ふみの世界樹 / 第131話

第九十九話 決着

【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月10日 孔雀曜日 4:09 七聖学院 講堂 】  おれは死を覚悟した。  いや、覚悟はしていた。  普段から、とっくの昔に。できているはずだった。  だが、目の前に迫る|大戦斧《グレート・アクス》を見た時。おれは思った。  ── 死にたくない。  なんで? 「ヴァンっ‼」  声が聞こえた。  ──そうだ。  おれはまだ、ミコトに伝えたい言葉がある。  一緒に見たい景色がある。  レオナとの約束もある。  爺ちゃんの剣、あの目標もある。  おれは死ねない。死ねない。死にたくない。くそ、くそ、くそ!  弱い。おれは弱い。こんな戦士に負ける。悪いやつに負ける。いやだ。  動け、おれ! あきらめんな。動けよ!  衝撃。音。腕の痛み。  おれは床を背にしたまま、その死の一撃を、逆手に持った|短剣《ダガー》の鍔部分で止めた。  一瞬だけ。  だが、圧倒的な筋力と、武器の重さで押し込まれる。潰される。 「おおぉっ!」  その前に。    壊れてもいい。  骨の砕けたような音。左肘に感じる衝撃。  床を背にしたおれは、そのまま身体を右へ回しながら、引っ掛けた|短剣《ダガー》の鍔で押し込み、さらに斧刃側面を肘で殴って払い除けた。  斬撃音。  おれの直ぐ隣で、床板が一直線に裂ける。 「ヴァン、平気か⁉」  おれは身体を逆に回して、床を二度だけ転がって距離を取る。仮面の大男が|大戦斧《グレート・アクス》を床から引き抜く前に立ち上がって、さらに大股で三歩だけ離れる。敵を見据えて即座に構える。 「ああ」  とりあえずの生存報告、続いて自己診断。  体力は? かなり減った。戦える。問題ない。  出血は? あちこち掠り傷。戦える。問題ない。  両足は? 動く。戦える。問題ない。  両手は? 左肘が死んだ。戦える。問題ない。 「問題ない」  ミコトが近くまで来た。  ハリスが制した。それでいい。来たら戦いに困る。  ジークハルト先生は、声が聞こえない。後ろで壁にぶつかって、それから意識がないんだと思う。振り返って確かめる暇がない。そんな隙、見せたら殺される。 「今のは殺せたと思ったんだがなァ?」  確かに危なかった。でも、おれは死んでない。殺されてない。 「殺せない。おまえは強いけれど、おれは殺されてやらない」 「抜かせッ!」  多分、勝てるかどうか最後の機会だ。  こっちにはハリスがいる。連携を取れたら勝てる。  なら、兄貴達も待つ?  いいや、ダメだ。  あの大きい怪物は、兄貴達が戦ってる。多分、倒すまで少し時間が掛かる。  こいつらに時間の猶予を与えちゃいけない。  勝つには、殺す?   分からない。  結果、殺すことになっても後悔はしない。みんなが殺されるよりマシだから。  そもそも、そんな手加減していられる相手じゃない。こいつは殺すことに|躊躇《ためら》いがない。最初からずっとそうだった。  でも、獅子や狼のそれとは違う。  必要ないのに、殺したがってる。なんで?  分からない。  今はどうでもいい。  分かりたくもない。   「ハリス、足留め頼む」 「分かった。任せろ」  大男は一応、ハリスの方を警戒している。魔法を使うからだ。  さっきも、おれをやると見せかけて、ハリスを襲った。先生を襲った。  こいつ、バカじゃない。  言ってること、ずっとバカっぽいのに、狡賢い。 「何をしている。さっさとガキ共を殺せ」 「うるせぇ、今からブッ殺すところだ!」  ヴネオンが魔法を使ってこない。味方を巻き込むかも知れないからだ。それなら距離をとったら撃たれる。こいつと接近戦を続けるのが、今は一番いい。 「オラァァァァッ‼」  物凄い気合と剣幕でやって来た。でも、おれは不思議と落ち着いていた。  ミコトが見ている。だから多分、おれは強くなってる。    絶対に失敗できないから、集中力が増している。どんどん心が細く、鋭くなっている。    おれは数歩だけ横に動く。ハリスも数歩だけ横に動いた。おれの背後に来る。  ハリスが放つとしたら、あの魔法だ。  おれは大男の足元を見た。さっき足留めと言ったから、きっと気にする。 「今だ!」  ハリスの声。何かが大男の足元へ飛んで行った。 「見え見えだ!」  硝子が割れる音。広がる油。  