ふみの世界樹 / 第13話

第十二話 したっぱ兄弟

 その時。 「おい」  背後から、声がした。  ミコトは、ルナのために買った包みを胸元へ寄せた。中には柔らかい布と、水皿と、餌皿が入っている。落とせば困るし、割れたらもっと困る。だから振り返る時も、自然と包みを庇うような格好になった。  ヴァンは、ミコトより先に振り返っていた。  市場の大通りから少し外れた細い道に、二人の男が立っていた。  一人は、くたびれた頭巾をかぶった痩せ気味の男だった。服はあちこち擦り切れ、泥の跡も残っている。顔には薄い無精ひげがあって、目は落ち着きなく動いていた。  もう一人は、少し年上に見えた。禿げ上がりかけた頭に、大きな口ひげ。大きめの耳。腕を組んで偉そうに立っているが、服は同じようにぼろく、靴の片方は紐が切れていた。 「学生様じゃねえか」  頭巾の男が言った。 「いいもん持ってんじゃねえの。なあ、あにき」 「ばか。最初から荷物の話はすんな。見るだけにしろ。見るだけなら盗みじゃねえ」 「なるほど。おい、オレ達はしたっぱ兄弟だ。荷物を見せろ」 「ばか。自分でしたっぱとか言うな。それに、そこは荷物を見せて下さいだろうが」 「なるほど」  ミコトは、何と返せばいいのか分からなかった。兄貴と弟分。この二人はたぶん、悪い人達なのだと思う。けれど、言っていることが少しずつ抜けていて、怖いよりも先に対応に困ってしまう。  ヴァンは黙っていた。  兄貴は咳払いをして、仕切り直す。 「悪いな、おじょうちゃん。こいつは礼儀ってもんを知らねえ。オレがちゃんと教えてやってるところなんだ」 「はあ」 「つまりだな。ここを通るには、通行料がいる」 「通行料、ですか」 「そうだ」 「ここは、市場の道ではないんですか?」 「市場の道だ」 「では、市場の通行料ですか?」 「そんなところだ」 「では、二人はお役人さんですか?」 「いや、そうじゃねえ。そうじゃねえんだ」  兄貴は少し詰まった。弟分が横から小さく言う。 「あにき、オレ達のナワバリって言うところですぜ」 「今言うところだった」 「でも、ここ、衛兵がよく通りますぜ」 「今それは言うな」  二人は小声のつもりらしいが、ミコトにも聞こえていた。  ヴァンが呆れたように短く言った。 「どけ」  兄貴は腕を組み直した。 「そう簡単にはどかねえ」 「そうですぜ。あにきは、どかねえ時は本当にどかねえんです」 「おまえは黙ってろ」  ミコトは、思わず包みを抱き直した。その動きを見て、弟分の目が包みに向いた。 「あにき、やっぱりあの包み、気になりますぜ」 「割れ物っぽいからやめとけ」 「でも、学生様の持ち物なら高いかも」 「高くても割れたら売れねえ」 「じゃあ、見るだけ」  そう言って、弟分の男は手を伸ばした。  ミコトは一歩下がろうとした。  その手が包みに触れる前に、ヴァンが動いた。弟分の手首を、軽く叩き払った。 「触るな」  その声は静かだった。 「あにき、このガキちょっと生意気ですぜ」 「だから勝手に手を出すなと言っただろうが」 「言われましたっけ」 「言った」 「心に届いてませんでした」 「これだから、おまえはダメなんだ」  ヴァンは黙って見ている。それは見定めているようでもあった。  弟分は、兄貴の後ろへ隠れる。兄貴はそれを庇うように前へ出たが、表情はあまり強くなかった。 「こうなったら仕方ねえ。オレが出る」 「あにき」 「見てろ。あにきの迫力ってやつを」 「迫力あります?」 「これから出す」  兄貴は顎を上げて、できるだけ大きく見えるように立った。  ヴァンは黙って見あげていた。一歩も引かない。  少しの間があった。  兄貴の額に、じわりと汗が浮いた。 「……今日はこのくらいにしてやる」 「あにき、まだ何もしてませんぜ」 「だから、このくらいなんだよ」  ミコトは、怖がるべきなのか、笑っていい場面なのか、分からなくなっていた。その時、通りの向こうから足音が聞こえた。  衛兵が二人、こちらへ歩いてきていた。片方は銃杖を持っている。前に見た、槍にも杖にも見える太い柄と、先端の金属筒。もう片方は腰の小袋に手を伸ばしていた。  