白井黒也 / 第33話
第32話「神器の理」
数分前まで怒号と金属音に包まれていた大聖堂は、今や静寂だけが支配していた。
床には無数の兵士達が倒れ伏し、砕けた武器や崩れた長椅子が激戦の痕跡を残している。
『ケッ……案外あっけなかったなァ』
戦闘狂は拳を軽く握り直しながら、不満そうに鼻を鳴らした。
その声が静寂へ溶けた直後、石床を踏みしめる規則正しい足音が、ゆっくりと大聖堂へ響く。
その音に導かれるように視線を向けると、祭壇の奥から一人の修道女が姿を現した。
純白の修道服を身に纏い、静かな足取りでこちらへ歩み寄ってくる。
一見すれば、どこにでもいる敬虔な聖職者。
だが、その穏やかな佇まいとは裏腹に、纏う空気だけが張り詰めていた。
(シスター・ユーディア……)
粛清派を束ねる隊長だ。
地下礼拝堂で感じた威圧感は、気のせいじゃなかった。
目の前に立つだけで、空気そのものが張り詰めていく。
ユーディアは歩みを止めると、倒れ伏した粛清派の兵士達を静かに見渡し、やがて戦闘狂へ視線を向けた。
「お見事です。まさか、ここまで粛清派を壊滅させるとは思いませんでした」
感情の起伏を感じさせない、落ち着いた声。
賞賛とも皮肉とも取れないその言葉は、大聖堂の静寂へ静かに溶けていく。
『ハッ、骨のあるやつが出てきたじゃねぇか!』
戦闘狂は獰猛な笑みを浮かべ、一歩前へ踏み出した。
闘争本能が歓喜に震える。
その様子を内側から見つめていた賢者だけは、僅かに声音を引き締める。
『……注意を。先程の連中とは、まるで格が違います』
「ああ…だろうな」
俺は頭の奥で短く応じる。
目の前に立つこの女は、先程まで相手にしていた粛清派の兵士達とは明らかに別格だ。
「この先には行かせません」
ユーディアは静かに口を開いた。
その声音に怒気はなく、ただ揺るぎない意思だけが滲んでいる。
「貴方達を――“粛清”します」
宣告が大聖堂へ響き渡るより早く、戦闘狂は獣のような笑みを浮かべて床を蹴った。
『上等だァッ!!』
石床を砕かんばかりの勢いで一直線に間合いを詰める戦闘狂を前にしても、ユーディアは一歩も退かない。
静かに修道服の内側へ手を差し入れると、その手には先程まで存在しなかったはずの折り畳まれた一本の槍が握られていた。
柄は音を立てて伸長し、瞬く間に長大な槍へと姿を変える。
その穂先には淡い白光が宿り、神聖な輝きを静かに放っている。
「――グングニル」
その名を告げると同時に、ユーディアは迷いなく槍を突き出す。
一直線に放たれた鋭い穂先は、肉薄した戦闘狂の胸元へ寸分違わず迫っていた。
『ハッ!』
寸前で身体を大きく捻り、紙一重で突きを躱す。
そのまま槍の穂先をやり過ごして、一瞬の隙を逃すまいと勢いそのまま前へ踏み込む。
『もらったァッ!!』
全身の力を乗せた拳が、ユーディアの顔面目掛けて唸りを上げた。
普通の相手なら、その一撃で決着はついていただろう。
しかし、ユーディアは表情一つ変えない。
突き出したグングニルを引き戻すことなく柄を滑らせるように握り替えると、そのまま石突きを鋭く振り抜いた。
鈍い衝撃音が大聖堂へ響き渡る。
『ッ……!?』
拳が届く寸前、戦闘狂の脇腹へ石突きが寸分違わず叩き込まれていた。
踏み込みの勢いを利用された戦闘狂の身体は大きく横へ弾かれ、たたらを踏みながらようやく体勢を立て直す。
それでも脇腹を押さえることはなく、口元に浮かぶ笑みだけは消えない。
『ハッ……いいじゃねぇか』
戦闘狂は口元を吊り上げると、再び床を蹴った。
だが、ユーディアは慌てることなくグングニルを静かに構え直す。
白銀の槍が円を描くようにしなやかに舞った。
その一つ一つが無駄なく繋がり、隙という隙を塗り潰していく。
戦闘狂は紙一重で穂先を躱しながら懐へ潜り込もうと踏み込む。
しかし、その動きを読んでいたかのように槍の軌道が変化し、あと一歩というところで進路を塞がれた。
『チッ、やるじゃねぇか!』
戦闘狂は獰猛な笑みを崩さず、むしろ、その双眸は先程まで以上に歓喜の色を宿していた。
再び床を蹴り、真正面から間合いを詰める。
しかし、結果は同じだった。
踏み込めば穂先が迫り、躱せば薙ぎ払いが追い、無理に間合いを詰めようとすれば石突きが正確に身体を捉える。
先程まで相手にしていた粛清派の兵士達とは、その技量がまるで違っていた。
『……戦闘狂。このままではリーチの差を埋められません』
賢者が冷静に状況を分析する。
だが、その言葉を聞いた戦闘狂は不敵に笑うだけだった。
『だったら――掴めばいいじゃねぇか!』
そう言い放つと同時に、戦闘狂は再び床を蹴った。
これまでと同じように間合いへ飛び込む――そう見せかけて、迫り来る穂先の軌道をぎりぎりまで見極める。
そして、槍が突き切られた瞬間、戦闘狂は拳を振るう代わりに左手を大きく伸ばし、
