白井黒也 / 第3話

はじまりの羽音③

日が傾き始めた頃、俺たちは魔王城のすぐ南にある町――アインベルグにやってきた。 見た目は中世風の石造りの建物が並んでるけど、どの店にも魔物娘が普通に働いていて、人間の客とも笑顔で話している。 「……思ったより、穏やかな町ですね」 「ふふ。魔王様のお膝元だもの。下手な差別なんてしたら、それこそ命がいくつあっても足りないわ」 たしかに、魔王の“影響力”を考えれば納得できる。 (……このカード、本当に使えるんだろうか。魔王様の気まぐれって可能性もあるしな) 宿屋に入って、受付に刻印カードを出してみると―― 「これは!魔王様の刻印!?」 宿のおばちゃんが、びっくりしたような声を上げた。……どうやら使えるらしい。 「――ですがすみません、ちょっと…」 「……え、まさか使えないとか?」 「いえいえ、とんでもない!ちゃんと使えますよ。ただ……空いてるのが、ダブルベッドの部屋だけでして」 申し訳なさそうに頭を下げるおばちゃん。 「……リリアさん、どうします?」 「……いいわよ。私が端っこで寝れば問題ないもの」 「いや、女性にそんなことさせるわけには。俺が端で寝ますよ」 「あら、二人で寝るのはもう決定事項なのね?」 「あっ、いや、これはその……」 「ふふっ、いいのよ。お互い床で寝るのは嫌でしょ?」 リリアさんが、いたずらっぽい笑みを浮かべて俺を覗き込む。 なんだか気恥ずかしくなって、思わず視線を逸らした。 部屋に入って、俺たちはそれぞれ寝る準備を始めた。 俺はジャケットとワイシャツを脱いで、下着姿に。 リリアさんはすでにベッドに横になっていた。窓から差し込む月明かりに照らされて、藍色の髪がふんわり揺れて見える。 意を決して、なるべく距離を取ってベッドに潜り込んだ。 ……が。 「ふふっ。そんなに端っこに寄らなくても、食べたりしないわよ?」 「いや、これは……!」 視線をそらしたまま何か言おうとすると、リリアさんがそっと囁いてきた。 「ほら、こっちを向いて。もっと近くにいらっしゃい?」 息が止まりそうになる。断るのも失礼……というか、断れるはずがなかった。 おそるおそる振り向くと、リリアさんの顔がすぐそこに。 ベッドの左端にいたはずの彼女は、ほんの少しだけ俺の方へ寄ってきていて、距離は……肩が触れるか触れないかのギリギリ。 目が、つい胸元に引き寄せられそうになるけど、あわてて顔を上げようとした、そのときだった。 ──リリアさんの首元に、ひとつ、小さな羽根のペンダントが揺れているのが見えた。 月明かりを受けて、羽根の細工がかすかに光った。 ふわりと、どこか切ない、冷たい風が心を撫でたような気がした。 「…リリア、さん?」 「そーれ、やめましょ?」 「え?」 「その“さん”付けとか、敬語とか」 「あー、じゃあ……」 「リリア、でいいのよ」 「……リリア」 「なーに?」 微笑む彼女。いつも通りの、艶やかな、完璧な笑顔。 ──けれど、その笑みの奥に、やっぱり影があるように見えた。 「からかってるだろ」 「ふふっ、そんなことないわよ」 やわらかい声。でも、そのあと一瞬だけ、彼女のまばたきがゆっくりになったように見えた。 その微笑みの奥に、ふっと影が差す。不安?それとも、孤独? 静まり返った夜の空気の中で、それが妙にはっきりと感じられた。 ◇ ◇ ◇ カーテンの隙間から、やわらかな朝の光が差し込んでくる。 目を覚ました俺は、ぼんやりと天井を見つめながら深く息を吐いた。 (……ああ、そうか。異世界か) 昨日からの出来事を思い返して、頭の中がまだ整理しきれていない自分に気づく。 それでも、とりあえず目が覚めて、隣を見ると―― リリアが、静かに眠っていた。 仰向けになったまま、まるで人形みたいに微動だにせず……でも寝息は、すごく安らかで。 (なんだろ……やたらと絵になるというか、綺麗すぎるというか……) あれだけ近くで話して、しかも同じベッドで寝たはずなのに、いまだに実感がない。 でも確かに、距離は縮まった気がしていて―― (あの目。あの微笑み。……やっぱり、どこか寂しそうだったな) ただ美しいだけじゃない。 その奥に、触れてはいけない何かがある気がして……怖いような、気になるような。 ごそ、と音を立てないようにベッドから抜け出す。 顔を洗って、頭を冷やしてこよう。そう思って、そっと立ち上がったとき―― 「……もう起きちゃったの?」 寝ぼけたような声が、後ろから聞こえてきた。 「ごめん、起こしちゃった?」 「ううん。