遥 / 第148話

102話 着いた日本

 ギリシャを発ってから、かなりの時間が経っていた。  私たちは、日本を目指し、東へ飛び続けている。  ガブリエル、カマエル、そして私――ミカエル。  三人での旅は、これまでの旅とは少し違っていた。  いくつもの土地を越え、広大な海を渡る。  途中で見えた大陸では、森や山、その間に広がる人々の暮らしを眺めながら飛んだ。 「ねぇ、ガブリエル」 「なんだ?」 「日本って、どんなところ?」  私は前を飛ぶガブリエルに尋ねた。 「多くの神々が暮らしている場所だと聞いている」 「やっぱり神様が多いんだ」 「ああ。そして、人々の信仰も強いらしい」 「それなら、神様と人間が仲良く暮らしているのかな?」 「おそらく、そうだろうな」  ガブリエルはそう答えた。  私は少しだけ嬉しくなった。 「楽しみだね」  隣を飛んでいたカマエルも頷く。 「はい。どんな神様がいるのか、私も気になります」 「じゃあ、会ったら色々聞いてみようよ」 「ミカエルは仕事を忘れそうだな」  ガブリエルが呆れたように言う。 「絶対に忘れないよ」  私は笑った。 「でも、せっかく遠くまで来たんだから、少しくらい話してみたいじゃない」  しばらくして、大陸を越えた。  その先に広がっていたのは、どこまでも続く海だった。  私たちはさらに東へ進んでいく。  そして――。 「……あれ!」  私は思わず声を上げた。  遠くの水平線に、いくつもの島影が見えている。 「あれが、日本だ」  ガブリエルが教えてくれた。 「本当に?」  私は目を凝らした。  初めて見る土地。  これから、そこに暮らす神々や人々と出会う。  そう思うと、自然と胸が高鳴った。  私たちは高度を下げ、日本の大地へ近づいていく。  ――けれど、近づくにつれて、私は少しずつ眉を寄せた。 「……なんだろう」 「どうした?」  ガブリエルが尋ねる。 「なんだか、静かすぎない?」  眼下には、山や森が広がっている。  けれど、どこかおかしい。  人々が暮らしているはずなのに、活気が感じられない。 「……あそこへ降りよう」  私は、少し離れた場所に見える集落を指差した。  私たちは、現代で言う千葉辺りの土地へ降り立った。  最初に目に入ったのは、荒れ果てた畑だった。  そこには、緑がほとんどなかった。  枯れた作物。  ひび割れた土。  水のない川。 「……これ、全部?」  私は畑を見渡した。 「作物が全く育っていない」  ガブリエルが静かに答える。  集落へ向かって歩く。  すれ違う人々は、誰もが疲れた顔をしていた。  痩せ細った身体。  力を失った目。  子供たちも、笑っていない。 「ねえ……」  私は一人の子供の前で足を止めた。  その子は、母親の服を握りながら私を見上げている。 「お腹、空いてるの?」  子供は答えなかった。  母親も、何も言わない。  ただ、子供を守るように抱き寄せている。 「……そっか」  私はしゃがみ込み、できるだけ優しく笑いかけた。 「大丈夫だよ」  そう言ったものの、自分でも何を根拠にそんなことを言ったのか分からなかった。  私は立ち上がり、二人から少し離れる。 「……何かできないかな」  思わず口からこぼれた。 「ミカエル」  カマエルが心配そうに私を見る。 「大丈夫!」  私は笑ってみせる。  けれど、胸の奥は重かった。  そのとき、集落の奥から声が聞こえてきた。 「神様……どうか雨を降らせてください」 「お願いします……」 「もう、食べるものがありません……」  人々が祈っている。  私は、その姿を見つめた。  神々を信じている。  それなのに――誰も幸せそうな顔をしていない。 「……苦しいね」  私が呟いた。  すると、少し離れたところから別の声が聞こえた。 「何度祈ったって、何も変わらない」 「神様は、本当にいるのか?」 「もう、祈るのも疲れた……」  私は息を呑んだ。  信仰そのものが、揺らいでいる。 「……どうして?」  そのときだった。 「それが、この国で起きていることです」  背後から声がした。  振り返ると、一人の男が立っていた。  穏やかな表情をしている。  けれど、その目には深い疲れが見えた。 「私は大国主《オオクニヌシ》と申します」 「私はミカエル。こっちの二人はガブリエルとカマエルです」  二人は軽くお辞儀をした。 「遠いところから、よくお越しくださいました」 「いきなりで申し訳ないんですけど、大国主様。この国では何が起きているのですか?」  私はすぐに尋ねた。  大国主は、目の前に広がる集落を見渡した。 「大規模な飢饉が起きています」 「……大飢饉ですか」 「雨が降らず、作物が育たない。それが長く続いています」 「神々は?」  私が尋ねると、大国主は苦しそうに目を伏せた。 「神々も、人々を救おうとしています」 「じゃあ、どうして……」 「神々の力そのものが、弱まっているのです」  私は言葉を失った。 「人々の信仰が、少しずつ失われているからですか?」  ガブリエルが静かに言った。  大国主は頷く。 「はい」  私はもう一度、人々を見た。  祈る人。  疑う人。  恐れる人。  同じ人間なのに、その感情が少しずつ変わっている。  それが、神々の力にも影響している。 「……このままじゃ、みんながもっと苦しくなっていくだけだよね」  私は拳を握った。 「何か方法はないんですか?」 「今の私には、分かりません」  大国主が答えた。  その言葉が胸に残った。  すると――。  ズン……。 「……え?」  足元が、小さく揺れた。  私は反射的に周囲を見渡す。  人々も動きを止めている。 「地震?」  ガブリエルが呟いた。  揺れはすぐに収まった。  けれど、人々の表情は明らかに怯えていた。 「まただ……」 「また地面が揺れた……」 「怖い……」  子供が泣き始める。  母親が、その身体を強く抱きしめた。 「大丈夫!」  私はすぐに声を上げた。 「みんな、落ち着いて!」  けれど――次の瞬間。  ズズズズズ……! 「きゃあああっ!」  先ほどとは比べものにならないほどの揺れが、大地を襲った。  建物が揺れ、地面が大きく震える。  人々が逃げ惑う。  泣き叫ぶ子供。  その子を抱きしめる母親。  恐怖に震える人々。  私はその光景を見つめながら、息を呑んだ。  さっきまでの不安が、今は恐怖へ変わっている。  そして――その恐怖が、まるで大地そのものに吸い込まれていく。 「……何?」  私は震える地面へ目を向けた。  胸の奥に、言いようのない不安が広がっていく。  この地震は、ただの自然現象なのだろうか――私には、そうは思えなかった。

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