白井黒也 / 第22話

第21話「静かな聖域」

「…は?」 間の抜けた声だった。 理解が追いつかない。 いや、理解したくなかったのかもしれない。 御門――詩織。 頭の奥で、何かが軋むような感覚が走った。 冷たい視線。 張り詰めた空気。 息苦しいほど静かな部屋。 ――ガシャンッ!! 何かが叩きつけられる音。 ――”どうして分からないのッ!!” ――”どうしてそんな風に振る舞うの!?” ――”どうして理解できないの!?” 女の怒鳴り声が、頭の奥へ鋭く響く。 そこで記憶はぶつりと途切れた。 次に浮かんだのは、暗い部屋の中で頭を撫でられる感覚。 ――“貴方は特別なのよ” ――“他の子とは違う” ――“選ばれた子なの” 優しい声だけどその響きは、どこか狂気じみた熱を孕んでいた。 断片的な感覚だけが浮かんでは消えていく。 『……翔』 僕の小さな声が響く。 不安そうで、どこか怯えを滲ませた声音だった。 『冷静に。感情の急激な変動を確認』 賢者の声が続く。 淡々とした口調だったが、その奥には僅かな緊張が混じっていた。 俺は無意識に拳を握り締めながら、御堂を睨む。 「俺の母親が……大司教だと?」 プレハブ内部の空気が、わずかに重くなった気がした。 御堂はこちらを見つめたまま、小さく息を吐く。 「君が動揺するのも無理はない。彼女は現在、“福音の門”の実質的指導者だ」 御堂は組んでいた指をゆっくり解き、まるで既に決まっていた事実を確認するような口調で続けた。 「先代開祖の死後、その思想を最も深く継承した人物として彼女は選ばれた」 御堂はそこで一度言葉を切ると、銀縁眼鏡のブリッジへ指を添え、軽く押し上げた。 白い照明がレンズ表面を淡く照らし、その奥の視線を一瞬だけ見えなくする。 「異能者や多重人格者の保護と救済を掲げ、多くの信徒から支持を集めている」 胃の辺りがざわつく。 断片的に浮かぶ記憶の中の“母親”と、御堂の語る“救済者”の姿がどうしても結びつかなかった。 「……そんな母親に、会えって言うのかよ」 低く漏れた声に、御堂はこちらを見つめ返す。 「ああ。彼女と接触すれば、君の記憶は揺れ動かされ、新たな可能性を観測できるだろうからね」 その言い方は、まるで人間じゃなく実験動物でも観察するみたいだった。 「ただし、簡単には会えない。教団内部は少々複雑でね」 「……どういうことだ?」 御堂の軽い口ぶりに、思わず眉をひそめる。 ただの宗教団体じゃない。 それくらいは、ここまでの話だけでも十分伝わってきていた。 人格の解放と異能者の救済。 そして、母親がその中心にいるという事実。 断片的な情報だけなのに、内側へじわじわと嫌な感覚が広がっていく。 御堂はそんなこちらの反応を観察するみたいに目を細めた。 「それは入信すれば分かるよ」 「……もったいぶるわね」 澪が警戒を隠さないまま低く呟く。 武装工作員達は依然として無言のまま、その場の空気だけが張り詰めていた。 そんな中でも、御堂だけは妙に落ち着き払っている。 「ははっ、まぁ翔君の能力を見せつければ、案外すぐ会えるかもしれないね」 その声音には、どこか試すような響きが混ざっていた。 「……だといいんだがな」 俺は低く返しながら、意識の底のざわつきを押し込める。 「……一つ聞いてもいいかしら?」 澪が小さく息を吐き、御堂へ鋭い視線を向ける。 「何かね、澪君」 御堂は相変わらず穏やかな口調のまま答える。 「翔が入信するとして、私はどうなるの?」 御堂は数秒だけ澪を見つめ、それから小さく口元を緩めた。 「安心したまえ。澪君も保護監督者として一緒に入信してもらうよ」 「……あら。人質として拘束されるのかと思ったわ」 「我々は強硬派とは違うのでね。手荒な真似はしたくないのだよ」 「十分“手荒”だろ、今の状況」 御堂は俺の言葉など意に介さず、背後へ軽く視線を向けた。 「もちろん、無条件で自由行動を許可するつもりはない。――おい、例のものを澪君に」 「はっ!」 武装工作員の一人が即座に動く。 しばらくして戻ってきたその手には、小型ケースが握られていた。 御堂はケースを受け取ると、ゆっくり蓋を開く。 中に収められていたのは、黒銀色の細いブレスレットだった。 無駄のない滑らかなデザイン。 だが、妙に冷たい印象だけが強く残る。 「生体モニターだ。位置情報、心拍、精神波形を常時観測する」 「……監視装置じゃねぇか」 俺が低く吐き捨てても、御堂は悪びれる様子すら見せなかった。 「それくらいの“保険”は当然だろう?まぁ、君達が妙な真似をしなければ問題ないさ」 「……妙な真似をしたら?」 空気が、わずかに張り詰める。 