白井黒也 / 第25話

第24話「儀式への招待」

集会が終わり、自室へ戻ってきた後も、俺の頭の中から壇上に立っていた詩織の姿は離れなかった。 部屋の中には澪と観測派のスパイの女性もいたが、しばらくの間、誰も口を開かなかった。 重苦しい沈黙だけが流れている。 「ねぇ翔……どうするつもり?」 静寂を破ったのは澪だった。 ベッドへ腰掛けていた俺は、その言葉に顔を上げる。 どうするつもりか――そんなの決まっている。 けれど、現実的な方法までは何も思いついていなかった。 「うーん……どうにかして面と向かって話せればいいんだけどな」 俺は頭の後ろを掻きながら苦笑した。 すると澪は呆れたように眉をひそめた。 「簡単に言うけど、相手は教団のトップよ?」 もっともな意見だった。 街で偶然見かけた知り合いに話しかけるのとは訳が違う。 相手は福音の門の大司教。教団の頂点に立つ存在だ。 「分かってるよ」 そう答えながらも、自分の声に自信はなかった。 本当に分かっているのかと聞かれたら、多分答えられない。 母親かもしれない相手を目の前にして、冷静でいられるほど俺は大人じゃなかった。 そんな俺達のやり取りを静かに聞いていた女スパイが、不意に口を開く。 「方法が全くない訳ではありません」 その言葉に、俺は思わず身を乗り出した。 「……本当か?」 「ええ。こちらをご覧ください」 女スパイは机の上へ数枚の資料を広げた。 施設の見取り図らしきものや内部資料らしき紙が並ぶ。 澪も俺も自然と視線をそちらへ向けた。 「この施設の地下には、開門派の活動している地下礼拝堂があります」 「地下にも拠点があるのかよ」 集会が行われていた大聖堂だけでも十分な規模だったというのに、その下に更なる施設が存在しているとは思わなかった。 「ええ。そこには大司教様も頻繁にお姿をお見せになります」 女スパイの言葉が本当なら、その地下礼拝堂とやらに行けば、もう一度会えるかもしれない。 今度は遠くから眺めるだけじゃない。 直接言葉を交わせるかもしれない。 「じゃあそこでなら」 思わず身を乗り出しながら尋ねる。 少しでも彼女へ近づけるのなら、危険だろうが何だろうが行かない理由はなかった。 「はい。儀式後に大司教様が信者の言葉を傾聴する時間があります。その時を狙えば……」 女スパイは資料へ目を落としながら静かに説明を続ける。 その口調はあくまで事務的だったが、彼女なりに現実的な接触方法を提示してくれているのだろう。 しかし、その言葉に反応したのは澪だった。 「儀式?」 聞き慣れない単語に澪が眉をひそめる。 礼拝堂と聞けば祈りを捧げる場所くらいの認識しかない。 だが、女スパイの表情を見る限り、どうやらそんな単純な話ではないらしかった。 「地下礼拝堂は、単なる礼拝施設ではありません」 そう前置きしてから、彼女は資料の一枚を指先でなぞる。 そこには祭壇のような設備や、大勢の信者が集まる広間らしき写真が写っていた。 「開門派は異能覚醒を促進するため、様々な儀式を行っています。中には精神誘導や催眠に近いものもあります」 その説明を聞いた瞬間、俺の眉が自然と寄る。 異能覚醒という言葉だけならまだ分かる。 でも、精神誘導や催眠という単語が並んだ途端、胸の奥に嫌な感覚が広がった。 「……それって洗脳じゃないのか?」 女スパイはすぐには答えない。 わずかな沈黙が流れた後、彼女は静かに口を開いた。 「……観測派ではそう判断しています」 俺は無意識のうちに拳を握り締めていた。 「精神に異常をきたすものや、異能が暴走するものもいます」 報告書を読み上げるような口調だったが、その内容は決して軽いものではなかった。 澪も同じことを感じたのだろう。 彼女は険しい表情を浮かべながら女スパイを見つめる。 「それを大司教は認めてるって言うの?」 その問いに対し、女スパイは迷うことなく頷いた。 「開門派は大司教様の直属派閥なのです。つまり、そこでの活動はすべて大司教様のご意思によるものです」 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が重く沈んだ。 壇上で信者達を見下ろしていた女性の姿が脳裏に浮かぶ。 