芦名 雅 / 第17話

第9話 文化祭当日

 文化祭当日、クラスの喫茶店は朝から大盛況だった。  開店と同時に押し寄せる来場者、慌ただしく行き交うクラスメイトたち。その喧騒の中心にいたのは、意外にも茜だった。 「そこ空いたらすぐ片付けて! 注文はこっちで先にまとめるから!」  茜の的確な指示のおかげで、準備段階の混乱が嘘のようにスムーズに運営が回っている。厨房と客席を行き来しながら、的確に人を配置していくその姿は、まるで別人のように頼もしかった。 「桜庭、さすがだな」  陸が声をかけると、茜は少し照れくさそうに、それでもいつもの調子で返した。 「当たり前でしょ、任された以上ちゃんとやるって言ったじゃない」  接客に追われる中でも、茜はふとした瞬間に陸の様子をうかがっていた。厨房で忙しく動き回る陸の額の汗を見て、そっとタオルを差し出したり、注文が重なった時にはさりげなく助け舟を出したり。言葉にしないやり取りの中に、二人の呼吸の合い方が滲んでいた。 「桜庭さんと相楽くんって、コンビとしていい感じだよね」  通りすがりの女子に言われ、茜は思わず手を止めた。 「べ、別にそんなんじゃ......」  言い返そうとした声は、次の注文の呼び声にかき消されてしまった。  昼過ぎ、来場者が落ち着いた隙を見て、陸は茜を屋上へと誘った。 「今、抜けて大丈夫なのかよ」 「休憩くらい、平気。......それより、話って何」  茜の声には緊張が滲んでいた。階段を上る間、二人とも一言も口を利かなかった。踏みしめる足音だけが、狭い階段に反響していた。  屋上に着くと、遠くから文化祭の喧騒が小さく聞こえてきた。眼下には、色とりどりのテントや、行き交う生徒たちの姿が広がっている。風が吹き抜け、茜の髪をふわりと揺らした。 「ノートのこと、悠人からちょっとだけ聞いた。全部じゃないけど」  その一言で、茜の顔がみるみる赤くなった。 「な、なんで先に言わないのよ! 今すぐ忘れて!」  慌てふためく茜に、陸は思わず笑ってしまいそうになるのをこらえた。 「忘れない。俺も、ずっと同じこと思ってたから」  陸の言葉に、茜の動きがぴたりと止まった。 「八年前の約束、本当に覚えてた。思い出した瞬間、なんでかすごく嬉しかったんだ。子供の頃の適当な約束じゃなくて、ちゃんと今の気持ちとして」 「今の、気持ち......?」  茜の声がかすれた。  陸は真っ直ぐに茜を見つめた。柵の向こうに広がる青空と、遠くに見える校庭の色とりどりの旗が、二人を静かに見守っているようだった。 「桜庭茜のこと、好きだ。ずっと隣にいてほしい」  風が二人の間を吹き抜け、茜の目に涙が浮かんだ。頬を伝う涙を拭おうともせず、茜は口を開きかけた。唇が震え、言葉になる前の何かが、何度もこぼれかけては引っ込んだ。 「わた、私......」  だが、返事を口にする前に、下の階からクラスメイトの呼ぶ声が響き、二人の時間は中断されてしまった。 「桜庭さーん、レジお願い!」  茜は名残惜しそうに陸を見た後、慌てて涙を拭った。 「戻らなきゃ......ごめん、答え、ちゃんと放課後に言うから」  そう言い残して、階段を駆け下りていった。その背中は、これまでのどんな時よりも、慌ただしく、それでいてどこか吹っ切れたように見えた。  残された陸は、屋上の柵にもたれ、高鳴る心臓を落ち着かせようと深呼吸を繰り返していた。空を見上げると、雲一つない秋晴れが広がっていた。 「言っちまった......」  誰に聞かせるでもなく呟いた声は、風に流されて消えていった。だが、胸の中には、これまで感じたことのない、清々しい高揚感が残っていた。あとは、放課後を待つだけだった。  教室に戻った茜は、レジ対応をしながらも、頭の中は屋上での出来事でいっぱいだった。伝票を打ち間違え、常連の後輩に「桜庭先輩、大丈夫ですか」と心配されるほどだった。 「だ、大丈夫。ちょっと考え事してただけ」  誤魔化しながらも、頬の火照りはなかなか引いてくれなかった。厨房から戻ってきた陸と目が合うたび、二人とも慌てて視線を逸らす。そんなぎこちないやり取りを、クラスメイトたちは微笑ましく見守っていた。 「二人とも、何かあったでしょ」  真央に耳打ちされ、茜は言葉に詰まった。 「な、なんでもない」 「絶対なんかあったね、その顔」  からかうように笑う真央に、茜はそれ以上何も言えず、ただ頬を赤らめるしかなかった。  文化祭の閉会が近づくにつれ、教室の熱気は最高潮に達していた。片付けを始める生徒たちの間を縫うように、陸と茜は何度も目を合わせては、すぐに逸らすということを繰り返していた。まるで、答え合わせの時間を待ちわびる子供のように。  文化祭終了後の閉会集会で、クラスの出し物が「模擬店部門」で優秀賞に選ばれたことが発表された。教室は歓声に包まれた。 「実行委員の桜庭さんと相楽くんのおかげだな!」  担任の言葉に、クラス中から拍手が起こる。二人は思わず顔を見合わせ、照れくさそうに笑った。 「打ち上げ、今夜やろうって話になってるけど、桜庭さんたちも来るよね?」  クラスメイトに誘われ、茜はちらりと陸を見た。 「......行くけど、少し遅れてもいい? 先に、片付けあるから」 「了解! 先に店取っとくね」  賑やかなクラスメイトたちが教室を出ていく中、二人は最後に残って机や椅子を元の配置に戻す作業を続けていた。夕方の柔らかな光が、静かに二人を包んでいた。この後に待つ、大切な会話のための時間が、ゆっくりと近づいていた。

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