刃を避けるように穂先のすぐ手前――柄との境目を力任せに掴み取った。
『捕まえたぜェ!』
勝利を確信したように口角を吊り上げた、その直後だった。
柄を通して淡い白光が左腕へ走り、その輝きが腕全体を包み込む。
『……あァ?』
違和感は一瞬で全身へ広がった。
戦闘狂の身体を通して、その異変が俺にも伝わってくる。
まるで全身へ重しを括り付けられたような、不快な感覚だった。
『戦闘狂!すぐに離してください!その槍に付与された効果が、貴方の身体へ干渉しています!』
頭の奥で賢者の切迫した声が響く。
『チッ……!』
戦闘狂は舌打ちを漏らしながら咄嗟にグングニルから手を放ち、大きく後方へ飛び退いて距離を取る。
槍から離れたことで身体の重さは僅かに和らいだものの、先程までのような軽快さは戻らない。
対するユーディアは何事もなかったかのように静かにグングニルを構え直し、その切っ先をこちらへ向けている。
感情を一切表に出さないその姿が、かえって底知れない威圧感を放っていた。
『……めんどくせぇ武器だな!』
身体へ残る鈍い違和感に舌打ちを漏らした、その時だった。
『でしたら、わたくしにお任せあれ』
「頼んだ、お嬢」
内側から短く声を掛ける。
戦闘狂の高揚は静かに引いていき、それに代わるように優雅な所作が身体を支配した。
お嬢が右手を軽く掲げる。
深紅の粒子が掌へ集まり、一挺の銃を形作っていく。
現れたのは、レバーアクション式ショットガン――ウィンチェスターM1887。
お嬢は優雅に銃を構えると、小さく微笑んだ。
『これなら、わたくしに分がありますわ』
引き金を引くと轟音と共に魔弾が一直線に放たれた。
だが、ユーディアは寸前で身体を横へ流し、その一撃を最小限の動きで回避する。
『まだまだ参りますわ!』
レバーを滑らかに操作し、次弾を装填。
間髪入れず二発、三発と撃ち込んでいく。
それでもユーディアは走りながら左右へ身体を揺らし、冷静に射線を切り続けた。
『逃げてばかりでは勝てませんわよ!』
挑発するお嬢に応えるように、ユーディアは疾走しながら手にしていたグングニルを静かに背へ収めた。
代わりに修道服の内側から取り出したのは、一振りの巨大な両刃斧。
「――ラブリュス」
静かな声と共に、その斧身へ淡い白光が宿る。
直後、それまで左右へ回避を続けていたユーディアが、突如として一直線にこちらへ駆け出した。
『……格好の的ですわね!』
お嬢は迷うことなく引き金を引く。
放たれた魔弾は一直線にユーディアへ迫る。
しかし、ユーディアは疾走する勢いを一切緩めることなくラブリュスを振り上げ、その斧刃で迫り来る弾丸を正確に迎え撃った。
ギィィィンッ!!
甲高い金属音が大聖堂へ響き渡る。
ラブリュスの斧刃によって弾き飛ばされた魔弾は大きく軌道を変え、後方の石柱へ激突した。
『……今のを、弾きましたの!?』
お嬢が目を見開く。
しかし、驚いている暇はなかった。
弾丸を弾き飛ばした勢いそのままに、ユーディアは一直線に距離を詰めてくる。
『っ――!』
咄嗟にウィンチェスターM1887を横へ構え、防御の姿勢を取る。
刹那、ラブリュスが容赦なく振り下ろされた。
激しい衝撃と共に斧刃が銃身へ食い込み、頑丈な鋼鉄製の銃は悲鳴を上げるような音を立てながら真っ二つに裂けた。
その破片は深紅の粒子となって空中へ霧散していく。
『でしたら――』
お嬢は一歩後退しながら右手を掲げる。
いつものように深紅の光が掌へ集まり、新たな武器を形作ろうとした。
だが、粒子は途中まで集まったかと思えば、不意に形を失い、そのまま霧のように消え去ってしまう。
『……なっ!生成できませんの……!?』
お嬢が愕然とした声を漏らす。
何度手を掲げても、深紅の粒子は形を成すことなく霧散していく。
今まで一度たりとも失敗しなかったお嬢の能力が通じない。
その事実に、胸の奥が小さくざわついた。
その隙を逃すことなく、ユーディアはラブリュスを振り上げた。
淡い白光を纏った斧刃が、お嬢へ向けて容赦なく振り下ろされる。
「お嬢、離れろ!」
思わず頭の奥で叫ぶ。
だが、その声よりも早く――
『お嬢、下がってください!』
賢者の切迫した声が響くと同時に、身体の主導権が切り替わる。
賢者は魔導書を素早く開き、迷うことなく足元の石床へ魔力を叩き込む。
『――雷撃』
轟音と共に青白い稲妻が炸裂し、激しい爆風と衝撃が周囲へ広がった。
その衝撃に押され、ラブリュスを振り下ろそうとしていたユーディアの身体が僅かに後方へ弾かれる。
その一瞬で十分だった。
賢者は距離を取りながら静かに魔導書を構え直し、冷たい視線をユーディアへ向ける。
『なるほど……そういう仕組みですか』
賢者の静かな呟きに対し、ユーディアは何も答えない。
ただ、ラブリュスを構え直し、その瞳だけがこちらを真っ直ぐ見据えていた。