俺の母親かもしれない人物。 その女が、自らの意思でそんな活動を認めているというのか。 「そんなこと……」 言葉の続きを飲み込む。 俺はまだ何も知らない。 本当に母親なのかすら確定していない。 それでも、胸の奥には拭いきれない嫌な予感が広がっていた。 そんな俺を見ながら、女スパイは少しだけ真剣な表情になる。 「ですから、どうか儀式の妨げになる行為は控えてください。粛清派が急行してきますから」 その言葉に、俺と澪は同時に顔を上げた。 開門派の話ばかり聞いていたせいで忘れかけていたが、この教団にはもう一つ危険な派閥が存在する。 異端排除と粛清を掲げる武装集団――粛清派。 どうやら地下礼拝堂へ足を踏み入れるということは、そいつらの縄張りへも近づくということらしかった。 「それでも……行くしかないだろう」 女スパイはそんな俺を数秒見つめた後、小さく息を吐く。 どこか諦めたような、納得したような表情だった。 「……分かりました。儀式への参加には、私が掛け合ってみます」 「うまくいくのか?」 俺がそう尋ねると、女スパイは僅かに口元を緩めた。 「これでも、ここに潜入してそれなりの地位にはいますから」 その言葉に少しだけ驚く。 そういえば、この人はただ潜入しているだけじゃない。 福音の門の内部で信用を得て、今も活動を続けている観測派のスパイだ。 その立場を築くまでに、どれだけの時間と労力を費やしたのかは想像もつかない。 「明日には返答をもらえると思います。それまでは下手に動かないでください」 そう言って彼女は資料をまとめ始めた。 だが俺は、机の上から地下礼拝堂の見取り図を見つめたまま動けなかった。 その先にいるであろう母親のことが、頭から離れなかったからだ。 ◇ ◇ ◇ その日の夜。 教団の施設はすっかり静まり返っていた。 昼間はあれだけ多くの信者達が行き交い、祈りの声や足音で満ちていたというのに、今は遠くで風が窓を揺らす音が聞こえるだけだ。 部屋の明かりは消えている。 隣のベッドでは澪が静かな寝息を立てていた。 規則正しい呼吸音を聞いていると、普通ならこちらまで眠くなりそうなものだ。 だが、俺の意識は妙に冴えたままだった。 仰向けになりながら天井を見上げる。 何度目か分からない寝返りを打っても、眠気は一向にやって来ない。 原因は分かっていた。 詩織と話せるかもしれない。 そう思うたびに胸の奥が落ち着かなくなる。 聞きたいことは山ほどある。 けれど、いざ会えるとなると何を聞けばいいのか分からなかった。 (寝れねぇ……) そんな愚痴にもならない呟きが頭を過ぎった直後だった。 『ねぇ、翔。大丈夫?』 不意に頭の中へ響いた声に、俺は僅かに目を細める。 集会中、怯えて意識を閉ざしていた僕の声だった。 (なにがだよ。お前こそもう大丈夫なのか?) 『うん……』 返ってきた声は以前より落ち着いていた。 完全に平気になった訳ではないのだろう。 それでも、少なくとも今は話ができる程度には落ち着いているらしい。 しばらくの間、沈黙が続く。 頭の中にあるのは、集会で見た詩織の姿ばかりだった。 (お前さ、母親のこと、覚えているか?) 『えっ……うん』 明らかに戸惑った声だった。 予想していなかった質問だったのだろう。 (……どんな人だったんだ?) そう尋ねた瞬間、僕の気配が揺らいだ気がした。 返事はなく、頭の中に静寂だけが広がる。 (言いたくないのか?) 僕『……ごめん』 消え入りそうな声だった。 まるで何かを必死に飲み込んでいるようにも聞こえる。 その反応だけで十分だった。 (そっか。まぁ、そのうち嫌でも思い出すかもだけどさ) 無理に聞き出そうとは思わなかった。 聞けば教えてくれるような内容なら、とっくに話しているはずだ。 僕がここまで口を閉ざしているのなら、それなりの理由があるのだろう。 再び静寂が訪れる。 しばらくしてから、僕がぽつりと口を開いた。 『あのさ、翔……』 (ん?) 『……僕、ホントは翔に思い出してほしくないんだ』 予想外の言葉に俺は思わず眉をひそめる。 (なんでだよ。そんなに嫌な記憶なのか?) 『それは……言えないよ』 (その返事、答えを言ってるようなもんだぞ?) 