芦名 雅 / 第9話

第5話 文化祭実行委員

二学期に入り、クラスでは文化祭の出し物決めが始まった。  黒板に候補が並び、多数決で決めようという流れになったところで、担任が急に「実行委員をじゃんけんで決める」と言い出した。負けたのは、陸と茜の二人だった。 「なんで私まで......」  不満そうにぼやく茜に、担任は笑って付け加えた。 「相楽くんと息ぴったりだったから」  二人揃って言葉を失った。クラス中がどっと沸いた。  委員会の初日、話し合いは難航した。 「お化け屋敷がいいって、みんな言ってるだろ」 「幼稚。喫茶店の方が絶対無難で人が来る」  意見がぶつかり合うたび、茜は容赦なく陸の案を切り捨てた。だが放課後の準備作業になると、誰よりも率先して段ボールを運び、装飾を仕上げていくのも茜だった。 「そんなに嫌いなら、無理しなくていいのに」  陸が言うと、茜は手を止めずに答えた。 「嫌々やってるわけじゃない。任された以上、中途半端にするのが嫌なだけ」  その横顔は真剣そのもので、陸は思わず見入ってしまった。  作業を分担する中で、茜は誰よりも細かい部分にこだわった。メニュー表の文字の大きさ、装飾の配色、テーブルの配置まで、何度も見直しては書き直す。 「そこまでやらなくても」  陸が言うと、茜は真顔で返した。 「中途半端が一番嫌い。やるなら最後まで、ちゃんとやる」  その言葉には、彼女の生き方そのものが表れているようだった。  準備が進むにつれ、クラス内の役割分担も自然と定まっていった。力仕事は男子、細かい装飾は器用な女子、看板作りは絵の得意な生徒。その中で、陸と茜は自然と二人で作業する時間が増えていった。  ある放課後、教室の隅で布に絵の具を塗っていた茜が、うっかり筆を落として自分の手に絵の具をつけてしまった。 「あ......」 「貸してみろ」  陸は近くにあったウェットティッシュを取り、茜の手を軽く拭いてやった。触れた瞬間、茜の肩がぴくりと跳ねる。 「じ、自分でできるから」 「じっとしてろって。絵の具、乾く前に取らないと落ちにくいんだよ」  子供の頃、よく茜の汚れた手を拭いてやっていた記憶が、自然と体に染みついていたのかもしれない。茜は何も言わず、されるがままになっていた。頬がほんのり赤らんでいるのを、陸は気づかないふりをした。  ある夜、準備が長引き、二人だけが教室に残ることになった。窓の外はすっかり暗くなり、蛍光灯の下で作業する茜の額に汗が光っていた。 「疲れたろ、少し休めば」  陸が椅子を差し出すと、茜は珍しく素直に座り、小さくため息をついた。 「......ありがと」  聞き取れないほど小さな声だったが、確かにそう言った。  自販機で買った缶コーヒーを二人で分け合いながら、しばらく他愛のない話が続いた。昔飼っていた犬のこと、苦手な食べ物のこと、将来の進路のこと。 「陸、将来何になりたいの」 「まだ全然決まってない。桜庭は?」 「私も。......でも、海外にいたとき、ずっと日本に帰ってからのこと考えてた。帰ったら、何しようとか、誰に会おうとか」 「誰に会おう、って」 「べ、別に。あんたのことじゃないから」  言い訳がましく否定する声のトーンで、逆にその答えが透けて見えるようだった。話しているうちに、茜の口調から少しずつ刺々しさが抜けていくのを、陸は肌で感じ取っていた。  教室の時計が七時を回った頃、ようやく二人は帰り支度を始めた。 「明日も残るのか」 「別に、暇だから付き合ってあげるだけ」  茜はそう言いながらも、隣を歩くペースを陸に合わせていた。街灯の下、二人の影が並んで長く伸びていた。 「なあ」  しばらく歩いたところで、陸が口を開いた。 「もし文化祭、成功したらさ。二人で打ち上げでもするか」 「......別に、いいけど」  茜は素っ気なく答えながらも、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。夜風が二人の間を通り抜けていくのを感じながら、陸は密かに、この時間がもう少し長く続けばいいと思っていた。  文化祭準備の合間、クラス全体でのミーティングが開かれた日のことだった。看板のデザイン案を巡って、男子グループと女子グループの意見が真っ二つに割れてしまった。 「これじゃ収拾つかないって」  困り顔の陸に対し、茜は静かに手を挙げた。 「二つの案、いいとこ取りすればいいんじゃない。看板の上半分はこっちのデザイン、下半分は色使いだけあっちを参考にする」  その提案に、両陣営とも納得の表情を見せた。的確な仲裁に、陸は素直に感心した。 「桜庭、こういうのうまいよな」 「別に、普通のことでしょ」  謙遜する茜だったが、クラスメイトからの信頼は日に日に厚くなっていた。実行委員としての手腕を、誰もが認め始めていた。  放課後の作業も佳境を迎え、教室にはペンキの匂いと賑やかな話し声が満ちていた。その中で、陸と茜だけが黙々と、しかし息の合った様子で看板を仕上げていく。誰に指摘されるでもなく、二人の間には自然な連携が生まれていた。  文化祭一週間前、完成間近だった看板が倒れ、中央に大きな亀裂が入った。 「私が直す」  茜は迷わず言った。 「一人で?」 「実行委員なんだから」  陸は壊れた板の反対側を持った。 「じゃあ俺も実行委員だ」  二人で夜まで修復した。途中、茜は海外で何度も転校し、人に頼るのが苦手になったことを初めて話した。 「自分でやれば、誰にも迷惑かけないから」 「でも今は俺がいる」  言った陸自身が驚いた。  茜は俯き、小さく「そういうこと、簡単に言わないでよ」と呟いた。  翌朝、直った看板を見てクラスが沸いた。陸は、昔の約束ではなく、目の前で頑張る茜に惹かれているのだと気づき始めた。  文化祭前日の夜、最後の準備を終えた教室で、陸と茜は二人きりで最終確認をしていた。 「明日、うまくいくかな」  珍しく不安げな声を漏らす茜に、陸は少し驚いた。 「桜庭でも、そんなこと考えるんだな」 「そりゃ考えるでしょ。実行委員だし......失敗したら、みんなに迷惑かけるし」  窓の外はすっかり暗くなり、教室には二人分の足音だけが響いていた。 「大丈夫だろ。桜庭がここまで準備してきたんだから」 「......あんたも、結構頑張ってたじゃない」  珍しく素直な労いの言葉に、陸は思わず頬が緩んだ。 「明日、成功したら、約束の打ち上げな」 「言われなくても分かってる」  そう言いながらも、茜の口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。教室の窓に映る二人の影が、静かに寄り添っているように見えた。

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