ふみの世界樹 / 第1話

第0話 プロローグ

本作は、非テンプレの王道ファンタジーです。 序盤の展開こそ学園ほのぼのライフですが、後半になるに従って展開が次第に苛烈に、戦闘もハードになります。 積み重ね、伏線回収、複雑なプロット構造、群像劇、キャラクターの心情を深掘り、そういったものにアレルギーのある方は、回れ右を推奨。
   ──    殺す。  ……いや、殺した。  そう思った時には、もう終わっていた。  刃は、ヴァンの手の中にあった。  いつ抜いたのか分からない。  いつ踏み込んだのかも分からない。  ただ、広間の石床に男が倒れていた。  胸元から、赤が広がっていく。  術士の唇が震えた。  詫びか。  呪いか。  命乞いか。  ヴァンには聞こえなかった。  聞こえるはずがなかった。  耳の奥には、まだ、あの声だけが残っていた。 『また、見つけてね』  それだけだった。  少し前まで、ミコトはそこにいた。  ヴァンの隣にいた。  怖がっているくせに、怖くないふりをしていた。  震えているくせに、誰かを安心させるために息を抑えていた。  術士が腕を上げた。  空気が裂けた。  暗がりを裂く、緑白い光。  炎ではなかった。  熱でもなかった。  その光は、燃やすものではない。  ほどくものだった。  肉を。  骨を。  血を。  声を。  人が人であるために必要なものを、順番など無視して、塵へ変える。  ヴァンの足は動かなかった。  頭のどこかでは分かっていた。  あれは、受けてはならない光だ。  けれど身体は、その叫びに追いついていなかった。  背中に、軽い衝撃があった。  押されたのではない。  誰かが、ヴァンと光の間に入った。  ミコトだった。  彼女は、ヴァンの前に立っていた。  逃げるためではなく。  祈るためでもなく。  ただ、彼を庇うために。  一瞬だけ、ミコトが振り向いた。  その顔に、涙はなかった。  怖くなかったはずがない。  痛くなかったはずがない。  死にたかったはずがない。  それでも、ミコトは笑おうとしていた。  笑い切れない唇で、  いつもの明るさの、ほんの端だけを作って。 「また、見つけてね」  光が来た。  声が消えた。  ミコトが消えた。  衣服だけが落ちた。  装具が鳴った。  靴が、床に残った。  人だけがいなかった。  ヴァンは手を伸ばした。  遅かった。  塵が指を抜けた。  掴めなかった。  掴むものが、もうなかった。  喉が閉じた。  息が入らない。  声も出ない。  胸の奥で、何かが折れた。  音はしなかった。  ただ、戻らないことだけが分かった。  術士が、まだ生きていた。  それが、いけなかった。  ヴァンは立っていた。  刃を持っていた。  いつ抜いたのか、覚えていない。  周囲にも敵はいた。  刃を向けられる者は、他にもいた。  怒りをぶつけられる者も、いくらでもいた。  けれど、刃の向かう先は一つしかなかった。  ミコトを塵に変えた男。  まだ、生きている男。  術士の口が動いた。  次の言葉を紡ごうとしていた。  許せなかった。  ではない。  間に合わなかった。  刃はもう、入っていた。  肉を裂いた感触が、手の中に残った。  骨に当たった硬さが、遅れて来た。  血が柄を濡らした。  術士が崩れる。  ヴァンは、それを見下ろしていた。  殺す。  そう思った時には、既に殺し終わっていた。  刃の先から、赤が落ちる。  一滴。  二滴。  床には、ミコトの服があった。  床には、術士の血があった。  その間に、ヴァンがいた。  刃の柄に、血が入り込んでいた。  握り直すと、ぬるりと滑った。  それでも、指は開かなかった。  開き方を、忘れてしまったようだった。  この手は、もう戻れない。  人を殺した手だ。  ミコトを守れなかった手だ。  それでも、その手で、いつか必ず見付けなければならなかった。  彼女が最後に残した願いを。  彼女が彼に預けていった、あまりにも残酷な約束を。  ヴァンは、冷たい石床に落ちた衣服の前に膝をついた。  そして初めて、息をした。 「……ミコト」  名前は、血と塵の匂いの中へ落ちた。  返事はなかった。  けれど、声だけは消えなかった。

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