その油瓶を投げたのはミコト。おれの荷物から取って捨てられたそれ。  ハリスが、こっそり指示していたのは分かってる。  床に広がった油を、大男は大股一歩で乗り越える。  |凍結針《フロスト・ナーデル》。    その一歩。動きが少しだけ大きくなる一瞬。  おれは同時に飛び出す。ハリスの放った氷の魔法が、大男の顔面を捉えた。 「ぐっ⁉」  致命傷には遠く及ばない。仮面もあるので、実際そこまで負傷もさせられない。  それでも攻撃の軸。振りの中心が少しだけブレた。 「おりゃぁぁッ‼」  やぶれかぶれに放たれた一撃。それでも、当たれば子供なんて半分にされてしまう。  おれは同じ要領で、今度は左側に|大戦斧《グレート・アクス》を払い除けた。後はこのまま喉を目掛け……。  突然の衝撃。  え?  こいつ、無理矢理だ。  振り下ろす軌道を変えた。筋力だけで、強引に。  そうか、分かったぞ。  これだけ力があったら、斧の刃じゃなくても、横側で殴るだけでも殺せる。  おれは、殴られた。  脇腹。  肋骨が、一つ、二つ、……三つか? 折られた。  吹き飛ばされたら、死ぬ。  落ちてぶつかって死ぬんじゃない。そんなの受け身でなんとか、ギリギリ死なないで済む。  距離が開く。魔法が来る。  こいつらは手加減しない。  間違いない。吹き飛ばされたら、おれが魔法で撃たれて死ぬ。  その次に、ハリスが斧で殺されて。  最後にミコトも……。 「うがぁぁぁぁっ‼」  おれは叫んだ。肘の壊れた左腕を、斧に回して抱き留める。  手首の少し下に、刃の部分が食い込んだ。  痛い。……はず、でも、どうでも良かった。  吹き飛ばされる力を、左腕で耐えた。肩が抜けそうだ。食い込んだ刃が、腕を断ちそうだ。でも離さない。  絶対に、手放すものか!  おれは大男の腕を斬る。断って落とすには、おれの力も、刃の長さも足りない。それでも、おれの|短剣《ダガー》は食い込んだ。 「ぐぉぉっ⁉」  こいつ、痛みでも武器を手放さない。強い。  おれは、身体を沈めて、食い込ませた刃を引っ張る。  反射的に、武器から腕を離すまいと、大男が引っ張り返す。  今だ。  姉御がやったみたいに、相手の力を利用する。跳べ。  見よう見まね。それでも、おれの刃を届かせるには十分だった。  感触。  初めて刃を深々と、人間の肉に突き立てた感触。 「ガあぁァぁっ‼」  喉を狙った。殺すつもりだった。でも外れた。    もしかすると、自分でも無意識に外したかもしれない。  分からない。それでも首の付け根に刃が刺さった。  これは大男も武器を手放して、仰け反った。おれは手放さない。柄を強く握る。  のたうち回る大男。おれは振り回される。血がたくさん飛び散る。おれは返り血を浴びる。イノシシの時よりは量も少ないし、匂いも臭くない。 「ヴァン!」  ミコトの声が聞こえる。  大丈夫。おれは大丈夫。  ミコトは大丈夫か? 「ヴァン、離れろ!」  ハリスの声が聞こえる。離れろ? なぜ?  こいつは、ここで倒さなきゃ。せっかく食らい付いたんだ。このまま、気絶するか、失血死するか、最後までやらないと。  おれは、大男に両腕で首を掴まれた。そうか、それで離れろと。 「こいつは、倒す!」  大男は背中から床に倒れた。まだ息がある。しぶとい。 「倒す。絶対に……‼」  おれは刃を押し込む。  大男は、おれの首を絞める。  |根競《こんくら》べだ。   *  噴水ロータリー跡。  巨大な魔獣は、追い詰められていた。  衛兵隊と、海兵隊に囲まれ、牽制の魔法を休みなく撃ち込まれる。  二本の触手が、壁を打ち壊し、|塔盾《タワー・シールド》の列を薙ぎ払う。  湖の方から、|特殊矢弾《ライフリング・ボルト》が飛来し、触手を一つ吹き飛ばした。  山羊の頭から、|獄炎の息吹《ヘルブレス》が放たれる。  エイデンが、その顎を拳で殴り飛ばし、炎は天高くばら撒かれる。  獅子の咆哮。  動きが止まる全戦力。  唯一、マギが|静寂術《シュティレ》を張った中にいたアルフォンスと、マナ。この二人が咆哮の影響を免れ、集積した|魔力弾《マギー・ボルト》の連射で山羊の頭を潰した。  同じく何かしらの|氣術《ゼーレン》を使ったエイデンも、咆哮による|麻痺《スタン》を迂回し、背後から蛇の頭を断っていた。  死に物狂いで暴れまわる魔獣。  ヴァルクが、冷静に獅子の片目を斬った。前足の指を三本、落とした。