芦名 雅 / 第35話

第4話 千年後のデートと、変わらない嫉妬

 拓海は未来の世界を知らなかった。音姫は千年分知っていた。その差は、想像以上だった。 「これ、電車?」 「浮上式都市間輸送です」 「切符は?」 「もう三百年前に消えました」 「コンビニは?」 「あります」 「あるんだ!」 「人類は何度文明が変わっても、夜中に甘いものを買いたくなるので」  妙に納得した。音姫は拓海を街へ連れ出した。千年後の海岸。空中庭園。過去の都市を再現した歴史区画。拓海がいた二十一世紀は、今では「古典情報時代」と呼ばれていた。博物館にはスマートフォンが展示されている。 「うわ、俺の時代が縄文土器みたいな扱い」 「私にとっては昨日みたいなものですけどね」 「その感覚怖いな」  歴史区画の一角に、古い学校の教室が再現されていた。木製の机。黒板。ロッカー。拓海は笑った。 「似てるな」 「私たちの学校を参考にした展示です」 「え?」 「校舎が解体される前に、図面と備品を買い取りました」 「お前、学校まで保存してたの!?」 「全部は無理でした」 「無理じゃなかったらやってたのか」  拓海は教室の一番後ろの席へ座った。机の天板には、再現用の細かな傷まで刻まれている。 「俺の席、どこだったっけ」  音姫は迷わず窓際から二列目を指した。 「前から四番目。私がその斜め後ろです」 「即答か」 「授業中、よく見ていたので」 「先生を見ろよ」  音姫も自分の席だった場所へ座った。二人の間に、千年前と同じくらいの距離ができる。 「こうしてると、変な感じだな」 「私は、たまに一人で来ていました」 「ここに?」 「はい」  音姫は黒板を見た。 「拓海くんが戻ってきたら、どの席に座らせようとか。最初に何を話そうとか」 「千年かけてシミュレーションした結果が『おかえりなさい』?」 「最後は、それしか残りませんでした」  拓海は笑えなかった。千年の間に言いたいことは増え続け、増えすぎて。結局、一番短い言葉だけが残ったのだ。 「はい」  即答だった。それでも、その日は楽しかった。未来の街には、拓海にとって「初めて」が多すぎた。中でも拓海が一番戸惑ったのは、人ではなく「記憶」の扱いだった。未来の街では、亡くなった人の声や話し方を学習した記念人格が、家族の希望で保存されることがあるらしい。歴史区画の広場では、三百年前の有名な料理人が映像体として客にレシピを教えていた。 「これ、本人なの?」 「本人ではありません。記録から再現したものです」 「そっか」  拓海は少しだけ足を止めた。 「親父とか母さんも、こういうの残ってないの?」  音姫の表情が曇る。 「作ろうと思えば、作れました」 「作らなかった?」 「はい」 「なんで」  音姫はしばらく考えてから答えた。 「お父さまとお母さまが、嫌がったので」  二人は音姫に言ったらしい。 『拓海が帰ってきた時、偽物の私たちに縛られたら可哀想だから』  拓海は胸の奥が痛んだ。会いたい。声を聞きたい。たとえ記録でも、話したい。でも同時に、それが本人ではないことも分かる。 「音姫は、作りたかった?」 「何度も」 「俺のも?」 「拓海くんの記念人格は、七回試作して全部消しました」 「作ってたの!?」 「声が違いました。笑い方も、返事の間も」  音姫は少し寂しそうに笑った。 「似ているほど、本人じゃないことが分かってしまったので」  拓海は広場の映像体から音姫の横顔へ視線を戻した。何か返したかったが、軽い言葉にしてしまうのが嫌で、口を閉じた。千年間、彼女は偽物で埋めることもできた。それでも本物の帰還を待った。その頑固さだけは、少し嬉しかった。その時、拓海は前日に見た肖像画を思い出した。 「昨日の肖像画も、同じ理由か」  音姫は小さく頷いた。 「写真を見るだけだと、だんだん『知っている人』ではなく『昔の記録』になっていくんです」 「……」 「だから描きました。声も書きました。言い方も、癖も。あなたが笑うと左の口角が少し先に上がることも」  拓海は初めて気づいた。千年間待つというのは、ただ長く生きることではない。忘れないために、毎日戦うことでもあったのだ。 「音姫」 「はい」 「寂しかった?」  音姫は、いつものように即答しなかった。長い沈黙のあと、ようやく頷く。 「……はい」  拓海はその返事を聞いて、初めて音姫を「千年生きた怪物」ではなく、「千年寂しかった一人の人間」として見た気がした。彼女は不老だった。財産も権力も手に入れた。歴史の転換点をいくつも見て、普通の人間なら一生かけても届かない場所まで来た。それでも、欲しかったものは一つだけだった。帰ってくると約束すらしていない少年の声。千年という途方もない数字よりも、目の前の音姫が「寂しかった」と認めた事実の方が、今の拓海にはずっと具体的だった。