少し冗談めかして返してみるが、僕は笑わなかった。 『僕は……翔を守りたいんだ。だから……』 そこで言葉が止まる。 その続きを聞くことはできなかった。 けれど、不思議と意味は伝わってきた。 守りたいからこそ言えない。 思い出してほしくないほど辛い過去がある。 それだけは十分すぎるほど伝わっていた。 俺は天井を見上げながら、小さく息を吐く。 (……ありがとな。でもさ、いつまでも逃げてる訳にもいかねぇよ) その言葉に返事はなかった。 けれど、僕は聞いていたと思う。 俺も怖い。 思い出したくない過去があるのかもしれない。 それでも、いつかは向き合わなければならない。 明日、彼女と話すことになれば、その時は嫌でも近付くことになるのだから。 そんなことを考えながら目を閉じる。 不思議なことに、さっきまで眠れなかったはずなのに、少しだけ瞼が重くなった気がした。 ◇ ◇ ◇ 翌朝、朝食を済ませた俺達は再び自室へ戻っていた。 とはいえ、やることがある訳でもない。 これから地下礼拝堂へ潜入することになるかもしれない。 だからと言って今から動ける訳でもなく、俺は手持ち無沙汰のままベッドへ腰掛けていた。 窓から差し込む陽の光が床へ長く伸びている。 教団施設の中は相変わらず静かだった。 信者達が行き交う気配はあるものの、どこか統制の取れた空気が漂っている。 そんな中、ふと向かい側へ視線を向ける。 澪は椅子へ腰掛け、何やら熱心に本を読んでいた。 「何読んでるんだ?」 俺が声を掛けると、澪は本から目を離さないまま答える。 「教団の教えが載ってる教本よ」 「いつの間にそんな本を?」 「机に置いてあったわ」 そう言いながら澪は本を軽く持ち上げる。 確かに昨日は気付かなかったが、言われてみれば部屋の机の上には何冊か本が置かれていた気がする。 「多分、どの部屋にもあるんじゃないかしら」 「ふーん。本格的に信仰したくなったか?」 冗談半分で言ってみるが、澪は呆れたような目を向けてきた。 「変な冗談はよして。暇つぶしに読んでいるだけよ」 「だよな」 澪が教団へ入信する姿は正直想像できなかった。 むしろ教義の矛盾点でも探している方がしっくりくる。 しばらくの間、部屋の中には本をめくる音だけが響いていた。 俺も特にすることがなく、ぼんやり天井を見上げる。 そんな時だった。 コンコン、と部屋の扉がノックされる。 「失礼します」 部屋へ入ってきた女スパイは、扉を閉めるなりこちらへ向き直った。 その表情を見た瞬間、俺は何となく察する。 どうやら話がまとまったらしい。 案の定、彼女は余計な前置きを挟むことなく本題を口にした。 「本日夜に行われる儀式への参加が認められました」 昨夜の話では難航する可能性もあると思っていたが、予想以上に話は順調に進んだようだ。 「意外とあっさりだな」 「一般信者として参加するだけなら、それほど難しくありません」 その言葉には釘を刺すような響きがあった。 あくまでも今回は儀式への参加が許可されたに過ぎない。 開門派の内部へ自由に出入りできるようになった訳ではないということだろう。 そう言いながら、女スパイは手にしていた紙袋を机の上へ置く。 中から取り出されたのは白を基調としたローブだった。 胸元には福音の門の紋章が刺繍されている。 いかにも宗教団体の礼装という見た目だった。 「これを着るの?」 澪は少し怪訝そうな表情を浮かべながらローブを手に取る。 「信者用の礼装です」 「いかにもって感じだな」 少なくとも俺が想像していた信者の格好と大差なかった。 澪も同じことを思ったのか、ローブを広げながら苦笑している。 そんな俺達を見ながら、女スパイは少しだけ表情を引き締めた。 「それと、目立つ行動は控えてくださいね。大司教様への接触も、まずは状況を見てから判断します」 その声色には先ほどまでの事務的な雰囲気とは違う警戒心が混じっている。 俺は机の上に置かれたローブへ視線を落としながら、小さく息を吐いた。 いよいよ後戻りはできないらしい。 今夜、俺達は福音の門の奥深くへ足を踏み入れることになるのだから。
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