御堂はしばらく無言のままこちらを見つめ、それから澪へ視線を向けた。 「……君は賢い。説明は不要だろう?」 「っ……」 澪の表情が僅かに強張る。 その沈黙だけで、十分すぎる答えだった。 御堂は小さく息を吐き、椅子から立ち上がった。 銀縁眼鏡の奥の視線が、真っ直ぐこちらへ向けられる。 「さて、それでは早速向かってもらおうか。“福音の門”の本拠地へ」 ◇ ◇ ◇ 黒塗りのセダンは、山道を静かに走り続けていた。 窓の外には、深い森がどこまでも広がっている。 昼間だというのに、木々の密度が濃すぎるせいか、差し込む陽光は薄暗かった。 舗装された道路。 だが、ここへ来るまでに対向車は一台も見ていない。 街の気配は、とっくに消えていた。 車内には、エンジン音とタイヤが路面を擦る音だけが淡々と響いている。 運転席と助手席には黒服の男達。 バックミラー越しに視線を向けてくることはあっても、無駄な会話は一切しない。 「……随分と山奥なのね」 小さく呟く澪の左手首には、黒銀色のブレスレットが嵌められている。 無機質な金属光沢だけが、妙に目につく。 「宗教施設ってより、隔離施設だな」 俺はそう返しながら窓の外を見る。 高い木々に長い山道。 外界から切り離されていく感覚だけが、じわじわと胸へまとわりついていた。 『……嫌な感じがする』 最初に響いたのは、僕の不安そうな声だった。 怯える感情が、そのまま胸の奥へ滲んでくる。 『現在位置は山岳地帯。逃走経路は限定的です』 続く賢者の声は冷静だった。 だが、その分析自体が状況の悪さを淡々と示している。 『ハッ、逃げ場がねぇってことか』 戦闘狂は逆に熱を滲ませていた。 『女性へ監視装置を付け、無言の男達で囲み、山奥へ連行するなど……趣味が悪すぎますわ』 今度はお嬢だった。 露骨に不快そうな感情が流れ込んでくる。 『ククッ……いいねぇ。“閉じた場所”って感じがするよ。逃げ場もないし、監視もされてる。おまけに帰れる保証もない――』 最後に響いたのは、悪の権化の粘つくような笑い声だった。 愉悦が、ゆっくり頭の奥へ染み込んでくる。 『ようやく“壊れる舞台”っぽくなってきたじゃないか』 「……うるせぇよ」 悪へ小さく釘を刺す。 だが、その言葉を完全には否定しきれない自分がいるのも分かっていた。 黒塗りのセダンは、さらに山道を進み続ける。 やがて、深い木々の密度が少しずつ薄れていき、不意に視界が開ける。 「……っ」 そこに広がる光景に、自然と視線が止まった。 森の奥には、古い聖堂を思わせる巨大な石造建築が静かに佇んでいた。 灰白色の石壁に空へ伸びる尖塔、それに幾何学模様の巨大ステンドグラス。 まるで中世の教会を、そのまま山奥へ切り取ってきたみたいだった。 セダンが石畳の広場へゆっくり停車する。 数秒後、運転席の黒服が短く告げた。 「……降りろ」 俺と澪は重たいドアを開け、外へ出る。 ひやりとした空気が肌を撫でた。 視線を上げると、その巨大な建築物の圧迫感に、自然と喉が渇く。 「……本当に、宗教施設なのね」 澪の声には、警戒が滲んでいた。 セダンは短くエンジン音を鳴らすと、そのまま石畳の広場を離れていく。 タイヤの走行音が少しずつ遠ざかり、やがて周囲には、山奥特有の静寂だけが残った。 「――ようこそ。“福音の門”へ」 落ち着いた女の声が聞こえた。 視線を向けると、聖堂入口付近へ一人の女が立っている。 黒と白を基調とした修道服風の衣装。 長い髪を後ろで束ねた、落ち着いた雰囲気の女だった。 穏やかな笑みを浮かべている。 だが、その目だけは周囲を観察するみたいに妙に鋭かった。 女はゆっくりこちらへ歩み寄る。 石畳を踏む足音だけが、やけに周囲に小さく響く。 「私は案内役を任されています。よろしくお願いします」 そこまで言った直後だった。 すれ違いざま、女の唇がほんの僅かに動く。 「……観測派です。話は後で」 「っ……」 あまりにも自然だった。 隣で、澪の視線が僅かに鋭くなる。 だが女は何事もなかったみたいに微笑みを崩さない。 「どうしました?」 その声音は、完全に“教団側の人間”そのものだった。
翔「子供たちが……平気で異能を使ってる」 澪「ここじゃ当たり前の光景みたいね」 僕『ちょっと安心したかも……』 お嬢『ふふっ、穏やかな光景のように見えますわね』 賢者『この教団は、一筋縄ではいかないようですね』 戦闘狂『ケッ、この空気は信用ならねぇな』 悪の権化『ククッ……綺麗な場所ほど、裏は汚れているものさ』 翔「次回、『教団内部』――この教団、本当に救済だけが目的なのか?」

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