胸の奥に残った痛みを、拓海はしばらく持て余した。  空中庭園では足元の透明床に本気で腰を抜かし、無重力体験施設では壁に頭から突っ込み、音姫に腹を抱えて笑われた。 「お前、笑いすぎ!」 「だって拓海くん、千年前と同じ顔で失敗するんですもの」 「失敗顔まで覚えてるのかよ」 「もちろんです」  その「もちろん」が、以前ほど怖く聞こえなかった。音姫は千年を知っている。拓海は何も知らない。だから彼女が案内し、彼が驚く。そのたびに音姫は嬉しそうに笑った。拓海はふと思った。もしかすると彼女は、この景色を見せる相手が来る日を、ずっと待っていたのかもしれない。音姫が昔より少しだけ笑うようになった気がした。千年前の彼女は、拓海を逃がさないことばかり考えていた。今の彼女は、拓海が何を見て驚くかを楽しんでいる。  夕方。二人は未来の喫茶店に入った。店員の女性が拓海を見て目を丸くした。 「もしかして、復古ファッションですか? すごく似合ってますね」 「え、あ、どうも」  音姫の笑顔が止まった。店内の気温が二度下がった気がした。 「音姫?」 「何でしょう」 「顔」 「普通です」 「普通の人は笑顔でテーブルの材質を軋ませない」  帰宅すると、机の上に一冊のファイルが置かれていた。 『喫茶店勤務 篠原美波 身辺調査』 「早い早い早い!」 「念のためです」 「何の念だよ!」 「拓海くんに危害を加える人物でないか」 「コーヒー運んだだけだろ!」 「好意を持っている可能性は十二・七パーセント」 「分析すんな!」  音姫は唇を尖らせた。 「だって」 「だって?」 「またいなくなるかもしれないじゃないですか」  その声には嫉妬より先に、怯えがあった。拓海はそこでようやく気づいた。音姫にとって「見失う」は、数時間連絡が取れないという意味ではない。次に会えるまで千年かかるかもしれないという恐怖なのだ。もちろん、それで監視が許されるわけではない。けれど、理由を知ることと許すことは別だ。そして理由を知らずに拒絶することと、知った上で境界線を引くことも違う。拓海は初めて、逃げる以外の方法で彼女と向き合おうと思った。拓海の言葉が止まる。 「今回は逃げないよ」 「千年前も、前の日まではそう思っていたはずです」 「……」  正論だった。音姫はファイルを抱きしめる。 「私、分かってるんです。こういうことをするから、拓海くんが逃げたって」 「音姫」 「でも、怖いんです」  笑っていなかった。 「千年待って、やっと帰ってきた人が、次の日いなくなるかもしれないって思うと」  拓海は息を吐いた。昔なら「重い」で終わらせていた。今は、その重さの理由を知っている。 「じゃあルール作ろう」 「ルール?」 「俺は黙って逃げない」  音姫が目を見開く。 「その代わり、お前も勝手に身辺調査しない」 「……」 「そこ悩む?」 「努力します」 「禁止な」 「善処します」 「政治家みたいに逃げるな」 「では、事前申請制で」 「調査する前提を捨てろ!」  久しぶりに、音姫が声を上げて笑った。拓海も笑った。ふと、拓海は昔から引っかかっていたことを思い出した。 「そういえば、中二の時。俺に告白した子、翌日に転校したよな」 「しましたね」 「あれ、お前が何かしたんじゃないの?」  音姫は目を丸くした。 「違いますよ。本当にお父さまの転勤です」 「……マジで?」 「はい。当時、念のため調べましたので」 「結局調べてるじゃねえか!」 「でも転校させてはいません」 「じゃあ俺、あれまでお前のせいだと思って逃げてたんだけど」 「ひどいです」 「普段の行いだろ!」  笑いながらも、拓海は一つだけ肩の荷が下りた気がした。そしてその夜。拓海は、音姫の日記をもう一冊だけ読んだ。二百十三年目。 『今日、拓海くんに似た人を見ました。追いかけました。別人でした。帰ってから三日泣きました』  五百八十二年目。 『拓海くんの声を思い出せなくなりました。録音を聞きました。怖かった』  八百九十九年目。 『もうすぐです。あと百年くらいです。百年なら、すぐです』  拓海は本を閉じた。 「百年なら、すぐ……か」  自分には理解できない時間感覚だった。でも。理解できないからといって、無かったことにはできない。拓海は眠っている音姫の部屋の前まで行った。ノックしようとしてやめた。代わりに端末へ短いメッセージを送る。 『明日も出かけよう』  三秒後。扉が開いた。音姫が立っていた。 「起きてたのかよ」 「通知が来たので」 「三秒だぞ」 「待つのは得意ですが、返信は早いんです」  音姫は笑った。その笑顔を見たとき。拓海の胸の奥で、何かが少しだけ変わった。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