白井黒也 / 第16話

第15話「知るために」

薄暗い部屋の中で、機械音だけが静かに響いていた。 複数のモニターが放つ青白い光が、机や壁に貼られた資料をぼんやりと照らしている。 古いジャズは今も静かに流れているはずなのに、不思議と耳には入ってこない。 頭の中では、さっき聞かされた言葉ばかりが何度も反響していた。 ――プロジェクト・キメラ。 ――唯一の成功例。 ――プロトタイプ。 「……俺は、一体何なんだ」 掠れた声が自然と漏れた。 胸の奥が、じわじわと重くなる。 人格たちの声も、まだ微かに残っていた。 けれど今は、そのどれもが妙に遠い。 俺は椅子へ深く腰を下ろしたまま、自分の掌をぼんやり見つめる。 澪は黙ったまま壁際へ寄りかかり、レイヴンは缶コーヒーを片手にこちらを見ていた。 その灰色の瞳は、まるで俺の反応を観察しているみたいだった。 「さっきも言っただろ?お前はプロジェクト・キメラの唯一の成功例だ」 「……成功例、ね」 思わず自嘲気味に笑ってしまう。 普通じゃないことくらい、自分でも分かっていた。 人格ごとに変わる能力。 異常な身体能力。頭の中で響く声。 確かに、こんなものを“成功”と呼ぶならそうなのかもしれない。 『成功例だなんて、気持ち悪いよ……』 頭の奥で、僕が小さく呟く。 『ですが事実ではあります。我々は、複数人格による役割分担を成立させている』 賢者が冷静に続けた。 『ハッ、要するに連中は“便利な兵器”が欲しかっただけだろ』 戦闘狂が吐き捨てるように笑う。 その言葉に、胸の奥がざわついた。 「プロジェクト・キメラってのは、そんなに重要だったのか」 俺がそう聞くと、レイヴンは缶コーヒーを軽く揺らしながら、小さく肩をすくめた。 「NABにとっては悲願だったろうね。複数人格による能力分担。理論上は最強の異能力兵士だ」 レイヴンは近くのモニターへ視線を向ける。 そこには複雑な波形データや人体構造図が並んでいた。 「だが、実際は上手くいかなかった」 「……どういう意味だ?」 「人格が増えたところで、能力まで変化するわけじゃない。普通はな」 その“普通”という言葉が妙に引っかかった。 「多重人格者を被験体にしたケースは、実はお前が初めてじゃない」 空気が、一瞬止まった気がした。 「……は?」 「人格分離、精神崩壊、廃人化。まともに成立したケースなんてほとんどなかった」 淡々とした声音だった。 まるで報告書でも読み上げているみたいに。 けれど、その一つ一つの単語が妙に生々しくて、背筋が冷える。 「人格が違っても、結局“肉体”は一つだからね。戦闘特性まで変質するケースは確認されなかった」 レイヴンの瞳が、真っ直ぐこちらを見据える。 その視線に、思わず息が詰まりそうになる。 「……だが、お前は違った」 部屋が静まり返る。 『…………』 頭の奥で、人格たちも静まり返っている。 さっきまで騒がしかったのが嘘みたいに。 「人格ごとに戦闘スタイルが変わる。身体能力すら変質する。NABの研究者連中は相当興奮しただろうさ」 レイヴンはそこで言葉を切ると、小さく鼻で笑った。 だが、その笑みには愉快さよりも、どこか呆れに近い色が混じっていた。 「まあ同時に、恐怖もしてたみたいだけどな」 「恐怖……?」 「人間、未知数なものを前にすると恐怖するもんさ」 その声音は静かだった。 だが、その言葉だけ妙に重い。 「それこそ、実験を続行したい強硬派と、経過観察したい観測派に分かれるくらいな」 強硬派。観測派。 俺はどちらにせよ連中にとって“研究対象”という扱いなんだろう。 「そんな風に上がゴタついてる最中、澪の嬢ちゃんはお前を逃がしたわけだ」 「……っ」 壁際で黙っていた澪の表情がわずかに強張る。 「逃がすタイミングとしては、まあ運が良かったってことだな」 軽い口調だった。 だが、その言葉の裏には、少しタイミングが違えば俺は今も施設の中だった――そんな現実が滲んでいる。 「私は、そこまで考えてたわけじゃないわ」 澪は静かに言い返した。 声は落ち着いている。 けれど、その瞳の奥には微かに揺れる感情が見えた。 「ただ……あの時の貴方を、あそこへ置いていけなかっただけ」 その一言だけで、地下空間の空気が少し変わる。 損得とか、組織の事情とか、そういう理屈じゃない。 澪は、本当にただ“見捨てられなかった”んだ。 地下空間へ、しばらく静寂が落ちる。 機械音だけが、やけに大きく響いていた。 レイヴンはそんな空気を気にした様子もなく、椅子へ深く身体を預けた。 「そんなわけで、上層部は大混乱って訳だな」 唯一の成功例、肉体変質、そして逃亡。 連中からすれば、全部が想定外だったんだろう。 レイヴンはモニターの青白い光を横目に見ながら、ゆっくり息を吐く。 「俺が知ってるのもここまでだ」 「……は?」 思わず声が漏れる。 ここまで散々意味深な話をしておいて、それで終わりなのか。 だがレイヴンは特に気にした様子もなく、指先で空になった缶を軽く転がした。 「俺は研究者じゃないんでね。知ってるのは組織の裏事情と、流れてきた情報くらいだ」 本当にそれだけなのか――そんな疑念が頭をよぎる。 だが、今のレイヴンの表情からは、それ以上何も読み取れなかった。 やがてレイヴンは、机の端を軽く指で叩いた。 