……ふふ、なんだか不思議な気分」 (不思議、か……俺もだよ) 「誰かと一緒に朝を迎えるのって、あまりないから」 リリアの微笑みが、昨日より少しだけ柔らかく見えた。 (やっぱり、俺……この人のこと、もっと知りたいって思ってる) ◇ ◇ ◇ 旅に必要な食料や寝袋を買い終えて、町の通りをのんびり歩いていると、突然、遠くから悲鳴が聞こえてきた。 「きゃあっ! 誰か!!」 リリアが小さく眉をひそめる。 「今の悲鳴は?」 「行ってみよう!」 俺は即座に駆け出した。 「ちょ、ちょっと待って!」 リリアの声を背に、声の方角へ一直線に走る。角を曲がると、魔物娘の商人が地面に倒れ込んでいた。 「大丈夫ですか!?」 「ど、泥棒です!あそこにいる人間が私のお金を!」 指さした先には、小袋を握りしめたフード姿の男が逃げている。 「待てーっ!」 考えるより先に体が動いていた。 フードの男は振り返り、俺の存在に気づくと、さらにスピードを上げて逃げ出す。 正直、走るのは得意じゃない。でもここで引き下がれるか! 「待てってば!」 「くっ……!」 必死に建物と建物の間を縫うように逃げる泥棒。見失いそうになりながらも、必死で追いかける。 もう少し……あとちょっとで追いつく! 俺は泥棒を捕まえようと、思いきり右手を伸ばした――その時。 泥棒が急に立ち止まって、くるりと振り向いた。 まさか、観念した? ……甘かった。男は懐からナイフを引き抜き、構えてきた。 「えっ、うそ、マジで!?」 思わず急ブレーキ。慌てて身構えるが、当然武器なんて持ってない。 素手で刃物相手とか、無理ゲーすぎる。 「うおおお!」 「わっ、やめろって!」 泥棒が勢いよく突っ込んでくる。 俺は必死でかわしながら距離を取ろうとするけど、さっきの全力疾走のせいで足がもつれそうになる。 そして―― 「ぐっ……!」 左頬に鋭い痛みが走った。切られた。 熱い。深い。これは、まずいかもしれない。 けど、痛がってる暇なんてない。 後ろに飛び退ろうとした、その時。 「うぐおっ!!」 突然、横から飛んできた華麗な蹴りが、泥棒の顔面を直撃した。 「もうっ、騒がしいわね」 「リリア!」 蹴られた泥棒は地面に転がって、もだえている。 ……強すぎじゃない!?サキュバスって、こんなに格闘能力高いのか? 「大丈夫?」 「あ、ああ。なんとか……」 「……っ、ダメじゃない、大怪我してるじゃない!」 リリアが俺の頬を覗き込んで、はっと息をのんだ。 「……なにこれ」 「え?」 驚いた顔でリリアがつぶやく。 「傷が……塞がっていってる」 「な、なんだって?」 慌てて自分の頬を触る。 確かに、さっきまであったはずの痛みがどこにもない。 手のひらを見ると、指先に黒い煙みたいなものが、もやもやとまとわりついていた。 「リリアさん、今、なんかした!?」 「してないわよ!回復魔法なんて使えないもの」 お互いぽかんとしていると、遠くから衛兵たちを引き連れたさっきの商人が駆けつけてきた。 とりあえず、一件落着──か? ◇ ◇ ◇ 衛兵たちに泥棒を引き渡し、商人の魔物娘から何度もお礼を言われた俺達は、ひとまずその場を離れた。 「はあ……朝から色々ありすぎだろ……」 疲れた身体を引きずりながら、リリアと並んで歩く。 「でも、無事でよかったわ。ケガも、すぐ治ったし」 リリアがふっと微笑む。それだけで、少しだけ心が軽くなった。 ……とはいえ、あの怪我。 あれだけザックリ切られたはずなのに、あっという間に塞がったのは、やっぱりおかしい。 (俺の体……いったいどうなってるんだ?) 指先に残った、あの黒いもやもや。 思い出すだけで、背筋に冷たいものが走った。 「さて、これからどこに行こうか」 気を取り直してリリアに尋ねると、彼女は小さく考えるそぶりを見せた。 「そうねー。それなら、魔法学院に行ってみるのはどうかしら?」 「魔法学院……!」 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が高鳴った。 本やゲームでしか聞いたことのないような、異世界の響き。 そこには、きっと見たこともない景色と、想像もつかないような人たちが待っている。 それに―― 「もしかしたら、あなたが元の世界に帰る手がかりも、そこにあるかもしれないわ」 リリアの言葉が、燃えるように希望を灯した。 まだ何も分からない。でも、行ってみなきゃ始まらない。 「よし、行ってみよう!」 こうして俺達は、目指すべき次の場所──魔法学院へと向かうのだった。
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