋ぎ目に向かって、超高圧に圧縮した『水と風の極薄の刃(ウォータージェットカッター)』を放った。 それは物質ではなく、空間の座標そのものを「切断」する一撃。 ピシィィィィィィッ!!! 空中に、ガラスにヒビが入るような甲高い音が響き渡った。 次の瞬間。 俺たちの目の前の景色が、まるで鏡が割れるようにガラガラと崩れ落ちた。 「……道が、開けたわね」 クロエが小さく口笛を吹く。 ループしていた森の景色が消え去り、そこには全く別の空間が広がっていた。 木々は不自然に伐採され、大地は剥き出しの黒い土に変わっている。 そして、その中央に鎮座していたのは――。 「……あれが、今回の騒動の黒幕の拠点、ですか」 アリアが息を呑んだ。 そこにあったのは、石やレンガで作られた一般的な砦ではない。 巨大な『金属の歯車』と『謎のパイプ』が複雑に絡み合った、まるで近代の工場を思わせるような、異質で無機質な巨大建造物だった。 建物のあちこちからは、先ほどの魔物たちに刻まれていたのと同じ、不吉な赤紫色の魔力光が漏れ出ている。 「……ファンタジーの世界に、随分と不似合いなモンを作りやがって」 俺は杖を肩に担ぎ、その悪趣味な金属の要塞を見据えた。 「行くぞ。俺の平穏な休日を奪った代償は、物理的(きっちり)に払わせる」 「ええ。一番弟子として、師匠の邪魔をする者は全て氷漬けにして差し上げます」 「キキッ、私も事象改変で奴らの因果をメチャクチャにしてやろうかしら」 「がおー! あのでっかいお家、壊す!」 俺たちは並び立ち、狂気の生体兵器を量産する敵の拠点へと、静かに、そして確かな殺意を持って足を踏み入れた。
「トポロジーの解説わかりやすい!」「いよいよ敵の本拠地カチコミだ!」 と思っていただけたら、 【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】評価をお願いします!

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