「もっと知りたいなら、あそこに行くしかない」 「あそこ?」 俺が眉をひそめると、レイヴンはゆっくり口元を歪めた。 「NAB日本支部のデータ保管区画――通称“アーカイブ”」 その名前だけで、空気が少し冷えた気がした。 レイヴンは端末の一つを操作する。 直後、部屋中央のモニター群が一斉に切り替わった。 そこへ表示されたのは、巨大な施設構造図だった。 立体投影された幾重ものフロア。 無機質な通路。地下深くまで伸びる構造。 その光景だけで、息が詰まりそうになる。 「日本支部で行われた実験記録や被験体データが集約されてる場所だ。もちろん、キメラ計画の記録もな」 モニター上で、一番深い区画が赤く点滅する。 レイヴンは立体構造図を眺めながら、小さく息を吐いた。 「ただし――簡単には辿り着けない」 空気が少し張り詰める。 「監視システム、自動警備、生体認証。今も現役のセキュリティが山ほど残ってる」 モニター上へ、次々と赤い警告ラインが表示されていく。 「潜入は極めて困難だ。捕まる可能性は大いにある」 レイヴンは立体構造図をしばらく眺めた後、ゆっくりこちらへ顔を向けた。 灰色の瞳が、真っ直ぐ俺を捉える。 「それでも行くかい?」 俺はモニターへ視線を向ける。 赤く点滅する最深部、“アーカイブ”。 あそこに、俺の過去がある。 知らなきゃいけない。 逃げ続けるだけじゃ、多分もう前には進めない。 だから――。 「ああ、もちろん」 自分でも驚くくらい、迷いはなかった。 澪はしばらく何も言わなかった。 ただ、“止めても無駄だ”と理解したみたいに、小さく息を吐く。 「……本気なのね」 「今さらだろ」 「……そうね」 澪は苦笑にもならない薄い息を漏らした。 その目には、まだ不安が残っている。 「捕まれば、今度こそ終わるかもしれない」 責めるような声じゃない。 ただ、“それでも行くのか”を確認しているだけだった。 「それでも行く」 俺が答えると、澪は数秒だけ黙り込む。 やがて、小さく目を伏せた。 「……だったら、せめて無茶は私の見てるところでして」 澪のその言葉に、思わず小さく息が漏れた。 呆れているのか。諦めているのか。 それとも、覚悟を決めたのか。 多分、その全部なんだろう。 ――そして。 『……本当に行くの?』 最初に響いたのは、僕の不安そうな声だった。 頭の奥で、小さく震えている。 『……また怖いことが待ってるかもしれないんだよ?』 僕の言葉に、胸の奥が少しだけ重くなる。 白い部屋。冷たい椅子。 頭へ焼き付いた断片的な記憶。 さっき見たばかりの光景が、一瞬だけ脳裏を掠めた。 「……わかってる」 強がりじゃない。 怖くないわけがない。 けれど、それでも進まなきゃいけないんだ。 『仮に潜入できて情報を得たとしても、潜入後の撤退難易度は極めて高いでしょう』 続いた賢者の声は、いつも通り冷静だった。 「相変わらず、嫌になるくらい現実的だな……」 思わず苦笑が漏れる。 だが賢者は、そんな俺の反応を気にした様子もなく静かに続けた。 『ですが、アーカイブへ到達できれば、貴方自身に関する情報を得られる。つまり、行く価値はある――そういうことです』 『ふふっ、でしたら決まりですわね。敵地潜入なんて、ちょっとした映画みたいで素敵じゃありませんこと?』 今度はお嬢が、どこか楽しそうに笑った。 「いや、俺は全然そんな気分じゃないんだけど」 『あら?わたくしは嫌いではなくてよ?』 くすくすと笑う声が、頭の奥で響く。 その軽やかな声音のおかげか、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ気がした。 『ハッ、ようやく面白くなってきたじゃねぇか!潜入がバレたら暴れてやるぜ!』 戦闘狂が、喉の奥で愉快そうに笑う。 「お前の出番がないことを祈るよ」 『おいおいつれねぇな』 ケラケラと笑う声。 だがその奥には、僅かな怒気が混じっていた。 『オレは気に入らねぇんだよ。好き勝手弄びやがった連中がよ』 その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。 戦闘狂は危険だ。 乱暴で、制御しづらくて、正直一番厄介な人格かもしれない。 でも、こいつなりに怒っているんだ。 俺に対して行われたことへ。 そして最後に。 『ククッ……“アーカイブ”かぁ。楽しみだね』 背筋を薄く撫でるような、悪の権化の冷たい笑い声が響いた。 その声音だけで、空気が少し変わる。 『君が“忘れたもの”を、たくさん見られるだろうからさ』 「…………」 思わず息が詰まる。 まるで本当に、その場所を知っているみたいな口ぶりだった。 頭の奥で、悪が静かに笑う。 その声だけが、妙に耳へ残っていた。
翔「アーカイブか……潜入は難しそうだな」 澪「そのために作戦を練るんじゃない」 賢者『分析と解析はお任せください』 お嬢『潜入は華麗に参りましょう♪』 戦闘狂『敵が来たらぶっ飛ばしてやるぜ!』 翔「はぁ……頼れるのは賢者だけか」 悪の権化『ククッ……ボクにもお楽しみは取っておいてね』 僕『次回、「潜入作戦」――無事に帰れるといいけど……』

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