遥 / 第169話
123話 声の正体
防災対策課、エントランスの扉が開いた。
「戻りました」
蒼太と碧羽が入ってくる。
二人の服には、まだ戦闘の痕跡が残っていた。
俺――橙真は訓練場から戻る途中だったが、その姿を見て足を止めた。
「お疲れさま」
花江さんが二人を迎える。
「怪我はありませんか?」
「大丈夫です」
碧羽が答える。
蒼太も頷いた。
「少し疲れましたけど、問題ありません」
風宮さんが二人を見る。
「それでは、会議室にて報告を聞こう」
俺たちは、そのまま会議室へ向かった。
***
会議室の扉を開け、それぞれが席につくと、蒼太が口を開く。
「敵は、魚型の邪神体でした」
「戦闘結果は?」
「撃破しました」
「被害は?」
「軽微です」
碧羽が答える。
「ただ――通常の邪神体とは違うところがありました」
風宮さんが眉を寄せる。
「違うところ?」
「はい。撃破した時、災害が発生していませんでした」
短いやり取り。
それだけで、全員が何を意味しているのか理解した。
やはり、今回発生した邪神体は普通ではない。
「他に気になったことはありましたか?」
花江さんが尋ねる。
碧羽が少し考えてから答えた。
「最後に、妙な音を聞きました」
「音?」
「はい。うめき声のような……低い音です」
俺は黙って二人を見る。
だが、その話を二人が続けるより先に――。
――ゥゥ……。
「……!」
会議室にいた全員が動きを止めた。
聞き間違いじゃない。
確かに聞こえた。
けれど、音の出どころが分からない。
風宮さんがすぐに通信機を取る。
「館内の音声系統を確認」
『確認します』
数秒後。
『異常ありません』
「外部からの通信は?」
『ここ数分は、ありません』
誰も口を開かなかった。
俺は、胸の奥に嫌な感覚を覚えた。
その直後。
『邪神体反応を確認!』
館内放送が響き渡った。
『発生地点、先ほどの現場から約三キロ。現在、周辺の状況を確認中です』
蒼太が立ち上がる。
「また出たのか?」
碧羽も立ち上がった。
「近すぎる……」
風宮さんが壁の地図を見る。
「反応は一つか?」
『はい。現在確認できている反応は一つだけです』
「現在、か……」
風宮さんが呟く。
その言葉が、妙に引っかかった。
「風宮さん、行きましょう」
風宮さんが俺を見る。
「日向」
「俺も行きます」
「まだ本調子じゃないだろ」
「分かっています!」
俺は拳を握った。
「でも……放っておけません」
風宮さんは少しだけ黙った。
やがて、頷く。
「分かった」
花江さんも立ち上がった。
「私も行きます」
蒼太も立ち上がる。
「もちろん俺も」
碧羽も弓を背負い直す。
「私も行きます」
「決まりだな」
風宮さんが通信機を取る。
「現場へ向かう。周辺部隊には避難誘導を優先させろ」
『了解しました』
俺たちは急いで出動準備を整えた。
今回は五人。
俺、蒼太、碧羽、花江さん。
そして風宮さん。
誰も口にはしなかった。
だが、全員が感じていた。
何かがおかしいと。
***
現場へ向かう車内。
誰もほとんど話さなかった。
窓の外を流れる街並みが、少しずつ変わっていく。
人の姿が減る。
道路が白くなる。
建物の壁に霜が広がっている。
「……さっきより酷いな」
「うん」
碧羽が窓の外を見る。
「範囲が広がってる」
俺も黙って外を見た。
そのとき。
――ズン。
車体がわずかに揺れた。
「……今のは?」
花江さんが尋ねる。
風宮さんは答えず、速度を落とした。
――ズン。
もう一度。
今度は明らかに大きい。
道路脇の電柱が揺れる。
建物の窓ガラスが震える。
「地震……じゃない」
碧羽が呟く。
俺もそう思った。
これは――地面の下から伝わってくる。
まるで――。
「何かが動いている」
車が止まる。
俺たちは外へ出た。
冷たい風が吹き抜ける。
遠くに、黒い影が見えた。
最初は建物の影だと思った。
けれど――違う。
影が動いている。
「……あれは?」
花江さんが呟く。
次の瞬間、遠くの建物が轟音とともに崩れた。
――ゴゴゴゴゴ……!
瓦礫の向こうから、巨大なヒレが現れる。
――ドォン!
地面が大きく揺れた。
「……!」
巨大なヒレの一撃だけで、建物の一階部分が隠れてしまう。
そして、ゆっくりと、その身体が姿を現した。
黒い巨体。
異様なほど長いヒレ。
全身から噴き出す冷気。
青白い雷が身体を走り、身体の周囲では風が渦を巻いている。
俺は息を呑んだ。
無数の赤い目が、ゆっくりと開いていく。
そのすべてが――俺たちを見ていた。
――ゥゥゥ……
あの声。
今度は、はっきりと聞こえた。
「……こいつか」
蒼太が呟く。
巨大な邪神体が、低く身体を揺らした。
そして、その身体から黒い霧が溢れ出す。
「何だ……?」
鱗が地面へ落ちる。
そこで形を変え始めた。
氷が集まる。
雷が弾ける。
風が渦を巻く。
一体、二体――三体。
次々と黒い影が生まれていく。
「……眷属かな」
碧羽が呟いた。
俺は巨大な邪神体を見上げる。
やはり、そういうことなのか。
さっきの小型個体は――こいつが生み出した存在。
「数が……多い」
花江さんが光を展開する。
風宮さんが剣を抜いた。
「全員、構えろ」
蒼太が拳を握る。
碧羽が弓を引く。
俺も前へ出た。
巨大な邪神体が、ゆっくりと腕を上げる。
氷が地面を覆う。
雷が空を裂く。
風が街を吹き抜ける。
そして――咆哮が響き渡った。
――ォォォォォッ!
俺たちは、一斉に身構えた。
ここで本当の戦いが――始まろうとしていた。