したっぱ兄弟の顔色が変わった。 「あにき、衛兵ですぜ」 「見りゃ分かる」 「逃げます?」 「まだ何もしてねえから、堂々と歩く」 「逃げるんじゃなくて?」 「やっぱり逃げようか。なら、堂々と逃げるんだ」  二人は何事もなかったような顔を作って歩き出そうとした。  けれど、兄貴は右へ、弟分は左へ行こうとして、すぐに肩がぶつかった。 「こっちだ」 「あにきが先に言ってくださいよ」 「言わなくても分かれ」 「分かるようなら、したっぱやってません」 「そこを誇るな」  衛兵の声が飛んだ。 「止まれ」 「やばい、ずらかれ!」 「へい、あにき!」  したっぱ兄弟は反射的に逃げ出した。けれど今度は、兄貴が左へ、弟分は右へ行こうとして、またすぐに肩がぶつかった。二人は妙な形でよろける。  衛兵の一人が、腰の小袋から針金の欠片を摘まんで取り出した。その指先が、二人へ向けられる。 「戒めよ、手足を留めよ。害なす意思を、その場に縫え。|対人麻痺《メンシュ・パラリーチ》」  その詠唱が終わると、空気が、ほんの少しだけ重くなった気がした。針金の欠片は、霧のように崩れ落ちて消えた。  次の瞬間、二人の動きが止まった。兄貴は片足を上げかけたまま。弟分は驚いた顏のまま。二人とも目だけをぎょろぎょろ動かしている。口は開いているのに、声は出ない。  ミコトは、思わず包みを強く抱き締めた。ヴァンの背中に隠れながら、尋ねた。 「あれ、動けなくなったんですか」 「うん。対人麻痺の呪文」  ヴァンが言った。 「捕まえる時に使う」 「意識は、あるんですか?」 「ある」  ミコトは、固まった二人を見た。  悪いことをしようとしていた相手なのに、目だけが必死に動いているのを見ると、少しだけ怖くて、少しだけ気の毒にも見えた。  衛兵達は慣れた様子で近づいた。 「またこいつらか」  一人が呆れたように言う。もう一人がヴァン達に尋ねた。 「君達、彼等に何をされた?」 「通行を邪魔された」  ヴァンが答えた。 「それから、荷物に触ろうとした」  衛兵はミコトの包みを見る。 「怪我は」 「ありません」 「荷物は」 「大丈夫です」  ミコトは慌てて頷いた。 「猫さんのものなので」  衛兵は一瞬だけ眉を上げた。 「猫」 「はい」 「そうか。なら、無事でよかった」  その間に、もう一人の衛兵が兄貴の腕を後ろへ回し、縄をかけた。続けて、弟分にも縄がかけられる。麻痺しているので抵抗はできない。  けれど、二人の目だけは、まだ忙しく動いていた。  兄貴の目は、たぶん「すまん」と言っていた。  弟分の目は、たぶん「あにき、また捕まりましたぜ」と言っていた。  声は出ない。だから、たぶんでしかない。 「そいつら、どうなる?」  ヴァンが尋ねた。 「奉仕活動に従事させる」 「そうか」 「それじゃ君達、気を付けて帰るんだよ」 「猫ちゃんを大切にな」  衛兵達は二人を引いていく。ミコトは、その背をしばらく呆然としながら見送っていた。  やがて術の効き目が薄れたのか、頭巾の男がかすれた声を出したのが聞こえた。 「あにき……今日のところは、引き分けってことで……」 「負けだ、ばか」  兄貴が小さく答えていた。  二人は、そのまま連れて行かれて、街の角を曲がって見えなくなった。  ミコトは、したっぱ兄弟と衛兵達の姿が見えなくなった後も、しばらくその方を見ていた。  ヴァンは何も言わず、ミコトが動き出すのを待っていた。 「ヴァンさん」 「なんだ」 「いまの人達って、たぶん悪い人、なんですよね」 「分からない。弱いだけだと思う」  ヴァンは歩き出した。  ミコトは、その隣に並ぶ。  大通りの声が、少しずつ離れていく。焼いた麦の匂い。果物の匂い。革と油の匂い。さっきまで楽しいだけだった匂いの中に、ほんの少しだけ別のものが混じった気がした。  それでも、包みは無事だった。ミコトは、そっと胸元に抱え直した。 「ルナのもの、取られなくて良かったです」 「取らせない」  ヴァンは強く短く言った。  その言葉が、ミコトには少し心強かった。

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