もう片方の触手も斬り飛ばした。 「ローティ先輩!」  誰かの叫びと同時に、マギの|跳躍術《シュプルング》が発動した。  まだ包帯の残るローティが、濡れた石畳を蹴った。 「喰らえぇぇぇえっ!!」   学芸会で見せたものと同じ技、それ以上に高い|跳躍《ジャンプ》。  そして、最大限の気迫──!  ────── 脳天。  深々と突き立つ刃。  ローティが魔獣を屠った。  だが、招来された魔物は死体が残らず、消滅する。 「あれ?」  足場が消えて、魔獣の頭の高さから|大きな水たまり《噴水の名残り》に落ちた。 「どうにか、倒せたのう」  ヴァルクが一息つき、講堂の方へと視線を向けた。 「まだ、|首魁《ヴネオン》が残っている」  エイデンの言葉に、アルフォンスが|頷《うなず》いた。 「嫌な予感がします。急ぎましょう」   *  おれは、負けない。  おれ達は、負けない。 「く、そ……、ガ、キ……、め……」  根性で勝った。  大男は気絶した。  まだ生きている。治療すれば助かるけれど、放っておけば死ぬ。  おれ達は勝てた。殺さずに勝てた。 「役立たず共め」  とりあえず、おれは大男から離れて、武器を構え直す。  ヴネオンが、起爆装置を手にした。 「全員、死ぬがいい!」  ──|起動《スイッチ・オン》。  おれは一瞬、心臓が跳ねたけれど。 「オーレリア、今日もたくさん記録しような」  え? ロイの声だ。  さっき床に捨てられた|小型魔法人形《ミニ・ゴーレム》が動き出している。 「な、なんだこれは⁉ ふざけているのか!」 「ふざけてなんかないです。オーレリアが、みんなを守ったんです」  ミコトの言葉に、ヴネオンの表情が歪む。 「起動信号の上書きだ。玩具に負けた気分はどうだ?」 「上書き……だと?」  ハリスの言葉に少し考えたヴネオンは、はっとした表情で毒づいた。 「あの時か! |女狐《めぎつね》め!」  おれ達は遂にヴネオンを追い詰めた。  だが、これ以上は踏み込めない。 「もう終わりだ。ヴネオン!」  ハリスが言葉を投げかける。 「そうだな。終わりのようだ。また会おう」  ヴネオンが何か魔法の詠唱を始めた。 「──|次元封鎖《ディメンジョンシュロス》!」  その時。  何かしらの魔法が当たって、透明な鎖のような魔法がヴネオンを囲った。 「|瞬間移動《ペレホート》で逃げようなんて、このエリーが許さないんだからね~?」  その声は講堂の二階からだった。見れば、知らない女の人が立っていた。 「くっ……、」  おれには詳細までよく分からなかったが、こいつが逃げようとして、失敗したのは分かった。 「ならば……」 「させるか!」  今度はハリスが何かを投げた。  赤い宝石が飛んでいく。  さっき捨てられた荷物。小麦粉の中に隠してあった爆弾の核部品。  |火球の宝石《ジェム・オヴ・フラムボール》。  ハリスは、おれの隠し場所に気付いていたようだ。  「むっ⁉」  ヴネオンは、咄嗟に何か防御魔法を展開して爆発を防いだ。  おれ達まで巻き込まないように、ヴネオンの真上に向かって放物線を描いて投げたから、対応する時間を与えてしまった形だ。  それでも十分だ。  この爆発の衝撃、煙、音。  おれがヴネオンに近付いて、決着をつけるには十分な陽動になる。  その時。  ──────ちゃきり。  その音を聞いた者は、何事かと気に留める。  その音を知る者は、戦慄の記憶を思い出す。  その音を向けられた者は、存在を|解《ほど》かれる。  ……だが、おれは知らなかった。  聞こえたのに、分からなかった。  ヴネオンが腕を上げたのは分かった。  その手に、鋏の付いた杖があるのも分かった。  視認した瞬間、もう遅かった。  空気が裂けていた。  爆炎の名残り。黒い煙を裂く、翡翠のような乳白色の光。  炎でも熱でもなかった。  おれの足は動けなかった。  勝ったと思って、おれは油断していた。 「ヴァン」  背中に、軽い衝撃があった。  ミコトだった。  身を投げ出して、おれを突き飛ばしていた。  一瞬だけ、ミコトが振り向いた。  その顔に、涙はなかった。  それでも。  笑い切れない唇で。  いつもの明るさの、ほんの端だけを作って。 「また、見つけてね」  声が聞こえた。  光が来た。

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